第28話 夏コミ

 音楽の話で盛り上がった直後のこと。

 食べ終えた食器はすべて綺麗に下げられ、テーブルの上には二人分のジュースのグラスだけが残っていた。


「そうだ、東条は夏コミどうするんだ?」


 オレンジジュースの入ったグラスを持ったまま、駆流が思い出したように言う。

 今回の夏コミは、駆流は一般参加すると前にちらりと聞いていた。サークルでの申し込みはしていなかったのだ。


「あー、夏コミね……」


 途端に春果の顔がどんよりと曇ってしまう。


「ど、どうした!?」


 突如がらりと変化したその様子に、駆流が狼狽える。


「その日、コンクールの前日だから部活休めなくてさ……」


 死んだ魚のような目で、春果はぼんやりと遠くを見る。手にしたグラスに入っている氷がカラカラ、と空しい音を立てていた。


 部活さえなければ迷うことなく夏コミに行って、新刊を買い漁ってただろうな、と思う。もしかしたら、駆流と一緒に行くことだって叶ったかもしれない。

 今回も部活が悪いわけではない。コンクール直前で、たまたま日程が被ってしまっただけだ。そう、偶然、なのだ。


「そっか、コンクール前日じゃさすがに休めないもんな」

「……うん……」


 春果がさらに肩を落とす。


 コンクールも大事だが、夏コミにも行きたかった。

 やはり夏コミに行けないのは悲しいし、悔しい。あの熱気の中に身を置きたかった。せめてコンクールと夏コミの日程が逆だったらよかったのに、と何度も思った。神様を少しだけ恨んでしまったのは紛れもない事実である。


 けれどそればかりはどうしようもないことだし、今回は潔く諦めようと考えていた。コピー本以外の新刊ならば通販や書店委託で多少は買うことができるだろう。通販などをしないサークルももちろんあるから、回りたかったサークル分が全部買えないのはこの際仕方がない。


「まあ、今回は諦めて通販とかで買うよ……」


 春果はそう自分に言い聞かせるように口にしてから、大きな溜息を一つ落とした。


「うーん、確かに通販とか書店委託でも買えないことはないからな……」


 ひどく落胆した様子の春果に同意しながらも、駆流は同時に脳内であれこれと思案していた。


(何とかならないもんかな)


 春果の悲痛な心情は察するに余りある。自分が同じ立場になったら、と考えただけで寒気がしそうだ。


 自分にできることは何かないだろうか。


 そんなことを必死に考え、そしてひらめいた。


「……そうだ! 俺が東条の分も一緒に買ってくるよ!」

「え? 私の分も?」


 顔を上げた春果が目を丸くする。


「今回も新刊買ってくればいいんだろ?」

「いいの!?」


 天から降ってきた駆流という名のイケメン神の言葉に、思わず身を乗り出すと、


「どうせ回るとこほとんど同じだろうし、全然いいよ」


 駆流はそう言って、優しく目を細めた。


「ありがとう!」


 春果の表情がぱっと華やぐ。

 その様に駆流は嬉しそうに笑み、そして次にはやや躊躇しながらもゆっくりと切り出した。


「あ、その代わり……」

「何?」


 今回の交換条件は何だろう、と春果が首を傾げる。


 前回は新刊を買ってきてもらう代わりに売り子をすることが交換条件だった。きっと今回も何かしらの交換条件があるのだろう、とすぐに思い当たった。

 売り子や原稿の手伝い程度ならできなくもないが、もっと難しい条件を出されたらどうしよう、と息を呑む。

 しかし。


「コンクールのチケット、一枚融通してもらえないかと思って」


 少し照れくさそうな駆流の言葉に、春果は驚いたように何度も目を瞬かせた。


「そんなことでいいの?」


 拍子抜けしながらも、ついつい聞き返してしまう。

 それならばお安い御用だ。顧問の教師に頼めば一枚くらい余裕で用意できる。


「ああ、吹奏楽もちゃんと聴いてみたくなってさ」


 駆流は頬を掻きながら、頷いた。


 コンサートでかなりオーケストラや吹奏楽に興味を持ってくれていたようだったが、まさかコンクールに来てくれるとは思いもしなかった。


(これはもっと練習頑張らないといけないよね!)


 よっしゃあ! と、心の中で大きくガッツポーズをしつつ、改めて気を引き締める。


「わかった、今度持ってくるね!」


 春果は心底嬉しそうに破顔した。




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