第15話 誰にでもするのかな……?
その後は、春果の予想よりもお客さんが多く、思っていた以上に忙しかった。
もちろん菜緒はずっと隣でテキパキと仕事をこなしていたし、春果も慣れないなりに懸命に頑張っていた。
たまに混乱しそうな時は、駆流が隣から小声ながらも優しくアドバイスしてくれた。
そして、菜緒はそんな二人のやり取りをちらちらと横目で眺めながら、嬉しそうな表情を浮かべていたのである。
「ふー、終わったぁ!」
菜緒が大きく伸びをしながら、達成感をあらわにする。
イベントが閉会して間もなくのことだ。
「お疲れ様でした!」
春果が礼儀よく頭を下げて、駆流と菜緒に満面の笑みを向けると、
「東条、よく頑張ったな。助かったよ」
駆流もそう言いながらいつもと同じく優しい笑顔を見せ、次には春果の頭の上にぽん、と軽く手を乗せた。
「やっぱり東条に頼んで正解だった」
頭の上に乗せられた大きな手と、上から降ってくる柔らかな声に、春果の心臓は今にも破裂しそうになる。あっという間に顔だけでなく耳までが真っ赤になっていくのがわかった。
咄嗟にそれを隠そうと黙って俯くが、
(こ、これは反則――っ!!)
反対に心の中では絶叫していた。
傍から見れば、女の子同士が仲睦まじくじゃれ合っているようにしか見えないだろうが、今の春果にはそんなことを考えている余裕はない。
(あ、頭! 頭! 篠村くんの手! 手がぁ――――っ!!)
その場でバタバタとのたうち回りそうになるのを必死にこらえるが、そろそろ限界だと思った頃、また春果の胸中を察したらしい菜緒が助け舟を出してくれた。
「ほらそこ! 遊んでないで早く片付ける!」
「は、はい!」
「別に遊んでないけどな」
ようやく頭の上から駆流の手が離れ、春果は静かに顔を上げる。
まだ胸は高鳴ったままで、しばらく収まりそうにない。
ふっと消えた手の温もりに、ちょっとだけ寂しさを覚えつつ、
(こういうこと、誰にでもするのかな……)
そんなことをちらり、と考えたりもした。
※※※
三人は手早く撤収作業を終わらせると、必要最低限の荷物だけを持って菜緒が運転してきた軽自動車に揃って乗り込んだ。
今日の戦利品は何とか車に積み込むことができたが、残った在庫などはダンボールにまとめて詰めて、宅配便で駆流の自宅まで送ることにした。
菜緒は戦利品も一緒に宅配便で送ろうとしたのだが、それは駆流の猛反対にあって結局実行されることはなかった。
結果、元々それほど広くない車内に、全員が無理やり押し込められるような形になった。
「あんたが『今日の新刊は今日読むから新刊なんだ!』とか意味不明なこと言うから……明日読んだって新刊には変わりないじゃない」
車のハンドルを握り、前を向いたままで菜緒が愚痴る。
「だって早く読まないと鮮度が落ちるだろ!」
すぐさま反論したのは助手席にいる駆流だ。すでに男子の姿に戻っていた。
駆流は撤収作業が終わってすぐに一人で地下駐車場に置かれた車に戻ると、黒髪のウィッグを外し、メイクも一緒に落とした。そして菜緒と春果が着くまでに車内で着替えまでも済ませたのである。
この狭い車内で、しかも背の高い男子が着替えるのはとても大変だろう、と春果が心配すると、駆流は「慣れてるからな!」とぐっと親指を立てた。
イベントが終わった後の駆流は、まるで水を得た魚のように腐男子全開だった。どうやらこれまで大人しくしていた反動らしい。
「鮮度だとか、また謎なことを……」
菜緒が大きな溜息をついた。
「肉でも魚でも野菜でも新刊でも何でも鮮度が命! 東条もそう思うだろ!?」
確かに食べ物である肉や魚や野菜は鮮度が命だが、新刊に鮮度なんてものがあるのだろうか。
早く新刊を読みたい気持ちはわかる、というか自分だってできるだけ早く読みたいと思ってはいる。
それはきっと誰もが思うことだ。もちろん同人誌に限らず、普通の漫画や小説であったとしても。発売日に買って、すぐに読みたい。つまりそういうことなのだ。鮮度云々ではなく、自分が読みたいかどうかということである。
けれど、無理やり車に詰め込むことまではしなくてもよかったのではないか、と隣に積まれた戦利品の入っている紙袋を横目で眺めながら、運転席の後ろで春果は思う。
当然のことながら、春果の分も一緒に積まれていた。
春果は新刊を買ってきてもらえただけでもありがたいのだから、読むのは後日で十分だと考えていた。
だから「自分の分は宅配便で送っていい」と言ったのだが、それでも駆流は「それはダメだ!」と半ば無理やり車に積んだのである。
ちなみに、やはりゲーム内のイベント効果か、今回は突発本が多かったようで、オンリーイベントでの収穫はかなりのものだったらしい。
菜緒は撤収作業中にちらちらと紙袋の中身を見せながら、「こんなに沢山の新刊を買い集めてきたこの姉を敬いなさい!」と駆流に自慢していた。
「えっと……」
駆流の同意を求める声に、春果がどうしようか、と言い淀んでいると、
「あ、ここにしよう!」
車内に、菜緒のこれまでとは打って変わって楽しそうな声が響く。
次の瞬間突如左折した車に揺られながら、何事だろう、と春果が慌てて窓の外を見回すと、ちょうどファミレスの駐車場に入るところだった。
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