第12話 絶望
「東条、何だか機嫌悪くないか? 俺、何か悪いことした?」
「……別に」
隣を歩いている美人、もとい駆流がこそこそと声を掛けながら春果の顔を覗き込もうとするが、それを拒否するかのように顔を背ける。
信じたくはなかったが、信じざるを得なかった。
(本当に篠村くんだったなんて……っ)
機嫌が悪いというよりも、どちらかといえば切なさや虚しさのようなものの方がそれを上回っていた。
(しかも私よりずっと美人だなんて! 悪いことどころじゃないよ!)
女子である自分よりも女装した男子の方が綺麗だとか、そんなことはあって欲しくなかった。
確かに駆流は元の素材がいいから、メイク映えもするだろう。背も高いからモデルのように見えるのもわかる。
実際に、先ほどは駆流のことをモデルではないかと思った。それは否定しない。
けれど春果だって、駆流に少しでも可愛く見られるよう、普段から身だしなみにはかなり気を遣っているつもりだった。
(その遥か上を行くんだもんなぁ……)
駆流には気付かれないように小さく溜息を漏らしながら、肩を落とす。
メイクの有り無しの差はあるが、今の自分がメイクをしたところできっと駆流の足元にも及ばないだろう。こうなったらいっそ開き直った方が早いかもしれない、と思った。
(うん、そうだ。今日はめいっぱい楽しまないと!)
せっかく駆流と一緒に売り子ができるのだ。ここで落ち込んでいるなんてもったいない。
ついでに将来のために後でメイクのコツを聞いておこう、と気持ちを切り替えて、駆流の方に向き直る。
「篠村くんがあまりにも綺麗だったから、ちょっとびっくりしちゃって」
ごめんね、と素直に謝ると、駆流は目を瞬かせた。
「綺麗って、俺が?」
「うん」
きっと朝陽がこの姿を見ても春果と同じ感想を持つだろうが、駆流は今の自分が美人だとは自覚していないらしい。
(何てもったいない……っ!)
春果はそんなことを思うが、言ったところでどうにかなるものでもないので、あえて口にはしなかった。
「メイクとかは自分でしてるの?」
早速コツを教えてもらおう、と隣を歩く駆流の顔を改めて見上げようとした時だった。
「あ、着いたよ。そこ」
ちょうど駆流のスペースに着いたようで、残念ながらその話題は特に発展することもなく、すぐに終わってしまった。
(まあ、これからも機会はあるだろうし)
学校や電話でも簡単なことくらいは教えてもらえるだろう。そう考えて春果は顔を前に向ける。
そして視線の先にいた人物の姿に、声を失った。
(もう一人の売り子さん……やっぱり、女の人……だったんだ)
この予想は外れて欲しかった。心からそう願っていた。
(何だ、ちゃんと彼女いるんだ)
目の前が真っ暗になる。
両足は徐々に力が抜けて、今にも震え出しそうだった。
先ほどの女装とは別の意味で、駆流に裏切られたような気分になった。
このまま見ないふりをして、踵を返して、この場から立ち去ってしまいたかった。
だが駆流に頼まれて引き受けた以上、責任放棄して逃げ出すわけにもいかない。そんなことをしたら、もう友達ですらいられなくなるかもしれない。
何より、今逃げてしまったら負けを認めたことになってしまうような気がして、それだけは絶対にしたくないと思った。
だから、きっとまだ自分にもチャンスはあるはず、と春果は無理やりそう思い込むことにしたのである。
(そうだ、まだ結婚してるわけじゃないだろうし)
ドクドクと酷く嫌な音を立てる心臓を押さえつけるように、握り締めた左手を胸に置く。そのまま一度だけごくりと喉を鳴らすと、改めてその人をしっかりと見据えた。
(年上……だよね)
多分、年齢は春果たちより少し上、大学生くらいに見えた。
駆流と春果の姿を認めると、その人は満面の笑みで「こっち、こっち!」と嬉しそうに手招きする。
駆流に心配を掛けてはいけない、とできる限りしっかりとした足取りで歩を進め、促されるままスペースに入ると、
「初めまして! 今日はよろしくね」
その人は笑顔を微塵も崩すことなく、春果に握手を求めてきた。
(これが『彼女』の余裕ってやつか……)
つい心の中で舌打ちしてしまう。
そんな自分がとても醜く思えたが、これは自然と湧き出てくる感情で春果自身にもどうすることもできなかった。
さすがに握手を拒否するわけにもいかないだろう。それにこれから約半日を一緒に過ごすことになるのだ。最初の挨拶くらいはきちんとしておかないと。
仕方なく右手を差し出して、自分も挨拶をしようとしたところで、その人は言う。
「弟がいつもお世話になってます!」
春果はまた、ん? と首を傾げた。
何か今、おかしな言葉が返ってきたぞ。
聞いたばかりのその言葉を、ぼんやりと繰り返す。
「おとうと……?」
「駆流の姉の
そう言って『姉』と名乗ったその人は、今度は困ったようにわざとらしく嘆息して見せた。
「えっと、それは、べつに……」
想像すらしていなかった展開に思考が追い付いていかず、春果はその場に立ち尽くしたまま、ただ棒読みのようにこれだけを答えるのが精一杯だった。
「そう? ならいいんだけど」
春果の間の抜けた返答を特に気にする様子もなく、菜緒はまたにっこり微笑む。
(あ、似てる)
その、爽やかだけれど人懐っこい笑顔が駆流とそっくりで、ようやく春果は彼らが姉弟なのだと納得することができた。
(……勘違い、だったんだ)
よかった、と心から安堵する。
大きく息を吐いたと同時に、すでに限界を迎えていた両足から一気に力が抜けて、春果は思わずその場にへなへなと崩れ落ちるようにしてしゃがみ込んでしまう。
心の中のもやもやしたものがすーっと晴れていく一方で、気が緩んだ途端に思わず瞳が潤んでしまい、軽く目尻をこすった。
それを見た菜緒が心配そうに声を掛けながら、同じようにしゃがみ込み、春果の背中にそっと手を置く。
「どうかした? もしかして具合悪い? 大丈夫?」
この人も駆流と同じ、優しい人だ。
それが何だか、とても嬉しかった。
「ごめんなさい、ちょっと目にゴミが入ったみたいで」
言いながら小さく笑みを返すと、菜緒はすぐにスカートのポケットから綺麗にアイロンのかけられたハンカチを取り出して、春果の手に握らせる。
そして駆流には聞こえないようになのか、耳元でささやいた。
「あいつ、色々と鈍くてごめんね。それに、私のこともちゃんと言ってなかったんでしょ? 後で厳しく言っとくから」
どうやら菜緒は、春果の目が潤んでしまった理由を一瞬で悟ったのだろう。もしかしたら最初から知っていたのかもしれない。
春果は照れくささと嬉しさの入り混じった顔を赤くしながらも、「はい!」と大きく頷いたのだった。
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