2 どっちが嘘つき?

 嘘の名前を平然と──。


 自分が嘘をついたことは棚に上げ、碧霧は責めるような目を彼女に向けた。

 しかし、彼女はさして悪びれる様子もなく、碧霧に冷めた目を返した。


「歌声が聞こえたっていうのは──私が歌っていた訳だし本当なんだろうけど、後は適当に嘘をついてるでしょ?」


 鋭く言い当てられ、碧霧は思わず言葉に詰まる。

 そんな彼の気持ちを見透かすように彼女は皮肉げな笑みを浮かべた。


「おあいにくさま。私、なんとなく分かるのよ。いきなり嘘をつく相手に、自分の名前は教えられないな」


 言って彼女は、話はもうおしまいとばかりに立ち上がった。


 あらためて見て、とても変わった小袖を着ている。

 いや、これは小袖か? と碧霧は思った。


 上半身は従来の小袖の形だが、襟元に白い花柄網模様のレースが付いている。そして問題は下の方、阿の国でも最近かなり見かけるようになった裾が大きくふわふわと膨れたスカートで、そこから健康的な素足が惜しげもなく出ていた。


「変わった小袖を着てるね。洋服みたいだ」


 少しでも話を引っ張ろうと碧霧は言った。

 それが乙女心をくすぐったようで、彼女は嬉しそうにくるりと一回転した。

 スカートの裾がふわりとひるがえる。


「でしょう? これは着物ドレス、自分で作ったの」

「へえ、器用だな。今はそんなの流行はやってるの?」


 すると彼女は馬鹿にするような笑みを浮かべた。


「あなた、世間知らずのぼんぼんでしょ? そんな堅苦しい格好してさ。今時、刀を腰に差しているなんて、女の子をナンパする格好じゃないわよね。一体どこのお坊っちゃま?」

「ちがっ、いろいろ違うし!」

「あらそう。じゃあ、その着ている衣服、いくらした?」

「え?」


 碧霧はとっさに答えられない。彼女がふんと鼻を鳴らして笑った。


「誰かに与えてもらっている証拠ね。相当上等な生地に見えるけど、自分がどれだけ良い物を着させてもらっているか知らないの?」

「それを言うなら君だって粗末な生地には見えないけど」

「私は、これをどれだけ大切に着ないといけないか分かっているもの」


 負けじと碧霧は言い返したが、すかさず彼女から言い返された。

 彼女は碧霧を上から下まで眺め倒すと、うーんと頭を捻ったあと、びしっと彼を指差した。


「あなた、洞家の鬼ね! 空馬なんて高価なものにも乗ってるし、間違いない!」


 彼女は自信満々に言った。


 鬼はいわゆる階級社会だ。

 鬼伯と呼ばれる王とその一族の伯家、その下に一部の特権階級の家がある。

 それが洞家と呼ばれるもので、次洞じとう家から九洞くど家まで、全部で八家ある。

 洞家の姓は、鬼伯が下賜かしするものだが、ここ何百年も動いていないのが実際のところだ。


 つまり彼女は、自分のことをどこかの洞家の鬼だと思ったらしい。

 当たらずとも遠からずってやつだ。


「まあ、そんなところかな」


 碧霧は曖昧な返事をした。

 妙に勘が鋭いので、下手な抵抗はせずに感じたことを正直に答える。

 ただし、やはり自分のことはあまり話したくないので、あえて正解は教えない。

 しかし「着物ドレスの君」は、碧霧の回答に満足げに頷いた。


「うん。今のは本当ね」

「そうだよ。さらに言うなら、葵も嘘じゃない」

「ふーん? じゃあ、ずっと葵って呼ぶわよ」


 着物ドレスの君がこちらを探るような顔で言った。


 一方、彼女の言葉に碧霧はひそかにほくそ笑んだ。

 なぜなら、「ずっと呼ぶ」なんて、これっきりの相手に対して絶対に言わないセリフだ。

 無意識だとしても、相手はこちらと繋がった。


「どうぞ。じゃあ君はなんて呼べばいい? 着物ドレスの君」


 会話の主導権を少しずつこちらに手繰たぐり寄せながら碧霧は彼女に尋ねた。

 こういう主導権争いは、何百年と生きた大人の鬼相手に嫌というほどやっている。


「できれば俺もずっと呼べるやつで」


 さりげなくそう付け加えると、彼女はひとしきり考えた後、観念したかのように小さく息をついた。


「紫に月で、紫月よ」


「紫月か、綺麗な名前だ」


 今度こそ、碧霧は彼女の名前を褒めた。

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