5.碧霧、頑張って紫月を誘う

「なに、それって私を誘っているの?」


 ま、ぶっちゃけそうなんだけど。


 思ったことをそのままぶつけて来るなと碧霧はたじたじになる。紫月は「うーん」と首を傾げた。


「でも、ここに来ていることがすでに遠乗りにみたいなもんだし、」


 本当に食いつき悪いな。

 遠乗りに誘って、こんなに気乗りのしない顔をされるのは初めてだ。

 しかし、ここで怯む訳にはいかない。碧霧は、かまわず話を進めた。


「空馬に乗ったことは? 一緒に乗らない?」

「別にいい。私には吽助うんすけがいるもの」


 あっけなく断られ、碧霧はがっくりと肩を落とす。

 空馬で誘ったら大抵の姫君は喜ぶのに、彼女にはこちらの「大抵」は通じないらしい。


 こちらの気も知らないで、紫月は隣で大人しく座っている吽助を撫でた。狛犬が気持ち良さそうに目を細めた。


 それならと、今度は狛犬に彼は狙いを定めた。


「吽助に触ってもいい?」

「いいよ。だけど、」


 吽助を碧霧の前に出てくるよう促しながら紫月が言う。


「気をつけてね。この子は気難しいから、気に入らなかったら頭からガブリといくよ」

「や、ちょっと。いつも大人しそうだけど、そんなに獰猛どうもうなの??」


 たじろぎながらも触らせてくれと言った手前、碧霧はおそるおそる手を出す。吽助が鼻を鳴らして彼の指先の臭いを嗅いだ。


「よし、いい子だ。よろしくな、吽助」


 ゆっくりと慎重に狛犬との距離をつめつつ、碧霧は吽助の太い首に手を回した。いかつい顔を覆う白い毛は意外とふわふわしていて気持ちがいい。


 紫月が「へえ」と感心した声を上げた。


「吽助が初めての相手に首を触らせるなんて」

「ダメなの?」

「一番ガブリといきそうなところ」

「そういうことは、先に言えよっ」


 慌てる碧霧をよそに、笑いながら紫月が狛犬の背中を撫でた。


「いいじゃない。認めてくれたみたいだから」

「そういう問題じゃないしっ」

「でも、本当に気に入らなかったらどこを触ってもガブリといくのよ。こんなにすんなりなのは珍しいわ」

「……ふうん。じゃあそれは、紫月のおかげかな? 紫月が俺を気に入ってくれているみたいだから」


 触らせてくれたお礼と冗談を兼ねて碧霧は茶化しぎみに言った。


 紫月の狛犬を撫でる手がピタリと止まった。


(あ、怒ったかな?)


 そう思って彼女の顔をそろりと覗く。

 すると、彼女は目を落ち着きなく泳がせながら口をむうっと尖らせ、困ったような表情をしている。黒髪の隙間から見える両耳は、ゆでダコのように真っ赤だ。


 ええ? もしかして、照れてんの??

 めちゃくちゃ分かりやすくて可愛いんですけど。


 碧霧は思いっきり顔をほころばせた。


「まさか、本当に俺のこと気に入ってくれて──ぶっ!」


 刹那、紫月が乱暴に碧霧の口を両手で塞ぐ。

 そして彼女は、顔を真っ赤にして彼を睨んだ。


「自信家! うぬぼれ屋! そ、そんなわけないでしょ!!」

「もがっ、ぷはっ。息できないって」


 紫月の手を口元から引きはがし、碧霧は彼女の両腕を捕まえる。

 ひょいっと引っ張ると、体勢を崩した紫月がいとも簡単にこちらの胸に転がり込んできた。

 碧霧は満面の笑みを浮かべて彼女を見た。


「でも、まんざらでもないとか思ってくれている?」

「お互いのこと、何も知らないじゃない」


 紫月はぶんっと掴まれた手を払い、落ち着かない様子で碧霧の胸から逃げる。碧霧は残念そうに肩をすくめた。


「俺、運命感じるんだけどな」

「その割りには、葵って名前しか教えてもらってない」

「ま、そうなんだけど」


 やっぱりそこに行き当たるよな、と碧霧は思った。

 しかし、そうは言っても、自分の素性を明かすわけにはいかない。


 素性を明かさず、誠意って伝わるものだろうか。


「ねえ紫月、これからもずっと会える?」


 ひとまず面倒なやり取りは脇に置いて、今の気持ちを率直に口にする。

 紫月は少し考えを巡らせた後、複雑な顔で小さく頷いた。


「会うだけなら……」

「やった」


 とりあえず、こちらの手の内に繋ぎ止めておければそれでいい。

 碧霧は満足そうに口元を緩めた。


 一方、紫月は閉じていた感覚をこっそり解放する。

 森の澄んだ気とともに碧霧の気が紫月の中に流れ込んできた。この前と同じ、ほこほこと暖かい大きな気だ。

 相手に気取られないよう、素知らぬ顔であれこれ探る。心が読める訳ではいが、相手がどんな心持ちでいるかはなんとなく分かる。


 そこには、多少の緊張感はあっても優しい感情があるだけでトゲトゲしい悪意のようなものは何もない。やっぱり悪い鬼じゃないとほっとしながら、紫月は罪悪感で胸がちくりと痛んだ。


 こんな相手の感情を覗き見るようなやり方は最低だ。彼のような相手なら、なおさら騙している気分になる。


(ごめんね、葵)


 心の中で謝りつつ、自分の身を守るためだと言い聞かせる。どちらにしろ、こちらも素性を明かせないのだから、この話題は深追いするつもりは紫月にもない。

 彼の気は不思議なほど心地良い。包まれていると、ちょっと、けっこう安心する。

 で、あまりに心地がいいもんだから、無断で勝手に包まれている。


(でもこれって、バレたらドン引きされちゃうな)


 それだけは避けないといけない。紫月は、相手に悟られないよう、素っ気ない態度を取り続けた。


 

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