2.葬り去られた歌

「末姫?」

「元伯家二の姫、藤花さまにございます」


 碧霧は、戸惑いながら後ろに控える守役を振り返る。


 東の山に元伯家の末姫が幽閉されていることは知っている。しかし、その存在と今の山の状況がすぐに結び付かなかったからだ。左近も同じように戸惑った顔を返してくるだけだ。


 その様子を見て、直孝は「ははは、」と笑った。


「藤花様は、天地あまつちを癒す知恵をお持ちです。おそらく、その影響が大きいかと思われます」

「知恵、ですか?」

「はい。元伯家が伯家たりえたもの──、かの姫は月詞つきことの歌い手です」

「ツキコト……」


 碧霧が繰り返すと、直孝が探るような目を向けた。


「ご存知ですかな?」

「ええ、天地あまつちとの会話だと。そらの声を聞き、つちの息吹を感じる歌であると聞いたことがあります。歌自体は、その、実際に聞いたことはありませんが」

「今の鬼伯は月詞つきことを否定しておいでだ。御座所おわすところで、月詞の話を公然とする者はおりますまい。誰からお聞きになられた?」

「それは……、里でたまたま知り合った者に」


 碧霧は背後の左近を気にしながら曖昧に答えた。

 左近の預かり知らない所で預かり知らない誰かと繋がりができていることを知られたくなかったからだ。ちらりと左近の顔を盗み見すると、案の定、彼は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


 直孝が二人の顔を見比べて、

「ま、誰からであっても大した問題ではありません。それよりも──」

 と素早く話を本筋に戻す。


 どうやら気を利かせてくれたらしい。

 碧霧は、こっそり「助かった」という視線を直孝に送った。そんな碧霧の視線を受け止めつつ、直孝が彼に言った。


「月詞を聞いたことがないと。お聞きになりますか?」

「え?」


 碧霧は驚いた。今、この月夜つくよの里で月詞を歌える者はいないと聞いていたからだ。直孝がにこりと笑った。


「伯家には遠く及びませんが、私も多少なりと歌えます」

「それはぜひ、聞きたい」


 碧霧は身を乗り出した。

 左近が背後から止めにかかるので、今度ははっきりと睨みをきかせて黙らせた。


「では、」


 直孝が庭に向き直り、あらためて居ずまいを正す。目を閉じ、じっと何かに耳を傾けている。さわさわと吹く風が庭木の枝を揺らした。ややして、彼は静かに口を開いた。


 独特の抑揚と旋律。彼の口から紡がれる言葉が風と入り交じり空へと消えていく。同時に、庵を包む空気が明らかに変わった。


 左近が後ろで「なんと美しい歌か」と感嘆の言葉をもらす。

 しかしそれは、あまりにもつたなく、たどたどしかった。


 そう、碧霧は彼の歌う月詞つきことが未熟なものだと分かった。

 なぜなら、もっと完璧なものを彼はすでに聞いたことがあったからだ。


 歌い終えた直孝がふうっと大きく息をつく。


「耳汚しを。これはつち御詞みことにございます」


「……あ、ありがとうございます」


 しかし碧霧は、にわかにそれどころではなくなっていた。


(あの歌だ。紫月が歌っていた──!)


 独特の抑揚、空気に溶けていくような旋律、聞き間違えようがない。


(どういうことだ?)


 碧霧の頭は混乱した。から月詞の存在を聞き、「歌を探せ」と言われ、その意味も分からないまま探し続けていた。

 こっそり昔の文献を調べたり、歌が上手いという噂の姫の元を訪ねたり、里中の路上で金を稼ぐ歌い手を見に行ったり、思いつくことは全てやった。

 しかし、どれもただの歌でしかなく、天地あまつちと対話するような歌とは思えなかった。


 だから彼女の不思議な歌声を聞いた時、自分が探していた歌は「これかも」と思った。

 しかしあくまでも、「彼女なら歌えるかもしれない」程度の認識で、それが月詞そのものだとは思っていなかった。


 なぜなら、月詞は忘れ去られた歌、いや、父旺知あきともに葬り去られた歌であるからだ。


 碧霧は自分の動揺を隠しつつ直孝に尋ねた。


「それは練習をすれば、誰でも歌えるようになるのでしょうか」

「残念ながら生まれながらの素質に大きく左右されます」


 直孝が答える。


「これまでも歌い手はほぼ一つ鬼、特に元伯家はこの力をもって北の領を治めていたと言っても過言ではありません。月詞は、自然の霊気を味方につけ、天地あまつちと共に生きる知恵にございます。痩せ枯れた北の地を、豊かな実りある地に変えたのは、元伯家が持つ月詞つきことの力にるところが大きい」


 豊かに作物が実る土地は、当然ながら多くのあやかしが住み着き、力を肥やす。霊力の高い者たちが住み着けば、それが北の領全体の力となる。

 武力をいたずらに増強するだけの今のやり方とは大違いだ。


「しかし三百年前、今の鬼伯がそれを否定なされた」


 淡々とした口調とともに直孝の鋭い視線が碧霧に突き刺さった。左近が膝を立てて中腰になり、直孝を睨んだ。


「直孝殿、碧霧さまはその鬼伯のご子息です。言葉が過ぎますぞ」

「いい、大丈夫だ。続けてください」


 自分が向き合わなければならない事実であると、碧霧は分かっていた。

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