第13話 新しい秘密

「姉貴、挨拶まわりは?」

「あんたがいない間にちゃんと済ませたわよ」

「サンキュ」


 そんな会話を交わしながら、駆流と菜緒は手早く在庫の本を机に並べていく。そのすぐ後ろでは春果が新刊の詰まったダンボールを開けていた。

 とりあえず目下の不安は綺麗さっぱり解消されて、春果は清々しい気分で準備を手伝っていた。


(それにしても、もう一人の売り子がお姉さんの菜緒さんなら、最初にちゃんと言ってくれればよかったのになぁ)


 それならばこんなに不安になったり、嫉妬することもなかったのに、と思うが、これは初めにきちんと確認しておかなかった春果も悪いのだ。

 現に、菜緒は春果の名前を知っていた。春果がどんな人物なのかもしっかり聞いていたに違いない。


 今回の確認ミスは自分にも非があることはよくわかっていたから、春果は駆流に何も言わなかった。

 それに菜緒が「後でちゃんと言っとく」と言っていたのだから、そちらに任せた方がいいだろう。

 あれだけの気遣いができる菜緒のことだ、間違ってもおかしなことは言わないはずだ。

 まだ会って一時間も経っていないが、菜緒のことは信頼しても大丈夫だと素直に思えた。駆流の姉だということもあったが、菜緒本人が醸し出す柔らかな雰囲気が春果にそう思わせたのである。


 春果が駆流に好意を持っている程度のことは本人に伝わっても構わなかったし、すでに少しくらいは伝わっていそうなものだが、やはり告白はまたいつか自分できちんとしたいと思っていた。さすがにそんな乙女心をぶち壊すような菜緒ではないだろう。


(でも、次に言える機会なんてなかなかないよなぁ)


 新刊をダンボールから出しながらぼんやり考えていると、菜緒に名前を呼ばれた。


「春果ちゃん、そろそろ具体的な流れを教えるね」

「あ、はい!」


 すぐに立ち上がって菜緒の隣に並ぶと、それと入れ替わるようにして駆流が後ろに下がり、新刊に手を付ける。


「やってみればわかるけど、すごく簡単だから。まず、最初にお金を受け取って、その場で確認する。で、お釣りを渡す。そして最後に『ありがとうございます』と本を渡す。あ、一番上に見本誌があるからその下から取って、渡す時は両手でね。それの繰り返しみたいな感じかな。もしわからないことがあればその時に教えるから遠慮なく聞いてね」

「はい!」

「そして一番大事なのが笑顔! これは接客業と同じだからね」

「はい!」

「よしよし、いいお返事。これなら大丈夫だね」

「ありがとうございます!」

「後は、ざっくりとでいいから本の値段を覚えておいてもらえると助かるかな。その方が春果ちゃんもやりやすいだろうし。今回スペースは広いけど、種類は少ないからすぐ覚えられると思うよ」

「わかりました!」


 つい敬礼してしまいそうになるくらい、春果は菜緒の説明を真剣に聞いていた。

 内容自体は菜緒が言った通り、とても簡単なものだった。最初はメモを取ることも必要だろうか、などと悩んでいたが、そんな必要は一切なかったくらいだ。

 菜緒も一緒にいてくれるし、これなら問題ないだろう。

 もっと難しいものを想像していた春果は、よかった、と胸をなでおろした。


「な、難しくないだろ?」


 後ろでしゃがみ込んで新刊の準備をしている駆流が二人の微笑ましさにくすりと笑むが、それをすぐに目ざとく見つけた菜緒は仁王立ちで言う。


「あんたは売り子まったくやってないでしょ」

「あ、いや、それは……」


 菜緒の指摘に、駆流が口ごもる。これまで春果と菜緒に向けられていた視線が明後日の方向へと逸らされた。


「え、そうなんですか?」


 駆流のサークルなのだから、てっきり本人も売り子をやっているのだと思っていた春果が訊くと、


「声で男だってバレるから嫌なんだって」


 呆れたようにしれっと菜緒が答え、さらに続けた。


「春果ちゃん、こいつが女装してるのもそのせいだから」

「えっと、どういうことですか?」

「夏コミや冬コミの時なんかは、男のままでもスペースの中にいる分にはまだ大丈夫なんだけど、今回みたいなオンリーイベントだと女性向けだからサークル側もお客さんも女の子ばっかりじゃない? さすがにその中で自分一人浮くのが嫌なんだって。まあ、私が同じ立場になったら、って考えると気持ちはわからないでもないけど」

「ああ、なるほど」


 春果がぽん、と手を打つ。


 確かに女性向けのイベントで男の人がいると浮いてしまうというのは、よくわかるような気がした。

 それに、もし自分が一人ぼっちで男性だらけの場所にいたら、と考えると、いくら好きなものに囲まれていたとしても、やはりいたたまれない気持ちになるだろうな、と思う。

 しかも駆流は背も高くて顔もいいから、ここではさらに目立ってしまうだろう。ライバルだって増えてしまうかもしれない。それはとても困る。


「だから女装して、極力話さないようにしてるってことですね」

「そう、そういうことなのよ! そして聞いて、春果ちゃん!!」


 言い終わるや否や、菜緒が春果の両肩を力強く掴む。


「は、はい」


 途端にがらりと雰囲気の変わった菜緒の様子に、春果はすでに気圧されていた。

 きっとこの後は、すごい勢いで駆流に対する不平不満が出てくるのだろう。

 それはすぐに予想できたから、この後にどんな言葉が放たれてもいいように、と身構える。


「本人は隣でただ黙って本読んだりしながら座ってるだけ! 確かにそれなら大人しい女子にしか見えないだろうさ! でもたまに顔を上げたと思ったら愛想笑いする以外本当に何もしないんだから! もちろんスケブも描いてる姿見られたらバレるかもしれないから不可! それはまだ許すけど姉をこき使うとかありえないでしょ!? お前も少しは手伝えよ!!」


 一気に言い切ると、菜緒はだん! と机に拳を叩きつけた。


(菜緒さんも色々と大変なんだな……)


 春果はただただ苦笑いを返すのが精一杯だ。

 けれどまた一つ、駆流の新たな一面を知ることができた。


 新しい秘密。


『イベントの時は女装で参加している』と春果は自分の心の中にしまってあるノートにひっそりと書き加える。

 そんな、他人から見ればどうでもよさそうなことを知れたのが、春果にはとても幸せに思えた。


「な、菜緒さん、とりあえず落ち着いてください!」


 春果が必死でなだめると、


「……そうね、思わず取り乱しちゃった。ごめんね」


 すべての不満を春果にぶつけ、ようやく冷静さを取り戻したらしい菜緒が、深呼吸でもするように大きな息を一つ吐いて、それまでと打って変わってにっこりと笑顔を見せる。

 そこに駆流が小声で割ってきた。


「言っとくけど、これは姉貴が勧めてきたからであって、決して自分から進んでしてるわけじゃないからな!」


 本人は声のトーンを落としつつも、しっかりと熱弁している。どうやらささやかな反抗を試みているらしいが、その姿は完全に女子にしか見えない。

 服装もメイクもばっちり決まっている。どこからどう見ても綺麗なモデルさんだ。

 本当に嫌なら、まず勧められたからといってメイクどころか、女装そのものをしようとは思わないのではないだろうか。


 それならばいっそ開き直って男のままでいればいいものを、とは思ったが、気持ちはわからないでもないから口にはしない。


(言い訳してる割にはすごく似合ってるし、あまり嫌そうにも見えないよ、篠村くん……)


 つい、春果は心の中だけで突っ込んだ。




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