第38話 文化祭・1
少し経ったある日曜日のこと。文化祭の二日目だった。
「朝陽ちゃん! ここ、ここ!」
「はいはい、ちゃんとわかってるって」
吹奏楽部の演奏を数時間後に控えた春果は、朝陽と共に駆流のクラスでやっているカフェに顔を出すことにした。
一人でも来れないことはなかったのだが、さすがにカフェに一人というのは少し寂しい気がしたのだ。そこで朝陽を誘うと、二つ返事で一緒に来てくれたのである。
「一組の教室に入るのって初めてなんだよね。うー、なんかすごい緊張するなぁ」
春果が教室の前で足を止める。隣を歩いていた朝陽も同様に立ち止まり、振り向いた。
「なんでそれだけのことで緊張するの」
「だって、この中で毎日篠村くんが授業受けたりしてるんだよ!? いつも使ってる机とか椅子とかあるじゃない! あと、あと……」
懸命に力説する春果に対して、
「あー、はいはい。わかった、わかった。ほら、さっさと入るよ」
適当に流した朝陽は、突っ立ったままでまだ何かを言いたそうな春果の腕を引っ張り、教室の中へと入っていった。
「いらっしゃいませー!」
いくつもの明るい声に迎えられながら、近くの空いている席につくと、すぐさま執事姿の女子がやってきて、メニュー表を恭しく差し出してくれた。
春果と朝陽は揃ってそれを覗き込む。
「じゃあティラミスセット一つ……と、ハルは?」
「えっと、私はショートケーキセットにしようかな」
メニューの種類は少なかったのでそれほど迷うこともなく、二人はその場ですぐに注文を済ませた。
「ふーん、今の子は執事なんだ」
メニュー表を持ってきてくれた執事の背中を眺めながら、テーブルに片肘をついた朝陽が言う。
「うん、執事&メイドカフェなんだって」
「へー、面白いね。で、篠村は? やっぱ執事? 篠村なら背も高いから似合うんじゃない?」
「あー、えっとそれなんだけど、男子は……」
春果がもごもごと言い淀んでいると、すぐ近くでとても聞き覚えのある低めの声が響いた。
「ショートケーキセットとティラミスセットお待たせ致しました!」
「え?」
即座に声の方に顔を向けた朝陽の表情が一瞬で固まる。
「……男子は、メイドなんだって……」
春果は、朝陽のその表情に苦笑いを隠せなかった。
※※※
「これ、大丈夫なの? バレない……?」
春果が心配そうに、コソコソとメイド姿の駆流に耳打ちする。
『これ』とは駆流の姿のことである。いつかのイベントを思い出させるような女装姿で、相変わらずの綺麗なモデルさんだ。
「いつもとは違うウィッグとメイクだから多分大丈夫」
ウィンクをしながらぐっと親指を突き立てる駆流は、どこかノリノリに見えて仕方がない。
確かに今日は明るいブラウンのウィッグで、長さもセミロングだ。いつもの黒髪ロングの時とは幾ばかりか雰囲気は違うように見えなくもなかった。
きっと男子みんなでワイワイ女装できるのが楽しいのだろう。この辺りは普通の高校生とどこも変わらない。ただのイケメン男子高校生だ。
「いや、メイク慣れしてる男子とかその辺は……」
ケーキに夢中の朝陽を横目に、春果がゴニョゴニョとさらに続けると、
「『メイクなんて初めてです!』オーラ出しといたから多分大丈夫!」
またも結構無責任な言葉が返ってきた。
(そんなこと言ってホントにバレても知らないぞ……)
春果は心の中でそう思いながら眉をしかめたが、口にはしない。
「……うん。オーラ出してたなら『多分大丈夫』だよね……」
駆流の自信がどこから来るものなのかは今回もさっぱりわからない。けれど本人が言うのだからきっと大丈夫なのだろう。
自分が心配するだけ無駄だ。
春果は自分をそう納得させて、小さく頷いた。
※※※
「あ、これ美味しい!」
ショートケーキを口に運んだ春果が頬に手を当て、嬉しそうな声を上げる。
「だろ!」
自分が作ったわけでもないのに駆流が自慢げに頷き、
「ティラミスも美味しいよ」
春果の向かいに座る朝陽もまた、幸せそうにケーキを頬張った。
朝陽は意外と甘党で、ケーキとかには目がない。春果の誘いを断らなかったのはケーキにつられたせいも若干ながらあるのだ。
駆流の手で運ばれてきた、近くの喫茶店から仕入れたというケーキと紅茶はとても美味しかった。
その喫茶店は他のメニューも美味しいらしいと駆流に聞いた春果は、いつか駆流と二人きりで行ってみたいな、行けたらいいな、と思った。
だが、いつか、とは本当にいつになるのかさっぱりわからないので、あくまでも望みということで留めてある。
朝陽と一緒になって美味しいケーキに舌鼓を打った春果は、
「この後、体育館で吹奏楽部の演奏があるの。もしよかったら聴きに来てね」
帰り際、駆流にそう告げてカフェを後にした。
言わなくても来てくれるかもしれないとは思ったが、念のため伝えておきたかったのだ。
「お腹もいっぱいになったし、そろそろ音楽室行こうか」
「うん!」
楽器の準備をしようと、二人は音楽室のある方向へと足を向ける。
その途中で、朝陽が思い出したように口を開いた。
「篠村のさっきの格好って……」
「えっ!?」
思わず春果の声が裏返る。
「な、何?」
まさか駆流の秘密がバレたのではないか、と内心でハラハラしながら朝陽の次の言葉を待つが、
「執事とはまた違った意味で似合ってて、綺麗だったんじゃない?」
そんな春果の焦りを知るはずもない朝陽はうんうん、と楽しそうに何度も頷いた。
「う、うん、そうだね! すごい綺麗だった!」
そういえば朝陽はイベントに行かないから知らないよな、と思いつつ、春果はほっと胸をなでおろしたのである。
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