3)伯子への無理難題

1.謝罪

 すんなり治るかと思われた両目の呪詛であるが、碧霧は三日三晩苦しみ続けた。


 途中、目がえぐられるかと思うほどの痛みが襲い、食べ物も喉を通らす、寝ることもできず、四日目の朝にはかなり憔悴していた。


 それでも、なんとか乗り越えられたのは、薬所くすどころの薬ではなく、千紫がどこからか手配した薬のおかげである。


「碧霧さま、お加減は?」


 今日は右近が薬を持って現れた。

 ここ数日間、兄の左近がずっと側にいてくれた。かなり責任を感じているらしく、碧霧は心苦しかった。


「大分いい。左近は休んでくれているか?」

「はい。碧霧様が落ち着かれましたのでほっとしたのでしょう。今頃は、六洞りくどうの屋敷でいびきをかいて寝てますよ。さあ、薬を取り替えますから起きてください」

「悪いな」


 碧霧が起き上がると、右近はきびきびとした手つきで顔に巻かれた包帯を取り、新しいものと取り替えた。


 右近は女だが、男ばかりの六洞りくどう衆で育ったせいか、女っぽいところが一つもない。こういう時には気を使う必要もなく、碧霧としてもありがたい。


 包帯を巻き終え、右近は心配そうに呟いた。


「きっと痕が残りますね、これ」

「また見えるようになるなら別にいい」


 碧霧は答えた。自分が紫月にしたことを考えると、傷痕が残ることぐらい当然の報いだ。

 そんな碧霧の心の内を知らない右近が呆れた口調で笑う。


「せっかくの色男なんですから、少しは気にしたらどうです?」

「別に色男なんて思っていないだろ」

「まあ、私は。でも、姫君や侍女衆は騒がしいですよ? 私、守役なんてしてるから、すごくやっかまれますし」

「おまえをやっかんでいる内は、絶対にダメだな。それよりも、火トカゲの餌はやってくれているか? どの餌を一番食べてる?」

「あはは。そっちの心配ですか?」


 右近がからからと笑った。




 一方、紫月はあれから猿師にひどく怒られ、さすがに端屋敷に行っていない。


 不用意に素性も分からない者と仲良くなったのは、確かに責められても仕方のないことだった。自分だけではすまず、藤花にまで危険が及ぶ可能性があることをちゃんと考えていなかった。


 猿師は藤花のことをとても大切にしている。それは、彼女が伏見谷の二代目九尾に嫁ぐ身であるからではなく、二人はもっと特別な関係だからだと紫月は思っている。


 彼女に関わる者たちから直接何かを聞いた訳ではない。しかし、日々の他愛もない会話のやり取りや、お互いを見る眼差し、何より二人を包む空気でそれが分かる。


 きっと公にできない関係を猿師と藤花はずっと続けてきたのだろう。今の自分たちに少し似ているなと、紫月は思った。


 明山あからやまの川辺には、落山の屋敷に吽助うんすけを呼び出して毎日行ってみた。当然ながら彼は姿を現さなかった。


(あんなひどいことをされたもの。嫌になって当然よね)


 もう二度と会えないかもと思ったら、ひどく気分が落ち込んだ。

 せめて、自分が怒っていないことを伝えたかったし、ひどいことをしてしまったことを謝りたかった。


 十日ほど過ぎただろうか。今日も来るかどうか分からない二つ鬼のことを思い、川辺で一人待ち続ける。

 あの日から紫月の時間は止まったままだ。


「ごめんね、吽助うんすけ。毎日つきあわせて」


 ふわふわの頭を撫でると、狛犬は気持ちよさそうにあくびをした。木々の隙間から差し込む木漏れ日がじりじりと肌を焼く。時間が止まっているのは紫月だけで、山はすっかり夏の様相だ。

 紫月は大きく息をつくと静かに立ち上がった。


「行こっか、吽助。もう来ないよね」


 いい加減、今の状況を受け止めないといけない。せっかく知り合えたのに、自分でその関係を壊してしまった。


 その時、木々の影からブルルッと馬の鼻息が聞こえた。はっと紫月は振り返る。すると、小道の向こうから空馬に乗った二つ鬼の青年が現れた。


 自分からここに来たくせに、彼は紫月を見て驚いた顔をした。


「いた──」

「いた、じゃないし!」


 彼の目の回りの皮膚はところどころひきつれ、赤く腫れている。

 紫月はその痛々しい傷痕を見て泣きそうになった。


 碧霧は鞍から降りると、紫月に向き合った。本当は歩み寄りたいところだが、いろいろ気まずくて彼はその場に立ち止まった。

 もちろん謝ることが第一だが、自分に呪詛をかけてきた男のことも気になった。しかし、彼女を問い詰める資格なんてそもそも自分にはない。


 なんとも言えない空気が二人の間に流れた。


 ややして、紫月が静かに口を開いた。


「どうしてあんなことをしたの?」

「紫月を──」


 守るためだと言おうとして、それが独りよがりな思いでしかないことに気がつく。


 では、彼女のことをもっと知りたかった? 確かにそれもある。


 でも、本当は──。


 碧霧は少し口ごもった後、ためらいがちに答えた。


「紫月を独り占めにしたかった」


 それから彼は、深く頭を下げた。


「ごめん」


 謝って許される訳ではないが、これ以外の方法がない。碧霧はただひたすら頭を下げ続けた。

 しばらくの沈黙。ややして、紫月があっけらかんとした口調で言った。


「ねえ、遠乗りに行かない?」 


 碧霧が、ばっと顔を上げる。紫月が何でもなかったように碧霧に歩み寄った。


「空馬に乗せてくれるんでしょ? そうね、遠峰に行きたいな」


 切れ長の瞳がにこりと和む。

 碧霧は信じられないと彼女を見返した。


「……紫月、許してくれるの?」

「許すも何も、私もあなたにいろいろ謝らなきゃいけないし」


 そう言って、なぜだか紫月が含みのある笑みを浮かべた。

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