7.さらえば良かった

 その日、空馬に覆い被さるようにして碧霧が帰ってくると、奥院は騒然となった。

 なんせ、伯子が両目に呪詛をかけられ戻ってきたのだから当然だ。


「早く薬所くすどころの者を呼べ!」


 碧霧の腕を肩に担いで長い廊下を歩きながら左近が誰かに指示を出している。左近に引きずられるような形でしばらく進むと、障子戸を乱暴に開ける音がした。


「碧霧さま、部屋に着きました」


 忙しなく言って左近が碧霧を部屋の中央に座らせる。

 あちこちに書物が積み重ねられ、散乱しているのは母親譲りだ。庭先には鉄の小さな檻があり、中に火トカゲが数匹ほど飼育されている。


 けたたましい足音に驚いたのか、檻の中の火トカゲが一斉に体から火を吹き始めた。


 左近が脇息を引っ張り寄せ、碧霧にあてがった。彼はぐったりとした様子で脇息にもたれかかった。


「何があったのです?」

「なんでもない」

「なんでもないで、両目に呪詛は受けません!」


 ま、そうなんだけど。

 燃えるような両目の痛みと戦いながら、碧霧はあれこれと考えていた。上手くいっていたのに、最後に誰かに阻まれた。


(あれに気づくなんて──)


 しかも、式神とした媒体の小枝を通して呪詛まで返してきた。相手はかなりの術者だ。そして何より、


「男だった……」


 顔も姿も分からない。ただ、ナナフシが折られる直前に耳に入ってきた声が男だった。

 碧霧の独り言に左近が訝しげに眉をひそめる。しかし、碧霧は目が見えないことも手伝って、左近を無視して「くそっ」と悪態をついた。


(誰だ? まさか、その男に囲われているとか──)


 こうなると、妄想が妄想を呼ぶ。夜な夜な男に食い物にされているんじゃないかと、いてもたってもいられない。

 こんなまどろっこしい真似をして失敗するくらいなら、さっさとさらってきた方がマシだった。


 そうこうしている内に薬所くすどころから薬師がやってきた。

 ちなみに、阿の国にまともな医療などない。そもそも誰も病気にかからないし、それを積極的に治療するという考えがないせいだ。


 だから薬師と言っても名ばかりで、せいぜい痛み止を処方するのが関の山だ。

 呪詛が相手なら、前線で様々なあやかしと戦っている六洞りくどう衆の方が詳しいのではないかと思うくらいだ。


 案の定、薬師の男は碧霧のただれた両目を一通り見て「うーん」と難しい顔で唸った。


「呪詛を解かねば、効く薬などありませぬ」

「ええい、なんのための薬師だ」

「やめろ、左近。その通りだ」


 目の前の誰かも分からない薬師を庇いつつ、薬所くすどころは呪詛の研究も取り入れた方がいいなと、余所よそ事のように考える。


 刹那、慌ただしい足音とともに、今度は騒ぎを聞きつけた千紫が部屋に現れた。


「碧霧!! これは、いかなることじゃ?!」


 息子のただれた両目を見た途端、千紫が悲鳴のような声を上げる。そして、左近をきっと睨みつけた。


「左近、おまえは何をしておったのか!」

「申し訳ございませぬ」

「母上、やめてくれ」


 すかさず碧霧が声だけで二人の間に話って入った。 


「俺が帰れと言ったんだ。左近を責めるな。そんなことをしたら、俺が一人で出歩けなくなるだろ」

「一人で?」

「そうだよ。だから左近は悪くない」


 千紫が途端に厳しい目を碧霧に向けた。


伯太はくたいの儀を間近に控えた大事な時期に一人でどこで何をしておった?」

「それ、いちいち母上に言わないといけない?」


 反抗的な息子の態度に千紫がぎりっと歯噛みする。しかし彼女は素早く気持ちを切り替えると、部屋の外に向かって声をかけた。


「雪乃、おるかえ?」

「はい、これに」

「至急、落山に行って欲しい」


 千紫が立ち上がり、小声で侍女の雪乃に指示を出す。また何を思いついたのやらと、碧霧は嘆息した。こんな呪詛、三日も寝ていれば治るだろう。


 それよりも、尾行していたことが紫月にバレてしまったこととか、もう二度と会ってもらえないかもしれないこととか、そちらの方がよほど気が滅入った。


「ちょっと休むから一人にして」


 碧霧は千紫と左近に声をかけた。そして、奥の寝間に布団を求めて四つん這いで移動した。何も見えない暗闇の中を進むと、ややして布団の端が指に触った。


 彼はそのまま行儀悪く布団になだれ込んだ。


「寝間着は後で着替えるから持ってきておいて」

「一人で大丈夫かえ? 侍女衆の誰かに着替えを手伝わせよう」

「ベタベタとうっとうしいからいい。どうしてもというなら左近に頼む」


 ごろりと布団に横になりながら、碧霧はうるさそうに答えた。

 こっちがその気もないのに、女にベタつかれることほど疲れることはない。すると、自分もうっとうしい者の一人だと思ったらしく、千紫はため息混じりに立ち上がった。


「後から薬を持ってこさせる。左近に塗ってもらえ」

「お気遣いどうも」


 そんなもの気休めにしかならないだろうな。

 適当に母親に答え、碧霧はそのまま意識を手放した。

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