7.再会は布団の上

 寝間に着くと、紫月はぽすんと柔らかい物の上に降ろされた。それが布団の上だと理解するのに時間はかからなかった。


 十畳ほどの部屋は床の間に掛け軸と花が飾られているだけで、すっきりと何もない。日が落ちて薄暗くなり始めた部屋の中、行灯あんどんの明かりが襖の水墨画を優しく照らしていた。


 ふと何かが指に当たり、見てみると枕が二つ。紫月は思わずぎょっとして身を固くした。


「どういうつもり?」


 立て膝に腕を乗せ、碧霧が鋭い視線を紫月に向ける。


「どうって……」

「何しに来たのか、分かっているよね?」

「分かってないわよ!」


 彼女は、枕をむんずと掴むと彼に向かって投げつけた。


「何がなんだか分かってないわよっ。ちゃんと説明しなさいよ、馬鹿!」


 枕を受け止めながら碧霧が深いため息をつく。

 彼女の反応は、まさに昨日の自分だ。こちらは少しは時間があった分、いくらか気持ちが落ち着いた。


「俺も昨日初めて聞いたんだ。沈海平しずみだいらに行くことが決まって、伯太はくたいの儀を急きょすることになって、そしたら母親が落山の従姉いとこを宵臥に召し出すなんて言い出して──。でも、そこでいろいろ繋がった。先に伝えなかったのは、自分も混乱していたし、どのみち会うことになると思ったから」


 そこまで言ってじろりと紫月を見る。


「会ったこともない男に抱かれるつもりだったの? まさか、宵臥よいぶしが何か知らないなんて言わないよね」

「そこまで馬鹿じゃないわよ」

「じゃあどうして話を受けたりしたんだ」

「最初は断るつもりだったの!……断れると思ってた」


 紫月が尻すぼみな口調でぼそぼそと答えた。


「でもあの日、葵のお付きの鬼に、私なんかが相手に出来る御方じゃないって、縁談の話があるから身を引けって言われて、私たちの身の振りなんて所詮そんなものなんだって思ったのよ。そうしたら、いきなり宵臥の予定は早まるは、母さまも千紫さまも勝手に盛り上がっちゃってるはで──」

「断れなくなったと、」

「だって、私たち親子は千紫さまの庇護ひごのもと生活している身だし、二人は大の仲良しで、あの二人を前にして嫌なんて言えなくて」


 ま、分からないでもない。


 初めて見る紫月の母親「落山の方」は、噂通りの息を飲むような美女。そこに北の領の頂点に立つ自分の母親が加わり、二人が並んだ姿はまさにバケモノかと思うほどの圧倒的な存在感だ。


「とにもかくにも一度は会わないと納得してくれそうもなくて、会ってから最後の最後で断ればいいと思ったの」

「会うのが布団の上だぞ。断れなかったらどうするつもりだったんだ?」

「千紫さまの息子だもん。そこは大丈夫だと思ってた」

「男なんて、みんな分かんないだろ!」


 無計画にもほどがある。

 本当に相手が自分で良かったと思わずにはいられない。

 すると、紫月が「そんなことより」と神妙な顔をした。


沈海平しずみだいらに行くの? 水天狗の反乱を鎮めに?」


 碧霧は頭を左右に振り返す。


「違うよ。水天狗と話し合いに行くんだ」

「危険じゃないの? 相手はちゃんと話を聞いてくれるの?」

「まあ、友好的とは言いがたいけど、あえてこちらと戦いたいわけでもないと思う」

「そう──」


 すっきりとしない気持ちのまま紫月は頷いた。なんとなく他所よそ事のように聞いていた沈海平しずみだいらの反乱。こうして碧霧が行くのだと聞かされると不安が募る。


「もしかして、私が『傍観は同罪』なんて言ったから?」

「違う。俺の意思だ。俺が力不足で、ずっと動けないでいただけで。沈海平しずみだいらの問題は何とかしないといけないと言っただろ」

「どうして葵なの? よその土地じゃない」

「同じ北の領だ。例えば、紫月が毎日食べている米や大豆の大部分が沈海平しずみだいらで取れている。よその土地なんかじゃない」


 初めて見る、彼の為政者としての真面目で真っ直ぐな顔。

 碧霧は、遠い誰かのことも自分のこととして考えている。


 だから彼の気はいつだって大きくて暖かいのだと、紫月はあらためて知る。


 碧霧が膝一つ紫月に近づく。そして彼は、紫月をぎゅっと抱き締めた。


「行く前に会えて良かった」


 そんな、今生こんじょうの別れみたいに言わないで。


 彼の覚悟が伝わってきて紫月は胸がぎゅっと苦しくなった。

 別にあなたが行かなくてもいいじゃない、とつくづく勝手なことを思ってしまう。


 すると、ふわりと碧霧の大きな手が紫月の頭の後ろに回った。見上げると彼の熱っぽい眼差しがそこにあった。


「紫月、こんな形で再会するなんて、やっぱり運命感じない?」


 碧霧がじっと見つめながらゆっくりと顔を近づけてきた。

 彼の情熱的な感情が流れ込んできて、紫月は酔ってしまいそうになる。

 このまま彼に身を委ね、別れまでのひとときを甘く過ごすのもありだろう。


 でも──、彼の無事をただ待っているだけなんて。


「そうじゃない」


 二人の唇が触れるかという寸でのところで、紫月は碧霧の口を片手で押さえた。


 まさかの寸止めに碧霧が目を白黒させる。


「ちょっ、ここで拒絶するっ?」

「こんなことしている場合じゃない。私も沈海平しずみだいらに一緒に行く」

「は?」

「今決めた。傍観は同罪だって言った私が待っているだけなんて変じゃない」


 言って彼女は碧霧を押し退けると、ばっと立ち上がった。


「そうと決まったら準備をしなくっちゃ。葵、明日は何時に出発なの?」

「よ、夜明けとともにだけど……四時くらい?」

「こうしちゃいられないわ。帰らなきゃ!」

「いやちょっと、何を勝手に──。一緒に行けるわけがないだろ!」


 しかし、紫月は聞いていない。彼女は障子戸をばっと開けると、夜空に浮かぶ月に向かって握りこぶしを高らかに上げた。


「がぜんやる気が出てきたわ!」

「出さなくていいし! てか、二人の夜はどうするんだ?!」

「そんなもの明日に備えて寝るに決まってるでしょ。ぐっすり寝るには自分の布団が一番よ。じゃあ、また明日!」


 言うや否や、紫月は部屋を飛び出してばたばたと廊下を走り去ってしまった。


「嘘……だろ」


 寝間に一人取り残され、碧霧はわなわなと体を震わせる。


 こんな宵臥あり? 残された男の立場はどうなんの?


 無駄に広いふかふかの布団に碧霧はそのまま突っ伏した。

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