1)出会いは小さな嘘とともに

1 君の名前は?

 昔、「歌を見つけろ」と言われた。


 そらの声を聞き、つちの息吹を感じる歌。

 どんな歌かも分からない、聞いたこともない。


 以来、自分はずっと探し続けている。

 まるで何かの呪縛のように。



 阿の国北の領、北東部。とある山中で、頭に角が二つある青年は乗っている馬の足を止めた。

 森の奥から不思議な歌声が聞こえる。独特な抑揚を付けた旋律と透き通る声は、碧霧の足を止めるのに十分なものだった。


(誰が歌っているのだろう……)


 碧霧は森の奥を注視した。


 彼は月夜つくよの里に住む二つ角の鬼である。

 深紫の瞳に色素の薄い茶褐色の長い髪を無造作に後ろで束ね、女かと思うような綺麗な顔立ちではあるが、精悍な目元や自信に溢れる口元が決してそうだとは感じさせない。


 二本の刀を腰に差し、身にまとう無地の浅黄うすきの小袖と藍の袴は、地味ではあるが見る者が見れば上質な物であるとすぐに分かる。

 とは言え、身分を隠して遠乗りに来ている本人は、これでも十分にくだけた格好をしているつもりだ。


 馬の進む方向を変え、碧霧は歌声のする方へと分け入る。

 季節は初夏、木々たちが若葉を茂らし始め、森は清々しい活気で満ちあふれていた。


 少し歩くと、さらさらと流れる小川に出る。そして、そこに自分と同じ年の頃と思われる女の子が川に足を浸して座り、気持ち良さそうに歌っていた。


 背中ほどの長さの黒髪を後ろへ流し、両サイドだけを短く切り揃えている。切れ長で、それでいて大きな深紫色の瞳はとても印象的だった。

 風変わりな小袖を着ていて、頭には一本の角。

 角の数は違うが、瞳の色が深紫色であるので、自分と同じ月夜つくよの鬼だと分かった。


 すると、彼女が碧霧の気配に気がつき、ぴたりと歌うのを止めた。彼女は警戒心をあらわに碧霧を見つつ、その瞳をつうっと細めた。


「……あなた、誰?」


 話し声さえ、まるで鈴の音のようだ。

 碧霧は、その美しい容姿以上に彼女の声に聞き惚れた。


 傍らには獅子かと思う大きく白い犬が座っていて、彼女に呼応するように低い唸り声を漏らした。彼女は大きな獅子をなだめながら言葉を続けた。


「何か用?」

「えっと──、たまたま通りかかっただけなんだけど、」


 馬上から見下ろす形で誰かと話すのは好きじゃない。

 碧霧は馬から降りると、彼女同様に今風の言葉で言い返した。

 堅苦しい口調も叩き込まれているが、ちまたでは、こういうくだけた口調が主流で、碧霧も若者の一人としてそこはちゃんと押さえていた。


 目の前の彼女がひくりと顔をひきつらせる。


「それ、空馬そらうまでしょ? 空を飛ぶ馬がなんで山の中をたまたま通りかかるわけ?」


 ま、確かにそうだ。

 とは言っても、あまりこちらの話はしたくない。碧霧は、とっさに話題を変えた。


「そういう君のその獅子は、とても利口そうだ」


 ひとまず相手の持ち物を褒めてみる。

 すると、彼女は「ふふっ」と得意そうに笑った。


「獅子じゃないわ。狛犬よ」

「狛犬? それって人の国の霊獣だろ?」

「そうよ」


 碧霧は驚いた。狛犬の存在は知っていたが、見るのは初めてだ。

 何より、その狛犬を、そこら辺の雑多なあやかしと同じように紹介する彼女にも驚いた。


「君が飼っているの?」

「違うけど、一番の友達なの。名前は吽助うんすけ、もじゃもじゃで可愛いでしょ」

「や、そのいかつい顔で?」

「そこがいいのよ、分かってないわね」


 彼女はふんっと鼻を鳴らす。そして、再び怪訝な目を碧霧に向けた。


「で、あなた誰?」


 ちぇっ、話が元に戻った。

 全然もたなかったなと、碧霧は心の中で舌打ちをする。

 しかし、もう少し彼女の声を聞いていたくて彼は名乗ることを決めた。


「俺は葵。ちょっと空馬で遠乗りに来ていて、この山は初めてで道に迷っちゃって。そしたら、歌声が聞こえたから気になって──」

「どこから来たの?」

「里西だよ」


 碧霧は慎重に本当と嘘を織り交ぜながら彼女に答えた。

 「葵」という名前は、幼い時に呼ばれていた愛称で、嘘ではないが本当でもない。遠乗りに来たことは本当、この山は初めてというのは嘘、そして歌声が聞こえたのは本当だ。

 ちなみに、里西から来た、は嘘である。

 バレやしないかと緊張するが、そこは顔には決して出さない。


「そっちの狛犬は吽助うんすけだっけ? じゃあ、君の名前は?」

「私は──、睡蓮すいれんよ」

「へえ、いい名前──」


 そう言いかけて、しかし、彼女の傍らで咲く睡蓮すいれんの花が碧霧の目に入る。しれっとした彼女の表情から、それが嘘だとすぐに分かった。


 こいつ──!


 碧霧はむっと彼女を睨んだ。

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