第27話 語彙力、とは
「控えめに言って神だったよね……感動で泣きそうになった……もう死んでもいい……全世界が泣くレベルじゃないのあれ……」
「あれは神どころじゃない……マジで俺も泣きそうだった……いつ死んでもいい、むしろ殺してくれ……オーケストラマジすごい……」
まだ語彙力の戻ってこない春果と駆流は、揃ってそんなことをぶつぶつと呟いた。決して目の前にある料理に話しかけているわけではない。これでも一応、会話は成立している。
コンサート終演後、二人はまっすぐ駅に向かい、その近くにあるファミレスに入った。
心ここにあらず、といった様子で注文を済ませた後は、料理が出てくるまでずっと互いに無言だった。
そして目の前に料理が出てきてから、ようやく感嘆の声を漏らしたのである。
「これ絶対円盤出るよね、買わないと!」
ようやく普段の調子に戻った春果が、テーブルを両手で叩く。
もし出ないのなら、「自分と駆流のために円盤化してください!」と大袈裟にスライディング土下座をしてみせるところだが、春果が頭を下げる必要はないはずだ。
どこかで情報を拾ったわけではないが、円盤化はまず間違いないだろう。そうすればかなりの売り上げになるだろうし、運営や関係者的には絶対美味しいはずだ。むしろこれを円盤化しないで、一体何を円盤化するというのか。
「最低二枚は予約決定だな!」
真似するかのように駆流もテーブルを叩いた。
周りから見れば完全に迷惑、かつ怪しい客に映るはずだ。だが、今の二人はそんなことになど構っていられなかったのである。
「吹奏楽も迫力あるけど、オーケストラもまた違った迫力があるよね。何かこう言葉では言い表せないような」
「それな」
ハンバーグにナイフを入れていた手を止めて、駆流が真顔で同意する。
「俺、吹奏楽初めて聴いた時も驚いたけど、今日もいい意味で驚いたよ」
「やっぱり弦楽器があるのとないのとでは色々と変わってきたりするもんね。どっちがいいとか、悪いとかじゃなくて、両方それぞれにいいところがあるっていうか」
「わかる。どっちもいいもんはいいんだよな」
駆流は何度も頷きながら、だいぶ冷めてしまったハンバーグを口に運ぶ。
そんな様子を向かい側で嬉しそうに眺めながら、春果も同様にオムライスを口にした。
駆流と一緒に、二人きりで食事をしている。
前の打ち上げの時は菜緒もいたので二人きりではなかったが、今回は正真正銘二人きりだ。まあ、つい先ほどまでは色々と残念な状態ではあったのだが。
(やっぱりこれってデートだよね……!)
駆流本人はかなり鈍いところがあるようなので何とも思っていないかもしれないが、春果から見ればこれは十分デートと言っていいものだった。
オーケストラの話で盛り上がりながら、幸せな気分で目の前の料理を堪能していると、ふと駆流が言う。
「ところでさ」
「うん?」
「東条って確かトロンボーンやってるんだよな? どんな楽器?」
前に自分の担当している楽器について、駆流に名前だけは話したことがある。どうやらオーケストラ効果で興味が湧いてきたらしい。
春果はオムライスを掬おうとしていたスプーンを置いて、数拍考える素振りを見せた。
「うーん、ざっくり言うとトランペットを大きくして、スライドで音程を変える楽器……かなぁ」
「ああ、それなら知ってる! よくトランペットの隣に並んでるやつだろ?」
「そうそう!」
春果が頷いているのを見ながら、やはり昨年の文化祭で見たのは春果で間違いなかったようだ、と駆流は心の中で何となく嬉しく思う。
「でもさ、東条はフルートとかクラリネットやってそうなイメージあるよな」
「身体が小さいからかな、それはよく言われる」
春果が苦笑する。
「楽器が吹けるってすごいよな。俺なんてリコーダーくらいしか吹けないからさ」
羨ましい、と駆流が尊敬の眼差しを向けると、
「みんな最初は全然できないよ。私も大変だったもん」
今度は恥ずかしそうに頬を掻いた。
「あれってものすごく練習したりするのか?」
「まずはマウスピースで音を出せるようにならないと始まらないから、ひたすらマウスピースで練習だったよ。中学の時なんて入部してしばらくは楽器持たせてもらえなかったもん」
「へー、そんな感じなのか。なかなか厳しい世界だな」
興味津々といった風の駆流に、春果はさらに中学時代の苦労話を聞かせる。
「まあね。金管楽器は唇を振動させないといけないから、そのコツっていうのかな、それを掴むのが大変だったの」
「じゃあ俺には無理かもなぁ」
駆流が残念そうに苦笑いを零す。
その様子に、春果は励ますような明るい笑顔を向けた。
「練習すればみんなちゃんとできるようになるよ。もちろん早い、遅いの個人差はあるけど」
「そういうもんなのか」
「そうだよ」
正直、駆流がここまで興味を持ってくれるとは思っていなかった。
(吹奏楽やっててよかったぁ……!)
たとえ少しであっても、駆流が吹奏楽やオーケストラに興味を持ってくれたのが嬉しくて、ついつい話し過ぎてしまったような気がしないでもないが、今日くらいは許されるだろう。
こうしてしばらくの間、二人は音楽の話について盛り上がったのだった。
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