第29話 コンクール、そして

 すでに学校は夏休みに入っていて、もうすぐお盆が来ようとしていた。

 コンクール当日。


(いい天気だなぁ……!)


 トラックから楽器を下ろす作業を手伝いながら、春果は爽やかな表情で空を見上げる。

 春果の心情を表したかのような、澄み切った青空がどこまでも広がっていた。


(絶好のコンクール日和だよね!)


 室内で行われるコンクールに天気はほとんど関係ないが、天気で気分が左右されることは結構ある。

 そして人によって程度は変わってくるが、気分は演奏にも関わってくることが多い。

 気分が落ち込んでいる時の音は何となく暗くなるし、逆に気分が良い時の音は明るく伸びのあるものになるのだ。


 今日の天気は春果にとってとても気分の良いもので、これならそれなりに満足できる演奏ができる、と思っていた。


(……そうだ)


 ふと昨夜のことを思い出す。


 駆流からの電話で「新刊の買い逃しはなかった」と聞いた春果は、買ってきてくれた駆流に感謝しながら、これで安心してコンクールに臨むことができる、とほっとしていた。

 心配していた新刊は無事に買ってきてもらえたし、子供っぽいと思いながらもてるてる坊主を作ったおかげか、今日の天気もすこぶる良い。ここまでの準備は万全である。

 後はしっかり演奏するだけだった。


(でも、ここしばらく篠村くんに会ってないなぁ……)


 春果は自分のトロンボーンが収まっているケースを運びながら、小さく息を吐いた。


(電話では話してるんだけど)


 夏休みに入ってからは、特に会わなければならない用事もなかったので、いつものように数日に一度電話で話す程度になっていた。

 電話であっても話ができるだけ全然マシだ、とは思う。顔すら知られていなかった一年生の冬休みや春休みの頃から見れば目まぐるしい進歩だ。


 だがやはりちゃんと会って、直接顔を見て話をしたいというのが本音だった。

 そのことを寂しく思っていた春果は何とか駆流に会えないだろうか、と色々画策しようとしたが、いい案がほとんど出なかった上に、かろうじて出てきた案はほぼストーカーじみたものだった。

 もちろんそれは即座に却下して、家まで直接会いに行くことも考えたが、用事もないのに会いに行く勇気が出るわけもなく、結局そのままになっていた。


(でも、今日は聴きに来てくれるって言ってたし、もしかしたら久しぶりに会って話せるかも!)


 聴かれて恥ずかしくない演奏をしなければ、と拳を握って気合を入れた。



  ※※※



 今年の結果もやはり銀賞だった。


 当然といえば当然だし、銅賞ではなかっただけマシだろう。

 今日の自分は練習の時と同じように演奏できていたし、ミスだってなかった。全体的にもきっと恥ずかしくない演奏ができていたはずである。


 その結果が銀賞だった、ただそれだけだ。


 銀賞なのは毎年のことだとわかっていた。わかっていて入部したんじゃないか。

 春果は内心では悔しく思いながらも、そう懸命に自分に言い聞かせ、慰めた。


 結果発表が終わると、部員全員が一斉に帰る支度を始めた。貸切バスで学校まで帰って、そのまま音楽室で反省会が行われるのだ。

 反省会と言っても特にたいしたものではない。顧問の教師が簡単に今日の演奏の感想を述べ、来年もまた頑張りましょう、と締めくくる程度である。


 他の部員と同様に春果も支度をしていると、隣にいた朝陽にいきなり肘でつつかれた。


「な、何? 朝陽ちゃん」

「あれ、篠村じゃない?」

「えっ!?」


 慌てて朝陽の指差す方へと視線を向けると、よく見知った姿が瞳に映る。

 すらりとした長身の少年。

 見紛うことなき駆流の姿だった。


「朝陽ちゃん! ちょっと行ってくる!」


 朝陽に自分の鞄を押し付けながらそれだけを告げ、返事を待たずに駆け出す。

 そのまま駆流を追いかけるが、背が高いのが幸いして見失うことはなかった。

 まっすぐに出口へと向かうその背中をしっかりと見据えながら、必死に後を追う。


 そうして、どうにか人混みをかき分けて、駆流のシャツの袖をしっかりと掴んだ。


「篠村くん!」


 足を止めた駆流が、振り向く。驚いた表情だった。いきなり袖を引かれたのだから当然の反応である。

 しかし、春果は対照的に安堵した表情を浮かべた。

 久しぶりに見る駆流の顔は、いつもと何一つ変わらない。

 そんな当たり前のことが、何だか、とても嬉しかったのだ。


「東条、久しぶりだな!」


 袖を引いた人物の正体を知った駆流が、見下ろしながら顔を綻ばせる。


「うん、久しぶり!」


 大きく肩で息をしながら、春果も満面の笑みで答えた。


 やっと会えた。夏休みに入ってからは初めてだ。

 駆流に会えたのと同時に、本当にちゃんとコンクールを聴きに来てくれたことが何より嬉しかった。


 今日の演奏は駆流にとってどんな風に聴こえただろうか。銀賞だったことは置いておいて、率直な感想が聞きたいと思う。


「あの、今日の演奏、どうだった……?」


 おずおずと春果が切り出すと、


「すごくよかったよ。みんなすごく楽しそうに演奏してた」


 聴いてた俺も楽しかった、と駆流はさらに笑みを深めた。


「でも銀賞だったんだけどね」


 春果がわずかに苦笑する。けれど、少なくとも駆流にとっては良い演奏だったようで、そのことには安心した。


「結果はそうかもしれないけど、音楽は『音を楽しむ』って書くだろ? だから苦しんで金賞取るよりも、楽しんで演奏できる方が絶対いいって」


 な? と宙に文字を書いて見せる駆流の姿に春果ははっとする。


 まさに真理とも呼べるものだった。賞にこだわることも時には必要ではあるが、『音を楽しむ』のは何より大切なことだ。


「そっか……そうだよね、ありがとう!」


 春果は納得したように深く頷くと、素直にお礼を述べた。


「東条もよく頑張ったな」


 褒めながら、駆流は春果の頭に優しく手を乗せる。


(また、手……)


 春果の心の中がふわり、と温かくなった。だんだんと心拍数が上がっていくのがわかる。少なくとも演奏直前とそれほど変わらないくらいには緊張している。


 周りから見た二人の姿はまるで親が子供を褒めている、もしくは慰めているようではあったが、春果はたとえそう見られていたとしても、駆流に褒めてもらえたことが純粋に嬉しかった。


 一年間休みなしで頑張ったわけではないし、丸一日を練習で潰したこともない。それでも春果なりに精一杯頑張ってきた。


 コンクール用の楽譜をもらった時には何度も何度も丁寧に譜読みをした。合奏のたびに増える書き込みは楽譜を真っ赤にし、どこが音符なのかわからなくなるくらいだった。そして何十回、いや何百回と繰り返し練習してきたその曲は暗譜だって完璧だった。


 そんなこれまでの努力が駆流の言葉ですべて報われたような気がして、思わず涙が溢れそうになる。


(やばい、泣きそう……)


 でも、こんなところで泣くわけにはいかない。駆流のことだから優しく慰めてくれるだろうが、やはり目の前で泣くのは恥ずかしいと思った。


 それを隠そうと、春果は慌てて話題を変える。


「そ、そうだ! 昨日どうだった!?」


 急に話題を変えられて驚いたのか、駆流の手が一瞬頭から離れる。その隙に、春果はほんの少しだけ後ろに下がった。駆流の手が戻って来られないようにするためだ。

 少し寂しくもあったが、今は泣き顔を見られるよりはずっといい、そう思ったのである。


 予想通り、駆流の手が戻って来ることはなかった。


「やっぱ旬ジャンルなだけあってすごい人だったよ」


 今は表の顔なのか、比較的冷静な答えが返ってくる。声のトーンも普通だった。

 どうやら泣きそうになっていたことには気付かれていないようで、春果はそのことに安堵しつつ、努めて明るく振舞う。


「そんなにすごかったんだ!」

「ああ、東条にも見せたかったよ。でも電話で話した通り、頼まれた分はちゃんと全部買ってきたから」


 安心して、と駆流が微笑んだ。


 夏コミに行けなかったのは残念だが、駆流に土産話を聞かせてもらえばいい。それなら少しは会場の熱気が伝わってくるはずだ。


「ホントにありがとう!」


 喜びで思わず駆流に抱きつきそうになるが、春果は心の中でそれを懸命に押し留めた。


(これはしちゃダメなやつ……っ!)


『彼女』でもないのにそんなことをしてはいけない。きっと駆流が困ってしまう。そう自分に言い聞かせた。


「じゃあ今度取りに行くね。いつがいいかな?」

「来週……はお盆でちょっと忙しいからその次の週は?」

「うん、大丈夫!」


 お盆はどこの家もお墓参りやら、家に親戚が来たり、もしくは行ったりで結構忙しいのはわかっている。自分も同じだ。

 駆流の提案に、春果は大きく頷いた。


「じゃ、詳しい話はまた電話するよ」

「あ、帰るとこだったのに引き止めちゃってごめんね」

「いいって」


 気にするな、と駆流が手を振る。

 そこに聞き覚えのある声がして、春果ははっとした。


「ハルー?」


 声のした方を見れば、朝陽が少し離れたところから手を上げて春果を呼んでいる。


「朝陽ちゃんだ、もう行かないと」


 そろそろ戻らないと置いていかれてしまう。まだ駆流と話していたかったが、そうも言っていられない。


 渋々、駆流に別れを告げると、


「気をつけて帰れよ」


 いつもの爽やかな笑顔が返ってくる。


「篠村くんもね」


 春果はそう言って駆流に背を向けた。


 だが、朝陽の方へと向かう途中でふと足を止め、そっと振り返る。

 視線の先にあるのは、人混みの中に消えていく大きな背中。


(篠村くん、来てくれてありがとう)


 その背中に向けて小さく微笑むと、また前を向き、駆け出した。




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