第39話 文化祭・2
吹奏楽部の演奏が直前に迫っていた。
春果は体育館のステージの舞台袖から何度もソワソワと客席を覗いては、同じように何度も肩を落としていた。
「篠村、まだ来てないの?」
「……うん、まだっぽい」
隣にいる朝陽が小声で訊いてくるが、春果は残念そうに頷くことしかできなかった。
ステージに上がって、自分の席についてからも客席をざっと見渡してみるが、やはり駆流の姿らしきものは見当たらない。
お客さんが多いから見つけにくいのもあるが、春果には駆流の姿ならすぐに見つけ出せる自信があった。
しかし、どれだけ探しても見つからない。やはりこれは来ていない可能性が高いな、と思った。
(……まだ忙しいのかなぁ)
きっと駆流目当てのお客さんがいっぱいで手が離せないのだろう。漠然とそんなことを考える。
自分が行った時も、駆流目当てらしい女子が何人か来ていたのを思い出した。
三人で話していた時にチラチラとこちらを見ているような視線を感じていたから、これは間違いないはずだ。
忙しいのは仕方がない。ただ、自分以外の女子に接客しているのかもしれないと考えるとさすがに嫉妬はしてしまう。
きっと抜け出してまで来てくれることはないだろう。
自分はそこまで優先されるような存在ではない。コンクールの時に来てくれただけで満足だ、と春果は自身にそう言い聞かせた。
「それでは吹奏楽部の演奏です。皆さんお楽しみください!」
いよいよ部長の明るい声がマイクを通して体育館に響き渡り、大きな拍手が起こる。
結局、駆流を見つけられないまま、演奏会が開演したのである。
※※※
今回はコンクールの時とは違い、客層に合わせ、誰にでもよくわかるような軽めのポップスや有名なクラシックを何曲か演奏することになっていた。
観客は皆、曲に合わせて手を鳴らしたり、口ずさんだりとそれぞれが思い思いに楽しんでいる様子だった。
曲が終わる度、体育館には沢山の拍手が響き渡る。それを何度も繰り返して、ついに最後の曲が始まった。
※※※
(遅くなった……っ!)
息を切らした駆流が体育館に滑り込んだのは、ちょうど最後の曲が始まった頃だった。
その姿は当然のことながら、ステージの上で演奏に集中している春果に気付かれることはない。
(まだ演奏は終わってない……って、お、知ってる曲だ)
駆流は周りの邪魔にならないよう、体育館の隅の方へと移動すると壁に背を預け、腕を組んだ。
(相変わらず楽器の方が大きく見えるな)
何だか微笑ましくて、思わず笑みが零れる。
(東条はいつでも、何に対しても一生懸命なんだよな)
演奏を黙って聴きながら、春果に向けてまっすぐに視線を送る。応援の視線。
今懸命に演奏している春果が、自分に気付くことはないだろう。それでも駆流は、春果の姿だけをじっと見据えていた。
※※※
演奏が終わり観客のほとんどが出払ったあたりで、吹奏楽部員がそれぞれ楽器と楽譜を持って体育館から出て行く。
春果も同じように朝陽と一緒に体育館から出たところで、待っていたらしい駆流の姿を見つけた。
小走りで駆け寄る。
「篠村くん、来てくれてたんだ!」
いつなのかはわからないが、ちゃんと来てくれていた。
そのことに、春果の心の中は安堵と嬉しい気持ちでいっぱいになる。
だが、そんな春果とは対照的に、駆流はわずかに表情を曇らせた。
「すごくいい演奏だった、けど……」
「けど、何!?」
何かまずいことでもやらかしたのかと焦る春果に対して、駆流は、
「……最後の一曲しか聴けなかった」
次にはそう付け加えて苦笑した。
「忙しかったんでしょ? 仕方ないよ。それに一曲だけでもちゃんと聴きに来てくれた」
春果がはにかんだような笑顔を向けると、
「そうだな。じゃあ定期演奏会の時はちゃんと遅刻しないように行くよ」
駆流も嬉しそうに目を細め、春果の頭に優しく手を乗せた。
(……あの時もこんな感じだったな)
コンクールが終わって、帰り際に話した時にも駆流はこうやって同じように笑っていた。
何度か頭に触れられているが、当然のことながら毎回緊張こそするものの、嫌だと思ったことは一度もない。
ちなみに、これが駆流の癖なのかはいまだに本人に確認していないのでわからないままである。
「うん、楽しみにしてる!」
えへへ、と照れながらも春果はさらに破顔する。
その少し背後から朝陽の声がした。
「ハル、行くよー!」
こんなところまでコンクールの時と一緒で、くすぐったい気持ちになる。
「今行く!」
すぐさま振り向いて朝陽に返事をすると、今度は駆流に向き直り、顔をしっかりと見上げた。
「じゃあ行くね」
「ああ」
手を振りながら別れ、朝陽の後を追う。
「待たせてごめんね、朝陽ちゃん」
「いいって。篠村、ちゃんと聴きに来てくれてよかったね。コンクールも来てくれてたし」
他人事なのにも関わらず嬉しそうな朝陽につられるようにして、
「うん!」
春果も満面の笑みで大きく頷いた。
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