2.なんか嫌な予感
久しぶりに夢を見た。
碧霧は、縁側で本を読みふける年老いた男に笑顔で声をかける。
「なし先生、」
「来たか、」
袴もはかず小袖は着流したまま、白髪混じりの長い髪を無造作に結んだ男が碧霧に笑い返した。その無造作感が好きで、碧霧も彼の真似をして髪を適当に結ぶことが多くなった。
何より、彼には角がない。
恐ろしいほどの知識を持ち、その情報量は母親の千紫をもしのぐ。しかし、名前はおろか、どこに住んでいるかも教えてくれない。
仕方がないので、碧霧は彼のことを「なし先生」と呼んでいた。当然、その存在を誰にも言ったことはない。
彼は、誰にも知られない碧霧だけの「秘密の師」であった。
師が首をかしげて穏やかに笑う。そして彼は出し抜けに碧霧に尋ねた。
「全ての事象を手の平の上に並べたか? 動かせる駒は把握したか?」
「さあ……? 分かりません」
「それでは、欲しいものは手に入らないな」
「欲しいもの、ですか」
「見つけたであろう? 美しい歌姫を」
「え?」
はっと目が覚めると、朝になっていた。
ゆっくりと体を起こし片手で額を押さえる。まだ、夢と
怒濤のような一日から、まだ一晩しか経っていない。今日も忙しい一日になりそうだと、碧霧の口から自然とため息が出た。
秘密の師とは、数年前にぱたりと会えなくなってそれっきりだ。最後の言葉は、「もうそろそろ私は死ぬだろう」という、どこか
だからもう、本当にどこかで亡くなっているのだろうと碧霧は思っていた。
「碧霧様、お目覚めでしょうか」
部屋の外で左近の声がした。碧霧は頭をひと振るいして夢を追い払った。
その日は、碧霧の執務室である中の間で打ち合わせが続いた。
まずは、三日後に控えた遠征について重丸らと最終確認をし、それが一段落着いたら今度は十兵衛と「
左近と右近も今日は朝からずっと付き合ってくれている。というより、二人があまりにがぶり四つで打ち合わせに臨むものだから、碧霧も休むに休めないというのが本当のところだ。
「明日なもんで準備がほぼ間に合わないんですが、」
疲れた様子の十兵衛が、落ちくぼんだ目を書類に落とす。
「奥の方から、『絶対にこれだけは外せない』というこだわり事項を仰せつかってますので、それを中心に儀式は行います」
「すまないな、十兵衛」
おそらく、かなりの無理を押し付けられたに違いない。碧霧は同情した。
「正確には、儀式は今日の夜中から始まります。まず、影霊殿にて
「ちょっと待て。それ、必要か?」
「必要、だそうです」
頼むから口を挟むなとばかりに言い返され、碧霧はすごすごと引き下がった。ここに来るまでに、十兵衛なりに相当なやりとりを行ったことは想像に余りある。
神妙になった碧霧を確認しつつ十兵衛がさらに続けた。
「碧霧様の身が全て整ったところで、ようやく
「……」
十兵衛の何気ない説明であるが、「宝刀」という言葉が出たことに、碧霧は少なからず動揺する。今の伯家が正統な存在ではないことを自覚する瞬間である。
宝刀月影は、もともと伯家に伝わる鬼伯の証しのようなものである。
三百年前に起こった政変で、旺知は月影を手に入れることなく伯座に着いた。どれだけ探しても出てこなかったというのは、母親の話である。
そして今なお、その行方は知れない。
宝刀を持たない父親が「無刀の王」と影で
「まあ、分かった。儀式はそれで終わりだな?」
「儀式としてはこれで終わりですが、関連行事はまだ続きます」
「まだ?」
「まだ、です」
だから口を挟むなと十兵衛に今度は睨まれた。
内心げんなりしつつも、やはり碧霧は引き下がるしかない。
「午後からは、
「いや、何も。夜、何がある?」
ここまで来たら嫌な予感しかしない。思わず碧霧が聞き返すと、十兵衛は曖昧に「そうですか」と言って左近と右近を見た。
すると、左右の守役が微妙な目を十兵衛に返す。両者の無言のやりとりを見て、碧霧は顔をひきつらせた。
「おい、最後に何がある?」
「奥の方からちゃんと説明いただくようお願いしておきます。それよりも、ざっくりと一日の流れを言いましたが、これから一つ一つの儀式の詳細を説明します」
「ごまかすなよっ」
「さあ行きますよ。聞き逃しがないように。一度しか言いませんからね」
碧霧の訴えは無視された。
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