3 探されても困るもの
険しい連峰を背にした広大な平野に鬼たちは居を構え、町を造り、昔ながらの暮らしを続けている。
その
森に囲まれひっそりと建つそれは、有名な場所ではあるが、忘れ去られた場所でもあり、また、容易に近づけない場所でもあった。
たまに誰かが偶然に通りすぎるくらいが関の山の、閉ざされた屋敷だ。
その門前に紫月を乗せた狛犬が降り立った。
「ただいまぁっ」
門をくぐり抜ける時、薄い膜を通る感覚がある。
ここに住む女主人を守るため、強力な結界が結ばれているためだ。
「紫月、今日は少し遅かったのではないかえ?」
屋敷の奥から、艶やかな黒髪を後ろでゆったりと結んだ一つ角の美しい女性が出てきた。
この屋敷の主人であり、紫月の叔母にあたる藤花だ。
「うん。ちょっとね」
紫月は言葉を濁しながら返事をする。
今日、彼に会ったことは内緒だ。
洞家は月夜の里でも特権階級の者たちでもあるし、何より彼は二つ鬼だった。
鬼には大きく分けて二つある。
角が一本の「一つ鬼」、角が二本の「二つ鬼」だ。
たかが角の数の違いではあるが、「一つ」と「二つ」の違いは大きい。
藤花が角の数を気にするような女性ではないことは分かっているが、彼の素性が分からない以上、余計な話はしたくない。
「お腹が減っちゃった」
遅くなった理由を追求されたくなくて、紫月はあえて大きな声で空腹を主張した。
どかどかと家に上がる彼女の姿を見つめながら、藤花が「おや」と笑った。
「子供のように。ならば、
「うーん。でも母さまが待ってるだろうし帰るよ。芋饅頭とかない?」
「そうか?」
藤花が少し残念な顔をするので、紫月の胸がちくりと痛む。
無理もない。叔母はこの「東の
「明日また来ていい?」
仕方がないので、明日また来ることを宣言する。
藤花が嬉しそうに頷いた。
「もちろん、
「大丈夫、
紫月は「ね?」と首をかしげながら吽助を撫でた。
彼女の住む屋敷は、西の落山にある。
帰り際、二つ鬼の青年に住んでいる場所を聞かれて、とっさに「東の端」と嘘をついた。
ちょっと悪いことをしたなと、紫月は思う。
(洞家の鬼ってもっと偉そうかと思っていたけど、案外と優しそうな彼だったな)
自分の本心を隠すことに慣れているのか、さらりと嘘をつかれた。
しかし、さらりとしているのは表面だけ。それに相反した緊張感が伝わってきて、すぐに嘘だと紫月には分かった。
本心を隠すことは慣れているのに嘘は苦手。器用なのか、不器用なのか。
ただ、誠実なんだなということは分かった。
その証拠に、彼からは全く悪い感じはしなかった。
今思えば、西に住んでいると言っても差し支えなかったように思う。
(でも、探されても困るもの)
それに、藤花の屋敷に入り浸っている訳だから、あながち嘘でもないかと紫月は思い直すことにした。
一方、碧霧は高揚した気分で帰途についた。ふらりと遊びに出て、宝物でも見つけた気分だ。
山を出て、空馬の腹を蹴って一気に空を駆る。
しらばらくすると
南部に広がる色とりどりの小さな屋根が集まる部分は里中と言われる場所で、身分の低い鬼や雑多なあやかしが集まり暮らしている場所だ。
そしてそこから手前、赤土色の大きな屋根が帯のように東西に広がる。
北に近いほど色が鮮やかで、屋根も大きく敷地も広い。洞家たちの住居だ。
逆に、里中に近くなるほど、屋根の色はくすんだ赤色や灰色になり小さくなる。「家元」と呼ばれる者たちの屋敷である。
「家元」とは、自ら勝手に姓を名乗る者たちのことで、洞家とも繋がりが強く、臣下のような立場だ。
(東の端に住んでいるって言っていたけど……)
洞家の娘ではない。
しかし、人の国の霊獣である狛犬を連れていたり、妙に人の国にかぶれていたり、ただの里中の娘にも思えなかった。
帰り間際、どこに住んでいるか尋ねると「東の端」とだけ答えてくれた。
となると、どこかの身分の低い家元の娘かもしれない、というのが碧霧の最終的な見立てだ。
(東に住む家元たちの娘を全て調べさせる──、理由が立たないな)
どうにか居所を突き止められないかと、あれこれと考える。
今日会ったばかりで、こんな風に思うのは、ちょっとおかしいかなと自分でも思う。しかし、彼女の歌声を聞いた時、ようやく見つけたと思ったのだ。
これって、運命的な出会いじゃないか?
その時、
「碧霧様!」
彼を呼ぶ声が聞こえ、碧霧は振り返った。
すると空馬が二頭、ぐんぐんとこちらに向かって近づいてくる。
そして次の瞬間、
「無断でお出かけにならないでください!」
叱責の声が碧霧の耳をつんざいた。
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