6.悪趣味の代償

 それから二人は、吽助のことや空馬のことなど、どうでもいい会話をして、その日は別れた。彼の馬は、「疾風はやて」という名前で、名前を呼ぶとすぐに主人の元へと現れた。良くしつけられている。


「じゃあまた」

「うん、またね」


 はにかみながら挨拶を交わし、紫月はくるりと踵を返すと歩き始める。

 少し歩いて振り返ると、まだ彼がこちらを見ていた。それに笑顔で応えて再び前を向く。何度も振り返っていたらみっともないので、彼女は振り返りたくなる衝動をぐっとこらえて歩くことに集中した。


 碧霧は、紫月の後ろ姿をじっと見つめていた。

 彼女の姿がある程度小さくなってから、すぐそばの小枝を折る。そこにふうっと息を吹き掛けると、枝がナナフシに変化した。式神だ。


 もともと式神は、あやかしに対抗するために編み出された人の国の技である。

 今では、月夜の里の軍事を司る六洞りくどう衆では基本的な技として教えられており、里守さとのかみ六洞重丸を師とする碧霧も当然使える。この技を六洞衆にもたらしたのは、伏見谷の猿師だと聞いている。


 碧霧はそっとナナフシを紫月に向かって放した。


 ナナフシが細い体と足を延ばして飛び立った。目を閉じるとナナフシからの映像がまぶたに映し出される。紫月の後ろ姿を捉えたところで着地させ、気配を消して慎重に後をつけさせた。


 よし、大丈夫。彼女は気づいてない。


 そこまで確認してから、碧霧は空馬にまたがった。後は、彼女がどこに辿り着くかである。

 紫月は一人で月詞つきことを歌えるようになったと言っていたが、碧霧は信じきっていなかった。となると、教えているのは元伯家の末姫ということになる。


 藤花は人の国の伏見谷へ輿入れする身であるから、人の国の霊獣である狛犬がいても不思議ではない。加えて、藤花に娘がいる訳がないので、彼女は藤花の娘でもない。となると、近くに住んでいる家元の娘というのがやはり濃厚だ。


(特注織りの小袖を作るほど財力のある家元──)


 誰だろうと考えを巡らせる。

 いないことはないが、碧霧の知っている者はどれも金の力にモノを言わせる鼻持ちならない二つ鬼ばかりだ。


(そもそも一つ鬼なんだから、直孝おうのように執院にかかわっていないかもしれないな)


 今の執院は、二つ鬼を中心にして回っている。一つ鬼はまったくいない訳ではないが肩身は狭く、ほぼ排除されていると言っていい。くだらない差別だと碧霧は思う。


 そうこうしている内に、紫月は細い山道に入っていく。ずいぶんと東の外れだ。やはり、端屋敷はやしきに向かっているのかもしれない。


 彼女の素性がこれで分かるかもしれないと思うと、碧霧は少なからず緊張した。


「ごめん、紫月」


 碧霧はひとり呟く。

 密かに後をつけるなんて、最低なことをしている自覚は十分にある。

 でも、これも紫月を守るためだと碧霧は自分に言い聞かせた。




 一方、紫月は碧霧と別れ、明山あからやまからさらに東へと向かう小さな山道を吽助うんすけとともに歩いていた。この先に藤花の屋敷がある。


(楽しかったな)


 自然と顔が緩むのが分かる。今日は遠乗りに誘われてとっさに素っ気ない態度を取ってしまったが、今度は二人で行ってもいいかもしれない。


 どこの誰かも分からないけれど、やっぱり悪い鬼じゃないと分かった。それと、ちょっと自信家であることも。

 その時、ふいに背後で気配を感じ、紫月はぱっと振り返る。


「……気のせい?」


 誰かに見られている感じがした。が、周囲には誰の影もない。

 紫月は再び歩き始める。

 しかしその時、


「姫、今お帰りで?」


 背後から声をかけられ、再び振り返ると、そこに細面の壮年の男が立っていた。


 阿の国でも、ちょくちょく見られるようになったシャツとズボンを着て、短く切られた黒髪は後ろに撫でつけられている。

 そして、何より彼の頭には角がない。この現代風の格好の男は、人の国の伏見谷に住む「猿師」と呼ばれる妖猿である。


百日紅さるすべり先生! 来てたのね」


 紫月はほっと顔をほころばせ、彼に駆け寄った。

 すると、猿師は厳しい顔で片手を広げて紫月に差し出した。手の平に二つに折られた小枝が乗っていた。


「……これは?」

「式です」


 言って猿師は鳶色の瞳を鋭く光らせ紫月に言った。


「誰と会っておられた?」

「え?」


 紫月は戸惑った顔を猿師に返しながら思わず言葉に詰まる。そんな彼女の様子を見ながら猿師は皮肉げな笑みを浮かべた。


「よく出来た式神だ。これは──、人の国風で言うとGPSとカメラ機能が搭載されている」

「ジ……、カメ?」

「要は後をつけられ、覗き見られていたということですよ」


 最後は吐き捨てるように言って、猿師は小枝に向かってブツブツ唱え始めた。そして最後に、人差し指で小枝をなぞる。


「先生、何をしているの?」

「それ相応の報復です。両目に呪詛をかけました。カメラ機能を搭載したのが仇となりましたな」

「そんな、ダメよ!」

「なぜ? こんな悪趣味なことをするのは誰です?」


 鳶色の瞳がここぞとばかりに紫月を射抜いた。


 そして、紫月から遠く離れた場所では、碧霧が両目を押さえて空馬の背から崩れ落ちた。

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