4.密かな画策

 両目の腫れもすっかり消えてなくなり、碧霧は仕事の合間に直孝の元を再び訪れた。


 本当なら、もっと早く訪れたかったが、両目に呪詛をかけられたことでだいぶ日が空いてしまった。沈海平しずみだいらでいつ暴動が起こるかも分からないこの時期に何日も伏せっていたのは手痛かった。

 今日は左右の守役は付けずに一人だけの訪問である。


「お一人とは、お忍びですかな?」


 先日と同じ、苔むした庭に面した部屋に通されお茶を出される。碧霧は「いいえ」と笑って答えた。


「ちゃんと行き先は伝えてあります。仰々しく供を連れて歩くのは好きじゃないので一人で来ました」

「そうですか。で、今日はどのようなご用件で?」

「直孝おう、俺は沈海平に堆積した錆びた赤鉄を取り除きたいと考えています」

「ほう」


 一つ角の老鬼が興味深そうに目を細め、碧霧に先を促した。彼は力強く頷くと、話を続けた。


「火トカゲを使おうと思っています。ご存じの通り、火トカゲは鉄鉱石を主食として体を発火させます。砂鉄も当然好物なのですが、酸化鉄の方が好みだということが飼育をしていて分かりました。沈海平しずみだいらに堆積した鉄はまさにうってつけです」

「ふむ。火トカゲを使うという着眼点はよろしいですが、大量の火トカゲが必要となる。どうなさるおつもりで?」

「はい。むし使いに用意させようかと思います」

「……蟲使い、ですか」


 途端に直孝の顔が険しくなった。

 彼の言いたいことが碧霧には分かった。


 蟲使いは、その名の通り「雑蟲ぞうこ」と呼ばれる雑多な蟲を使役する者である。蟲を物のように扱い、自身は表に出てこない。卑怯な者として嫌う輩も多く、実際に碧霧も好きではない。


 しかし、今の御座所おわすところには御抱えの蟲使いがいる。そして皮肉にもその者は、直孝の元姓である「四洞しどう」を名乗っている。


「ご存知だと思いますが、今は蟲使いが四洞を名乗っています。その者に火トカゲを用意させようと考えています」


 直孝が複雑な顔で頷いた。承知しかねるが、悪い手ではないと本人も思っているようだった。碧霧はそんな彼の反応を確認しながら、さらに言葉を続けた。


「問題はその後です。疲弊した土を早急に回復させる道筋を立てねばなりません。その方法についてお知恵を借りたく今日は参りました」

「なるほど。概ね分かりました」

「月詞以外で、大地を元気にする方法はありますか?」


 本当は、月詞を歌えばなんとかなるのかと尋ねたいくらいだった。今、自分の手の中には存在しないはずの歌姫がいる。しかし、それは禁じ手だ。


 直孝が思案げな顔で話し始めた。


玉蒜たまひるという草が遠峰にあります。栄養があり、根も茎も葉も食べることができる優れた草です。こちらを細かく砕き、乾燥させ、土に混ぜると良いでしょう。後は水です」

「水……、川の水ですね」

「はい。沈海平しずみだいらの中央には染井川という大川が流れております。こちらにもてこ入れが必要だ。水のたまり石を撒くのです」

「水のたまり石──」


 水のたまり石とは、清らかな川で採取できる川の清浄な気そのものの塊だ。

 確かに、水のたまり石なら清浄効果がある。しかし、川の中からそれらを直に見つけ出すことは難しい。気をって川の気と同調する必要があるからだ。


(紫月だったら簡単に見つけるかもしれないな)


 先日も川面の水で遊びながら歌を歌っていた。水しぶきが彼女の歌声に反応するかのように光っていたのはおそらく偶然じゃない。


 黙り込む碧霧の様子を直孝が窺う。


「難しいですかな? 私が現役の頃より気の繰りの鍛練を受けている者も増えたと聞きます」

「そうですね。六洞衆では基礎鍛練の必須となっています。直孝翁の頃よりは、もしかしたら集めやすいかもしれません」


 そうだ、紫月の力を当てにしてはいけない。

 答えながら碧霧は自分自身に言い聞かせる。

 月詞つきことの存在を探していたのは事実だが、彼女と出会ったのは彼女を利用するためじゃない。

 紫月に力を使わせることは、そのまま彼女の危険を意味する。


(それだけはダメだ)


 碧霧はさっと弱腰の思考を切り替えた。

 紫月の力を使うつもりがないのに、「たられば」で物事を考えていても前に進まない。今、出来ることを考えなければ。


「分かりました。いろいろやってみます」

「ふむ。踏ん張られよ」


 直孝が深くしわが刻まれた顔をくしゃりと和ませた。




 そしてさらに次の日、碧霧は蟲使いを呼び出した。

 今は四洞を名乗る二つ鬼は、洞家とは名ばかりの父旺知あきとも直属の私兵である。他の洞家との交流もなく、滅多に公に顔を出さない。


 昼過ぎ、午前の執務を終えた碧霧が自室に戻ろうとしたところ、執院と奥院を繋ぐ渡殿わたどので彼は声をかけられた。


 声のした先を見ると、庭先に二つ鬼が片膝をついて控えていた。

 肩ほどの長さのねっとりとした髪が青白い顔にかかり、えた臭いが鼻につく。蟲使い、四洞である。


 男がにやりと口の端を上げた。


「わざわざ私をお呼び立てとは、いかがなさいました?」


 その絡み付くような笑いに、碧霧は少なからず嫌悪を感じる。

 この男には、世間話も愛想笑いも必要ない。彼は、単刀直入に用件を言った。


「火トカゲを早急に集めて欲しい」

「火トカゲ?」


 四洞が首をかしげる。


「何匹か奥院で飼っていると聞きましたが、死にましたかな?」

「それとは別だ。まずは手始めに五百ほど」


 四洞からの問いには曖昧に答え、ためらいなく希望する数を言うと、さすがの蟲使いも顔をひきつらせた。


「五百とは、奥院で飼う数ではありませんな」

「おまえが知る必要はない。集められるのか、られないのか?」

「……このことは、鬼伯はご存知で?」


 物言いたげな目で四洞が碧霧を見る。碧霧は、あえて不遜な笑みを浮かべて片眉を上げた。


「父上は知らない。言いたければ言えばいい」

「仰せつかりました」


 蟲使いがにやりと笑う。

 彼の傍らでぐにゃりと空間が歪み、首に襟巻のような白い毛をまとまとった巨大な蜂が現れた。四洞はそれに飛び乗ると、あっという間に空へと消えてしまった。


 碧霧は大きなため息をつく。

 自分の勝手な行動が、少なからず波乱を巻き起こすだろう。


 明日には、あの元気な女の子に会える。それだけが心の安らぎだった。

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