4)宵の悪習

1.沈海平への遠征

 旺知と千紫が大広間から出ていった後、ほとんどの洞家が何事もなかったかのようにさっさと解散した。

 鬼伯と伯子が衝突することは今日に始まったことではない。皆、親子喧嘩に巻き込まれたくなどないのだ。


 その場に残ったのは、六洞りくどう重丸と八洞やと十兵衛だけである。


「はてさて、参りましたな」


 十兵衛が何食わぬ顔で頭をがしがしと掻いた。「参った」と言う割りにはまだ余裕のある顔をしている。碧霧は苦笑した。


「父上の言う通り、あんなもの形だけだ。さっさと済ませよう」

「奥の方がなんと言うか。伯太はくたいの儀には、いろいろと思い入れがある様子で」


 刹那、吏鬼がそろそろとやって来て頭を下げた。


「失礼いたします。奥の方様が勘定方様をお呼びです。至急、東二ノ間ひがしのにのまへお越しください」

「ほら見たことか」


 十兵衛がげんなりした顔をした。碧霧が「すまない」と眉尻を下げた。


「母上の希望まで聞いていたら収拾がつかない。三日後には出るから、伯太はくたいの儀は適当に済ませると言っておいてくれ。無駄な儀礼は全て省けばいい」

「マジですか。奥の方をなだめるのも大変なんですよ」


 ぶつぶつ言いながらも十兵衛が動き出す。

 のらりくらりとしているが、状況判断も早く、対応力も高い彼に任せておけば大丈夫だろう。

 すると重丸が十兵衛を呼び止めた。


「おい十兵衛、一つだけ」

「なんだ?」


 振り返る十兵衛に重丸が真面目な顔で答える。


沈海平しずみだいらには三番隊を出す。執務が忙しくなるが、いいか?」

「三番隊を? そりゃ、大仰だな」

「碧霧さまが出陣する。間違いがあってはならんだろ」


 意気込む重丸に十兵衛が肩をすくめる。


「好きにしろ。ほんと、どいつもこいつも儂を忙殺する気かよ」


 言って十兵衛は首の筋を左右に伸ばしながら大広間を出ていく。重丸がふんっと笑いながら彼の後ろ姿を見送った。


「さあ、碧霧さま。出立までの手筈を整えましょう」


 戦うつもりで行くわけではないが、場合によっては戦うことにもなる。むしろ何もない可能性の方が低い。

 碧霧は顔を引き締めつつ、こくりと重丸に頷き返した。




 出発は三日後の朝となった。

 里から行くのは六洞りくどう衆三番隊のみで、後は鎮守府にいる私兵でなんとかすることにした。


 重丸は「五番隊もつけた方がいい」と難色を示したが、碧霧がそれを拒否した。まるで制圧ありきで来たように相手方に思われるのを避けるためだ。


 主に諜報活動をしている四番隊によれば、反乱軍は現在のところ鎮守府の門前に一部が滞留しているものの、積極的に攻撃はしてこないと言う。

 相手も話したがっているのではないか、碧霧はそう思った。


 碧霧の執務室である中ノ間は、千紫の東二ノ間ひがしのにのまと似ている。大きな机と椅子に、中央には藍染のソファーとテーブルが置いてある。


 そこに沈海平しずみだいらの地図を広げて、碧霧は重丸は額を突き合わせた。

 重丸の息子であり、碧霧の守役でもある左近も同行するので今は話に加わっている。ちなみに右近は所用で出かけているとのことだった。


「まず、鎮守府へ入ることが第一です。空馬を使うのが最も楽ですが、相手は天狗ですので空を飛べます。恐らく入府を阻まれるかと思われます」

「できれば、強行突破は避けたいな。その後の話し合いに影響が出るかもしれない」

「はい。ですので、ここから鎮守府へ侵入します」


 重丸が地図上の鎮守府の北東にあたる部分を指差した。大きな森に染井川が流れ通っているのだが、その川沿いにバツ印が書き込まれている。


「ここに鎮守府へ通じる地下通路の入り口があります。結界を施し入り口は分からないようになっております。水天狗たちにも気づかれてはおりますまい」

「親父、結界はどう解く?」


 神妙な顔つきで左近が尋ねた。重丸がすかさず答える。


「三番隊長が専用の札を持つ。逆を返せば、それがないと通れない」


 次に碧霧が重丸に尋ねた。


「頭目の真比呂まひろとは、どういう男だ?」

「はい。誰からも慕われる若者だと聞いております。しかし、月夜の里からの干渉は非常に嫌っているとか。こちらに友好的かどうかは疑問です」

「……友好的なら反乱は起こらないだろ」

「ま、そういうことですな」


 重丸が苦笑する。そして彼は、兵に見立てた駒を鎮守府の北西と南に置いた。


「四番隊が南の正門付近で反乱軍に対して派手な動きをいたします。それに乗じて地下通路から鎮守府へお入りください。左近、おまえは碧霧様から決して離れるな」

「分かった」


 左近が頷くのを横目に、碧霧は心の中の心配をふと口にする。


「四洞が火トカゲをどれだけ早く用意をしてくれるか……」


 重丸が不満げな顔で碧霧を見た。


「なぜ蟲使いなどに頼みごとを? 自分勝手な男です。あまりアテにはなりますまい。そもそも用意をしてくれるかどうかも疑わしい」

「しかし、五百匹の火トカゲを準備できるのは奴しかいない。俺が考えている方法が上手く行きそうなら、まだ数が必要になる」

「事を急いては仕損じる、ですぞ。砂鉄は長い年月をかけて徐々に溜まったのです。取り除くとなれば、それ相応の時間がかかりましょう」


 最後は年配の者らしく諌め口調になる。勇む気持ちに水をかけられ、碧霧は神妙な顔で「そうだな」と返すしかなかった。


 ふと、紫月のことを思い出す。

 あんな別れ方をして、彼女はきっと傷ついているに違いない。それなのに、こちらは三日後には沈海平しずみだいらへと向かわなければならない。


(なんとか明日、会いに行こう)


 きっといつもの川辺で待ってくれている。

 二人が会えるのは、あの場所でしかないのだから。


「碧霧さま、聞いてますか?」

「ああ、ごめん。ちょっとぼんやりしてた」


 重丸の厳しい声に、彼は現実に引き戻される。小さなため息が口から漏れた。

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