第21話 手渡されたチケット
夜遅くにどうにか入稿の目途をつけ、今日の作業は終わった。このままトラブルがなければ、おそらく新刊が落ちることはないだろう。
「明日は学校あるのに、こんな遅くまでごめんな」
駅までの夜道を二人並んで歩きながら、駆流が申し訳なさそうに言う。時計の針はすでに十時を回っていた。
「気にしなくていいよ」
今にも深々と頭を下げそうなその様子に、春果は平気だ、と笑顔を見せる。
隣を歩く駆流の顔には、まだ疲れが見て取れた。当然春果も疲れていたが、それでも駆流に気を遣わせたくなくて、できるだけ疲れた様子を見せないようにと気張っていた。
「駅まで送って行く」と言った駆流に、「疲れてるだろうし、私は大丈夫だから」と一度はやんわり断った春果だったが、駆流はそれでも「心配だ」と頑として首を縦に振ることはしなかった。
こういうところがきっとモテる所以なのだろう、などと駆流の隣を歩きながら春果は漠然と考える。
ちゃんと女の子扱いをしてもらえることはもちろん嬉しかった。しかし、それ以上に今は駆流の体調の方が心配である。
あくまでも目途が立っただけで原稿が終わったわけではないし、きっと駆流は家に帰ったらまた一人で原稿に手を付けるのだろう。
とにかく少しだけでも睡眠はとるように、と繰り返し念を押しておいたが、駆流はちゃんと見ていないと平気で無理をしてしまいそうだ。
『駆流の面倒見てやってね』
菜緒の言葉を思い出す。
オンリーイベントの打ち上げの時、こっそりお願いされたことだ。
あの時はイベントでの駆流を頼む、という意味だと解釈していたのだが、今になって思えばイベント以外でも面倒を見てやってくれ、という意味合いも含まれていたのだということがよくわかる。
普段、学校ではあれほど優しくて爽やかなイケメンキャラで通っているのに、どうしてここまでギャップがあるのか。
先ほどの力説を振り返りながら、春果はそんなことを考える。
ファンのリア充女子が今の駆流の姿を見たら、ほぼ間違いなく引いてしまうだろう。だが、春果は決してそんなことはしない。
逆に『自分がしっかり面倒を見てやらないと』と思う。きっと母性本能に似たようなものだ。
菜緒の策にはまったわけではないし、菜緒もそんなつもりで言ったのではないのだろうが、結果的に『駆流の面倒を見る』ことになってしまっている。
けれど春果はそれを嫌だとは思わないし、むしろ積極的に面倒を見たいと思う。他の人が知らない駆流を知っていることに優越感を抱き、喜んでいたのである。
「あ、そうだ。これ、今日のお礼にどうかな?」
駆流が思い出したように、ポケットからゴソゴソと何かを取り出す。
どうやら紙のようだが、少し街灯が遠くてはっきりとは見えない。
「これって……?」
春果が首を傾げながら、駆流の手にあるそれに目を凝らす。
「オーケストラコンサートのチケット」
「まさか!」
思わず大声を上げそうになって、春果は慌てて両手で口を塞いだ。
「そう、フラ☆プリのやつ」
「それって、抽選でものすごく入手困難なチケット……!」
駆流の部屋でずっと流れていたサントラのオーケストラバージョン。
そのコンサートチケットだった。
元々が人気のあるゲームの上に、さらに国内でもトップを争う有名な楽団による演奏が加われば、ゲームユーザーだけでなくその楽団のファンなども演奏を生で聴きたいと思うだろう。そうなればチケットが抽選になるのも必然だ。
すごく行きたかったけどチケットの抽選に外れた、と春果が漏らすと、駆流はそのタイミングを見逃すことはせず、すぐさま畳みかけるように言う。
「だから、もしよかったら一緒にどうかと思って。東条、吹奏楽部だしオーケストラも好きかなって。たまたま姉貴が知り合いからもらったんだけど、あの人美術だけじゃなく音楽もダメで『興味ないからあげる』っていきなり渡されたんだよ。だったら東条と一緒に行ったら楽しいかなとか思ってさ。ほら、一人で行ってもつまらないし!」
一気にまくし立てると、はっと我に返った駆流は照れくさそうに顔を逸らし、頬を掻いた。
春果はというと、わずかではあるが呆気に取られていた。しかし、すぐに駆流の言いたいことを理解すると、破顔する。
まさか駆流に誘われるとは思っていなかった。今日、一緒に原稿ができただけで十分だと思っていた。しかも、それがすでに諦めていたコンサートだと来た。
これが嬉しくないわけがない。
「すごく嬉しい!」
「なら、よかった」
揃って顔を見合わせ、笑い合った。
※※※
駅まで送ってくれた駆流と別れ、春果は電車に乗り込んだ。
日曜の夜だからか、それとも時間帯のせいなのかあまり人は多くない。
空いている座席に腰を下ろして一息つくと、早速受け取ったばかりのチケットをバッグからいそいそと取り出し、改めて眺める。
どこからどう見ても、何度見ても偽物ではない。きちんと駆流から直接正規のルートで手渡されたものだ。
(夢、じゃないよね)
周りの乗客に怪しまれないように、そっと軽く頬をつねってみるが、痛みは感じるのできっと夢ではない。
今になってじわじわと実感が沸いてくる。
すごく行きたかったコンサートに駆流と二人で行けるのだ。
(ふふ、これってデート……かなぁ)
そんなことを考え、つい口元が緩んでしまう。
電車を降りてからも、コンサートのことを考えるだけで自然と胸が高鳴る。思わずスキップしてしまいそうになる足を必死で留めた。
もちろん駆流の心配だって忘れてはいないが、今は少しばかり頭の片隅に追いやられていた。
春果はずっとそんな浮かれた調子のままで家路に着いたのである。
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