第42話 朝陽と駆流、そしてその頃の春果
「有馬! 今日東条は部活来てるか?」
ある日の放課後のこと。朝陽は音楽室から出た途端、走って来た駆流に捕まった。
突然のことに一瞬だけ驚いた表情を見せた朝陽だが、次には駆流の問いに対して困ったように首を振った。
「残念だけど今日も来てないんだよね」
「そっか、どうしたんだろうな……」
駆流が腕を組んで、廊下に目を落とす。朝日も同じように俯いた。
二人が春果とほとんど話すことがなくなって、十日ほどが過ぎていた。
「普段、自由参加の日以外はほとんど休まないんだけどね。こないだも新しい楽譜もらうのすごく楽しみにしてたんだけど、結局来なかったし。それからかな、全然部活来なくなったの」
「朝は? いつも一緒に登校してただろ」
「うーん、それが最近は迎えに行ってもいつも部屋着のままで、『先に行ってて』としか言わないんだよね。だから遅刻ギリギリに来てるみたい。たまにハルのクラスに様子も見に行ってるんだけど、休み時間は何でか毎回机に突っ伏してるから声掛けられないんだよね」
「じゃあ放課後は?」
「すぐ帰ってるみたい。何をそんなに急いでるんだかさっぱりわかんないけど」
朝陽がお手上げだとでも言いたげに両手を上げる。
「やっぱり、最近様子がおかしいよな。何か俺も避けられてるような気がするし」
「ハルの気に障ることでもしたんじゃないの?」
「いや、何もしてないはずなんだけどな。とにかく、何かわかったら教えてくれ」
そう告げると駆流は朝陽に背を向け、足早に去っていく。
朝陽はその背中を見送りながら、
「ハルってば、篠村にこんなに心配かけてること、ちゃんとわかってるのかね」
まったく、と大きく息を吐いたのだった。
※※※
結局春果のことは何もわからないまま朝陽と別れた駆流は、鞄を手に生徒玄関へと向かいながら最近のことを思い返していた。
(ホントにどうしたんだろうな)
もちろん校内でたまに春果を見かけることはあったし、クラスの友人たちとは普通に話しているようにも見えた。
だが、遠目に見るその姿はとても疲れているようで、駆流から積極的に声を掛けることは何となく躊躇われた。
朝陽も言っていたが、「休み時間は机に突っ伏してる」ということはあまり良い状態ではないのだろう。
何より、声を掛けようとしてもすぐに逃げられてしまう。自分と目が合っただけでさっと姿を消すのだ。まるで幻のツチノコのようだった。
たった一度だけ、運良く捕まえられてほんの少し話すことができた時があった。けれど、最後に「一緒に帰れるか?」と都合を聞くと、「今日はちょっと忙しいからまた今度ね」と疲れのようなものが張り付いた顔でやんわり断られた。
今はまだテスト前ではないから、徹夜で必死になって勉強をしているというわけでもないだろう。
ならば家庭のことで何か大変なことでもあるのだろうか、とも考えたが、聞いたところで春果のことだから「別に何もないよ」といつもの笑顔で答えそうで、その時はどうしても聞くことはできなかったのだ。
駆流はその後まさかここまで捕まらなくなるとは思っていなかったから、今になってちゃんと聞いておけばよかったと後悔している。
ちなみに電話をかけてみたこともあるが、その時はちょうど出られなかったのか、それとも無視されたのか、繋がらなかった。
(ここまで避けられるなんて、有馬の言う通り知らないうちに何かやらかしたかな……)
下駄箱の前で足を止め、しばし考えるが、駆流にはさっぱり心当たりがなかった。急に春果の態度が変わったとしか言いようがない。
しかし、靴を取ろうとしたその手がふと止まる。
(もしかして俺が腐男子だから……?)
強いてあげるなら、そのせいで嫌われた。それくらいだろうか。
今までは気を遣って話を合わせてくれていたのではないか。だが、とうとうそれに疲れて嫌になってしまったのか。
そんな考えが瞬時に頭の中をよぎった。
(それなら俺が近くにいると迷惑になる……のか?)
もし本当にそうならば、これ以上春果に近づかない方がいいのではないか、と思ったが、やはり春果の体調が悪そうなのは気になった。
どうして急に自分を避けるようになったのか、体調はどうなのか、病院には行ったのか、聞きたいことは山ほどあった。
一度きちんとお互いに腹を割って話をしたかった。
けれど、本当に嫌われてしまったのではないかと考えると、自分には今以上のことは何もできない、と諦めるしかなかったのである。
※※※
「今日も部活サボっちゃった……朝陽ちゃん怒ってるかな……」
帰宅した春果は、早々に部屋着に着替えると自室のベッドに倒れ込んだ。
「でももう少しだから……。『これ』が終わったらちゃんと部活行くから……」
呟きながら、ついうとうとしてしまう。
ちょっとだけ、と横になったところまではいいが、このままでは睡魔に負けてしまうだろう。何だか、締め切り直前の駆流のことが少しだけわかったような気がして、薄く微笑んだ。
「篠村くんはいつもこんなに大変なんだなぁ……」
ぼんやりと天井を見上げる。
春果の最近の睡眠時間は明け方の数時間だけになっていた。きっと駆流も締め切り前は毎回こんな感じで原稿をやっているのだろう。それならば、今回だけの自分はまだ頑張れるはずだ、と思えた。
不意に、最近は全然駆流と話をしていないことを思い出す。
「ホントはいっぱい話したいけど、こんなボロボロの顔見られるの嫌だし、それ以前に話の最中に今回のことポロっと言っちゃいそうで怖いんだよなぁ。だから電話もできないし」
こないだの告白のことも遠回しに聞きたかった。
駆流に告白してきた子はあれからどうなったのか、それはまったくわからない。
とりあえずわかる範囲では、駆流と付き合っている様子は見られなかった。一緒にいる姿を見かけたことがなかったからである。
たまたまそのタイミングを春果が見逃していただけかもしれないが、駆流に彼女ができたという噂も聞かなかったから、多分そういうことなのだろうと思うことにしていた。
そうでないと、今こんなに頑張ることはできていない。
「さて、本格的に寝ちゃう前に起き上がらないと」
よいしょ、とまだだるさの残る身体をどうにか起こし、立ち上がる。両腕を上げて大きく伸びをすると、眠い目を擦りながら机へと向かった。
またいつ駆流に告白してくる女子が現れるかわからない。できるだけ早く『これ』を完成させなければ、と春果は焦っていた。
椅子に座り、横にあるデスクライトをつけると、少しだけ眠気が覚めたような気がした。
机の上には以前に買った青と緑の二本のシャーペンが仲良く並んでいて、春果を応援しているように見える。
「……あと少しなんだから頑張らないと、うん」
春果は懸命に自分を鼓舞しながら、それらとは別のペンを手にした。
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