第22話 駆流の新刊

 その後、駆流の原稿は無事に入稿され、新刊が落ちることはなかった。


 しかし、その新刊が発行されるイベントの日は部活と被っていたため、春果は売り子をすることができず、きちんと本の形になった新刊を会場で目にすることもできなかった。

 売り子は菜緒が代わりに引き受けてくれていたので、その点では何ら問題はなかったが、春果は駆流の新刊をすぐに読めなかったことを心底嘆いていた。


 別に部活が悪いわけではない。コンクールも近くなってきたのだから練習時間が増えるのも当然なのはわかっている。

 部活を休むという選択肢もあるにはあったが、春果にはそれを選択することはできなかった。

 わざわざ部活を休んだことを知ったら、優しい駆流はきっと春果に対して申し訳なく思うだろう。それだけでなく色々と気を遣ったり、心配だってするはずだ。そんなことはさせたくなかった。


 けれど、今回は自分が初めて手伝った新刊だ。駆流との初めての共同作業と言っても過言ではない。完成したものを少しでも早く見てみたいと思うのは、きっと誰しも同じではないだろうか。


『新刊、一冊予約してもいい!?』


 締め切りだった火曜日の夜、「入稿が終わった」と駆流から嬉しそうな声で電話があった。その喜ばしい知らせを聞いてすぐに、春果は新刊を予約したいと今にも土下座するくらいの勢いでお願いした。

 その申し出に対して駆流は、「イベントが終わってからでよければ原稿を手伝ってもらったお礼にあげるよ」と、柔らかな笑みのこもったいつものイケメンボイスで答えたのだ。



  ※※※



 入稿が終わってからちょうど一週間が経った火曜日のこと。イベントが終わってからは二日が経っていた。


「遅くなってごめんな」


 駆流がローテーブルの向かい側に座る春果に、一冊の本を両手で恭しく差し出した。

 春果がずっと待ち望んでいた駆流の新刊だ。


「ありがとう! すっごく楽しみにしてたの!」


 遠慮することなく素直に受け取ると、春果は期待に満ちた瞳で表紙をまじまじと見つめる。


(うん、今回の表紙は今初めて見たけど相変わらずすごく綺麗だ! 推しが美しい!!)


 思わず本を抱きしめて頬ずりしそうになるが、懸命にそれを押し留めた。もちろん中身も読みたくなったが、今はとりあえず表紙を眺めるだけで我慢しておく。


「本当は昨日渡せればよかったんだけど、さすがに学校に持って行くわけにもいかなくて」

「それは私にもわかるから気にしないで!」


 もし学校に持って行って万が一誰かに見られたら、駆流の評判がきっと悪い意味で大変なことになってしまう。

 それに春果自身も腐女子であることを周りに隠しているから、自分がそうなったら、と考えるととても他人事とは思えなかった。


「じゃあ、家に帰ってからゆっくり読むね」


 無事に新刊を手に入れられた満足感に浸りながら、春果が受け取ったばかりの新刊を鞄の中に丁寧にしまおうとすると、


「別に今読んでもいいけど?」


 駆流はどうしてしまうのか、とでも問いたげな目を向けた。


「自分の本を目の前で読まれてもいいとか、篠村くんなかなかの強者だね……」


 むむ、と春果が眉間にしわを寄せる。


「そうかな?」


 そんな春果とは対照的に、駆流はあっけらかんと答えた。


「そうだよ。普通の人は自分の本、目の前で読まれるのあまり好きじゃないと思うよ? 少なくとも私はそんなことされたら恥ずかしさで死んじゃう。それに私は自分の部屋でゆっくりじっくり楽しみたい派なの」


 春果が真顔で駆流の鼻先に人差し指を突き付ける。そしてそれをすぐに引っ込めると、まだ途中だった新刊を鞄にしまう作業に戻った。


「俺は早く読めればあまり場所とか気にしない派かな。あ、もちろん学校はなしだけど」

「それはわかる」


 すぐさま同意した春果は手を止めると、膝の上に置いていた鞄を自分の隣に戻す。


「さて、と」


 そして気持ちを切り替えるべく、大きく息を吸った。


 楽しい新刊の話はここまでだ。ここからはちっとも楽しくないものが待っている。だが、これをしっかりやらないと、これからのオタクライフに関わってくるかもしれないのだ。


「そろそろちゃんとテスト勉強しないとね。成績悪いとイベントとか行けなくなっちゃう」


 苦笑しながら春果が促すと、


「それな」


 駆流も神妙な面持ちで頷く。


 二人は揃って、あらかじめテーブルに出してあった教科書を渋々開き始めた。




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