2)内緒な二人の探り合い

1.多忙な伯子、某所を訪ねる

 紫月と初めて会った日から、五日が過ぎた。

 本当ならもう一度紫月に会いに行きたいが、伯子は何かと忙しい。


 今の碧霧は立場的には鬼伯の補佐役といったところだ。しかし、実際の補佐は千紫や次洞じとう佐之助がやっている。

 実質的には、鬼伯の雑用係と言った方が正しいと碧霧は内心思っている。


 そんな雑用係でも一応は伯子としての地位があるので、いろいろな陳情や口添えの要望が舞い込んでくる。日々、執院のあちこちで行われる会合に呼び出されるのだ。


 そういう雑務が落ち着いて、碧霧は久々に外に出た。

 しかし、今日は左近と右近のお供付きだ。行き先は決まっている。元地守つちのかみだった男に会いに行くのだ。


 碧霧が北の領のまつりごとに関わるようになってからずっと問題視している案件がある。

 それが、南西部の土地の荒廃だ。鉄の製造に川が汚され、土が疲弊しているのが主な原因である。


 特に下流域の沈海平しずみだいらの状況はひどい。


 上流から流れ着いた細かい鉄クズが、平野に錆び付いた状態で長年堆積し、かつての肥沃な大地は赤く錆びた土地へと化していた。


 その惨状を碧霧はかねてから洞家会で訴えていた。しかし、鬼伯をはじめとする洞家の面々の反応は鈍い。「以前と何も変わらないが?」と言う輩もいるくらいだ。


 その沈海平しずみだいらで、不穏な動きがあるという知らせを千紫から聞いた。

 碧霧にしてみれば当然の結果である。反乱が起きたとなれば、鎮圧の兵を向けることになるのだろうが、根本の原因をなんとかしなければ激しい抵抗に遭うことも予想される。


 御座所おわすところから空馬で地を走り、東の里中に近い家元屋敷が集まる区画へと向かう。ややして、左近が小さな門を指差した。


「碧霧様、あそこです」


 門は苔むし、敷地を囲う竹の垣根もうらぶれている。碧霧は門前で馬から降りると、中の様子を窺った。細い通路の向こう、小さな庵が見えた。


「ここか」

「はい。父上から直孝様には話をしてあるとのこと、このままお邪魔させていただきましょう。右近、玄関先で待て。誰も中に入れるな」

「分かりました」


 すると、


「このあばら屋を訪ねてくる者はそうそうおりますまい」


 落ち着いた声が庭から聞こえ、門の奥から一つ鬼の男が現れた。古びた衣服ではあるが、大切に着こんだと分かるそれは、しわの刻まれた初老の顔に良く似合っている。

 男は、碧霧を見て頭を下げた。


「伯子碧霧さまとお見受けいたします。元地守つちのかみを担っておりました直孝にございます」

「……姓は?」

「以前は四洞しどうを賜り、四洞直孝を名乗っておりました。しかし、今はそれも召し上げられ、また必要もなく、ただの直孝にございます。話は重丸殿から伺っております。さ、こちらへ」


 直孝に促され、碧霧は細い通路を進み入った。



 苔むした庭に面した部屋に通され、碧霧はお茶を振る舞われた。

 茶碗の縁が欠けており、左近が眉をしかめたが、碧霧は無言でそれを制止して、何事もなくお茶をすすった。


「今日はあなたに知恵を貸していただきたく参りました」

「土地の穢れについてですね」

「はい。重丸に相談したら、あなたを紹介されました。政変後、地守つちのかみの任を解かれたにもかかわらず、土地の浄化に尽力されたとか」

「尽力などと、」


 直孝が小さく笑った。


「ただの意固地な老人のお節介にございます。家財を全て使い果たし、妻は死に、子も愛想を尽かしてどこかに行ってしまいました」


 碧霧は畏敬の念を込めて大きく頷き返した。そして、一呼吸置いてから話を切り出した。


「俺は、北の領の山野を広く見て回りました。そして、一つだけ気づいたことがあります。それは東西の被害の違いです」


 直孝が片眉を上げて碧霧に先を促す。彼は勇んで言葉を続けた。


「今、鍛冶場は東西の山にあり、互いにその技を競わせている。当然ながら川の汚れも同じような状況です。何度も川の汚染について進言を繰り返した結果、最近になってようやく鍛冶場で使う水はしてから川に流すようになりました。その甲斐あってか、東は少し土が元気になりました。しかし、西はひどい。土地が弱り果てています。この東と西に何の違いがあるのかと思うのです。いろいろ見て回り、見比べても違いが分からず──」


「思い当たることはいくつかありますが、里東さとひがしには末姫すえひめさまがいらっしゃいます」


 碧霧の言葉をさえぎり、直孝が静かに口を開いた。

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