3.今はこの手を離さない

 紫月の「治療」は、見たこともない方法だった。


 碧霧の波長に合わせて紫月が大地の気を患部に送り込む。自然の力を借りて自身の回復能力を上げるというものだ。


「はい、後は薬を塗っておけば痕も残らないんじゃないかな。ぬり薬は何か持ってる?」

「うん、ある。それにしても、すごいな」


 赤く腫れ上がっていた部分はほぼなくなり、ひきつれた皮膚もかなり綺麗になった。紫月が持っていた手鏡で自分の顔を見ながら碧霧は感心しきりに言った。

 ちなみに、ひざ枕は続行中である。


「これ、やり方を教えてもらえたりする?」


 怪我が多い六洞りくどう衆でも使えそうだと思いながら碧霧が尋ねると、紫月は「うーん」と難しい顔をした。


「教えてもいいけど、たぶん出来ないよ」

「難しいの?」

「うん」


 そう言いながら紫月は手短に方法を教えてくれた。


「自分の気に大地の気を取り込んで、それから相手の気の波長に合わせつつ、それを流し込む。簡単に言うと、やることはこれだけね」

「……ほんと、簡単に言うね。それ、三者の気を同調させないといけないってことだろ」


 碧霧は絶句しながら言った。

 自分が持つ霊気を操ることを「気のり」と言う。

 この「気のり」は、単純に分けて二種類ある。相手に向かって気を放つ「反立」と、相手の気を取り込み自分の気と合わせる「同調」だ。


 鬼なら誰もが自然と出せるようになる鬼火も、厳密に言うと気の繰りによる「反立」で行っていることになる。しかし、そこまで意識して鬼火を出している鬼はほとんどいない。


 なぜなら、この「気のり」も結界や式神と同じ人の国で編み出され体系化された技だからだ。

 今では阿の国でも多くの者が使うようになってはいるが、それでも月夜つくよの里で体系化された気の繰りを学べるところは六洞りくどう衆しかない。


 相手に自分の気をぶつければいいだけの反立と違い、同調は相手の気と合わせる必要があり、難しいというのが常識だ。それを複数操るなんて、やっぱり彼女は他と違うと感じる。


 同時に、彼女ほどの子女が公の場に出てくることもなく、野山に埋もれた存在であることに若干の意図を感じないでもない。


 すると、紫月がもぞっと動いた。


「ねえ、いつまで寝ているつもり?」

「えー。だって離れがたいし」


 言って、碧霧はごろんとうつ伏せになり顔を横に向けた。紫月の弾力のある太ももの感触がじかに頬に伝わる。


「うん、やっぱり仰向けはないな。今度は、例のスカートでしてよ。丈の短いやつ」

「ちょっと、こら! このエロ洞家!!」


 慌てて紫月が立ち上がろうとする。


「枕が動いたらダメだって」


 碧霧は両腕を彼女の腰に回して強引に押さえつけた。

 それでも紫月が抵抗しようとするので、碧霧は両腕に力を込める。途中、立ち上がろうとする紫月と意地でも離れようとしない碧霧とで揉み合いになり、最後は碧霧が紫月を押し倒すような形で二人は地面に崩れ込んだ。


 どちらからともなく笑いが漏れる。まるで、もう何年も前からこんな風にじゃれあっていた気がした。


「紫月とは初めてな気がしない」

「でも私たち、まだ会って三回目よ」

「それ、重要?」


 さりげなく両手を絡ませて紫月を腕の中に囲う。碧霧の腕の中、紫月は「うーん」とほんの少し考えた後、にこりと笑った。


「あんまり重要じゃないかも」 

「俺もそう思う」


 本当はお互いの素性とか、立場とか、話すことはたくさんある。

 でも、そういう面倒なことはあえて考えないことにした。とにかく今はこの手を離さないことだ。

 二人はじっと見つめ合った。


「……紫月、また会える?」

「もちろん」


 答えながら紫月は不思議な気持ちになる。いつもは固く閉じている感覚が、彼と二人でいる時はなぜだか緩む。彼の気に包まれると、ほっと安心するのだ。

 ずっとこのままでいたいなと思いつつ、自戒の念も込めて紫月は感覚を閉じた。




 碧霧と別れた帰り道、紫月は吽助うんすけの背に突っ伏した状態で乗りながら指でふわふわの白毛をいじっていた。


 今度会うのは七日後、はっきりと約束した。里中に遊びに行く。


「これ、デートってやつかな? デートってやつよね」


 口に出すと胸がきゅうっとして、思わず紫月は目の前の白毛をブチブチと抜いてしまった。吽助が迷惑そうにガウッと吠える。

 しかし紫月はおかまいなしだ。それどころではない。

 頭の中で、二人でじゃれ合ったことや見つめ合ったことを何度も反すうしてしまう。


「やだ、もう!!」


 紫月は耐えきれなくなって狛犬の背中をどんどん叩いた。とうとう彼女は吽助に振り落とされた。


 土ぼこりにまみれた状態で紫月は落山の屋敷に戻って来た。奥から侍女の波瑠が出て来て、「あら、転んだのですか?」と目を丸くした。


 一人で悶絶していたら狛犬から振り落とされたとも言えず、思わず紫月は苦笑する。すると、今度は母親の深芳が現れた。


「帰って来たか」

「うん、今日は遠峰に行ってきた」


 誰と行ってきたかは内緒だ。今思い出すだけでも顔が緩みそうになる。それで紫月が、気ぜわしく自分の部屋に向かおうとすると、深芳がそれを呼び止めた。


「紫月、早く着替えて私の部屋へ。そのままだと相手に失礼じゃ」

「誰か来てるの?」

「うむ。千紫がな。大事な話があると」

「千紫さまが?」


 千紫は、母親の親友であり、今や月夜つくよの里の頂点に立つ女性である。

 政変後、立場が逆転した二人ではあるが、彼女はお忍びでたまに落山の屋敷に遊びに来てくれる。

 紫月たち親子が落山で自由気ままな生活が送ることができているのも彼女の庇護のおかげだ。


 大事な話だなんて、突然なんだろう?


 紫月が怪訝な顔を傾げると、深芳は意味ありげな笑みを返した。

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