7.紫月、お呼びじゃないことを知る

 こちらを睨む左近を見て、碧霧はとっさに紫月を背中に隠した。


 まずい。


 と思ったが、もう遅い。碧霧は、紫月の顔に新聞を押し付け左近に駆け寄った。


なんて、妙な呼び方をするな」

「公衆の面前でとはお呼びできないでしょう?」


 すかさず返され、碧霧は黙るしかない。それに、今はそれどころでもない。


「左近、沈海平しずみだいらで反乱だ」

「はい。それで、緊急の洞家会の召集がかかりました」


 碧霧は小さく頷いた。


「分かった。すぐ戻る」

「まったく、探しましたよ。勝手に出かけるにしても行き先ぐらい言ってください」


 左近がぶつぶつと小言をこぼした。そして、ちらりと後方の紫月に目をやる。

 紫月が押し付けられた新聞を顔からはがし、すっと居ずまいを正した。そして、たおやかに腰を折る。今まで見せたことのない、きちんと躾られた姫君の所作だ。


「彼女は?」

「本屋で店主と言い争いをしていたところを助けたんだ」

「ふうん……そうですか。で、あなた様のその格好は? 朝着ていた物と違いますね。どこかで着替えたんですか? 荷物は馬の疾風はやてにあずけているので?」


 碧霧はぐっと言葉に詰まる。全てお見通しだと言わんばかりだ。

 しかし、それでも素知らぬ顔で通さないと、さらにあれこれ詮索されるに決まっている。


(このまま別れたら、またいつ会えるか分からないのに)


 ちらりと紫月を見ると、さすがに不安げな表情でこちらを見ていた。

 しかし碧霧は、振り切るように彼女に背を向けた。


 何事もなかったかのように碧霧が歩き出す。その後を左近が続く。

 去り際、左近がちらりと紫月を一瞥し、それから通りの隅にたたずむ女剣士を見た。左近の視線を受けて女剣士は小さく頷き返した。




 通りの騒ぎがすっかり収まり平常の様子に戻った頃、紫月は一人でとぼとぼと曲坂まるざか通りを出た。買ってもらった雑誌が重たく感じるのは気のせいか。


(ひと言くらい何かあってもいいじゃない)


 あの後、一人取り残されて、紫月はイモンブランを二つ食べる羽目になった。


 あれはきっとお付きの鬼だ。

 つまり、やっぱり、彼はそういう身分の鬼なのだ。


 その現実を否応なしに突きつけられて、少しばかりへこんでしまった。


 血筋だけで言うなら自分だって、と紫月は思う。

 母親は元伯家の姫であるし、父親は今の鬼伯の実兄だ。母親が政争で御座所おわすところを追われず、父親がなし者でなければ、自分は伯子の従姉妹いとこであり、奥院の姫だった。


 奥の方である千紫は母親とは年来の友人で、今でも自分たち親子をずっと気にかけてくれている。

 先日も身内が大ケガをしたと言って、母親の作る薬をもらいに侍女が遣いで来たし、この前なんて千紫本人がじきじきに紫月にとあるお願いをしに来たぐらいだ。


 しかし、そこまで考えて、卑屈に背伸びをしようとしている自分に気づき、自己嫌悪に陥る。こんな風に誰かと比べて住む世界が違うと感じたのは初めてだ。誰からも見向きもされない存在だからこそ、いつだって自分は自由に生きてきた。


 それを、恨めしく感じるなんて。


「お嬢さん、ちょっといいですか?」


 里中を出ようという所でふいに声をかけられ、紫月は振り返った。

 すると、そこに二つ鬼の女性が立っていた。


 きりっとした細い眉に、すっきりとした目鼻立ち、えんじ色の袴を履いて腰には刀を差している。

 女剣士は、紫月と目が合うとにこりと笑った。


「……誰?」

「あなたにお願いがありまして」


 紫月の質問には答えず、女剣士がずいっと一歩前に出た。

 強引な態度ではあるが、こちらに向ける目は優しい。

 彼女もまたであると、紫月はピンときた。


「そう、お付きが何人もいるのね。葵は、洞家の鬼なんでしょ?」


 再び紫月は尋ねた。

 すると、女剣士は「葵……」と少し戸惑った顔をして、それから苦笑した。


「何もあなたにお話しになっていないようですね。ということは、あなたは知る必要がないということでしょう。失礼ですが──、」


 言って彼女は顔を引き締めた。


「あの方は、里中の娘が相手にできるようなお方ではございません。優しい言葉に舞い上がってしまったのかもしれませんが、どうぞ身をお引きください」

「別に、舞い上がってなんて──」

「実は縁談の話が出ております」

「え?」


 容赦なく言葉を遮られ、しかも何を言っているのか分からなく、紫月は一瞬言葉に詰まった。目の前の女剣士が淡々と言葉を続ける。


「まだ本人に知らせてはおりませんので、あなたがご存知なくても当然です。ですが、このままだと傷つくのはあなたです」

「……」


 がつんと、何かで頭を殴られたような気分だった。

 おまえなんかお呼びじゃないと、そう言われた気がした。


 紫月は忙しなくあちこちに目を泳がせた後、ややして革紐で巻かれたアメジストのペンダントを首から外した。


「葵に返しておいて。いらないわ」

「承知しました。ありがとう」


 女剣士がそれを受けとり頭を深々と下げる。そして彼女はペンダントを懐に入れると、さっと踵を返して雑踏の中に消えていった。


 その場に一人残され、紫月はぎゅっと雑誌を握りしめる。

 ただ悔しくて惨めだった。


 ちょっと浮かれて調子に乗っていた。彼は自由に恋なんて出来る立場になかったのだ。そして、それは自分も同じだと今さらながら痛感する。


「……千紫さまのお話、断れるかな」


 誰に言うともなく、紫月はひとり呟いた。

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