第91話 区切り
本日のお役目は、思いの外早く終わった。
夏祭りが近くなり、町全体が準備で賑わっているからだろう。
障りは明るい雰囲気を好まない。なので、上手く隠れてやり過ごすのだ。それは同時に活動しない事を意味し、探れなくもなる。
昨年の華火が降らせた金の雨でも、大きな障りだけはこのように逃げ隠れており、次の日からのお役目が大変だったのを思い出す。
まだそこまでの月日が経ったわけではないのに、とても長い時間を過ごした気分になるな。
湯浴みを済ませた華火は、自室の座卓へ向かう。そして姿勢を正し、筆を取り、今の気持ちを書き綴る。
自分の力や成長に対しての不安は、完全に取り除く事はできない。
そんな事が出来る者なんて、きっといない。
だからこれからも、鍛錬に励み続ける。
しかし、私情を挟むな。
皆の為にと言いながら、別の感情に突き動かされていたのも事実。それを文字に起こせば、やはり情けなさが心を埋め尽くす。
私は統率者だ。
なのに何故、それに集中しない?
私は器用ではない。不器用ならどちらかを選ぶしかないのだ。
それなら選ぶのは決まっている。
ここまで書いて、筆が止まる。
頭では選べているのだ。
しかし、心が邪魔をしてくる。
だからもう一枚、半紙を取った。
恋がこんなに苦しいものだとは、知らなかった。
隙あらば心の中を掻き回し、それしか考えられなくなる。
皆、どうやって乗り越えるのだろう。
しかし、それを尋ねる気にはなれない。
そんな事をすれば、知らぬ内に深く傷付けてしまうかもしれないと華火は恐れている。
迷惑なのもわかっている。
でも、想う事はやめられない。
それでも、大切な者を一番に考えたい。
次に書く事は決まっている。
けれど、華火を食い止めようと心臓が以前に感じていた痛みを起こす。
それでも、震える手で書き進める。
今日限りで、紫檀を想う事を
やめる。と書き切りたかった。
しかし、ぽたりと、頬を伝う雫が文字を滲ます。
思わず筆を落とし、顔を覆った。
泣くな。
泣いたところで、何も変わらない。
そう言い聞かせた所で、止まるはずもない。
今この瞬間にも、紫檀への想いが溢れてしまう。
だからこそ、この前彼が浮かべた、想う相手への表情を思い出す。
答えは出た。
紫檀が何故、『あたしは誰かを愛する事が怖いのよ。愛ってね、純粋すぎる程、心を狂わせるものだと、あたしは思ってる』と言ったのか、今なら少しだけ、わかる気がする。
紫檀はそれ程までに深く愛しているのだろう。けれど、それを伝えてはいないのだろう。そうでなければあのような言い回しにはならないと思えた。
理由はわからないが、けりを付ける必要もないと、華火は考えてしまった。
むしろそこまで想うのなら、貫いていい。
紫檀が想う事は罪でも何でもない。そして彼が相手を大切にしている事は華火にすら伝わる。だからその相手に、無理を強いるつもりもないのだろう。
ただ、想い続ける。
その道を、紫檀は選んだのだろう。
自分と重ねる事はおこがましいが、だからこそ、華火もその道を選ぶ事を決める。
直接話そうと思ったが、こんな姿は晒せないな。
紫檀を安心させるべく、顔を合わせて告げたかった。けれど声に出せば涙が止まらなくなる事は明らかだ。
だから華火は濡れた目元を拭い、新たな半紙へ文字を書く。
私は約束通り、皆が胸を張れる送り狐の統率者を目指す。
そのために、もっと集中しようと決めた。
前に告げた紫檀への想いは、もう忘れてくれ。
私に恋はまだ早かったようだ。
もっと成長した時に、恋とは何なのかと向き合う事にする。
迷惑を掛けたな。
でも、紫檀が誰かを想う事は自由なんだ。
恐れずに、想い続けてほしい。
返事は不要だ。
想いを込めながら、華火は紫檀の幸せを願って、本当の言葉と嘘を積み上げた。
***
泣き腫らした目を見られるのを警戒し、時間を置いてから廊下を覗く。するともう皆、寝静まっているようだった。
それでも華火は忍足で紫檀の部屋を目指す。
書き上げた文をいち早く渡すために。
隙間から差し込んでおけば、起きた時気付くだろう。
安易な考えだが、直接渡すのは華火の表情から気持ちが知られてしまうと思い、この行動に出た。
しかし、上手く差し込めない。
早く。急げ。誰か起きる前に!
手が震えるのは、読まれるのを恐れているから。それでも、伝えなくてはならない。こうしなければ、華火も紫檀も区切りが付かない。
それなのに、かさかさと音まで立ててしまい、慌てて押し込む。
よし。
これで、いいんだ。
終わってしまえば何の事はない。
その虚しさに、しばし立ち止まる。
すると、目の前のふすまが僅かに開いた。
「何かしら、これ?」
紫檀の声に、華火は術でも掛けられたように動けなくなる。
彼はまだ起きていたようで、弱い行灯の明かりを背に立っていた。
何か、言わねば。
そうは思うのだが、華火の心臓だけが激しく打ち続る。
その時、別の場所からかたんと音がした。
「んん……。山吹、任務……」
玄が寝ぼけて部屋から出てこようとしている。
しかし何故今なのかと、問いたくなる。
だが、それどころではない。どこへ逃げるか動き出そうとすれば、手首を掴まれた。
「よくわかんないけど、用があるならちゃんと言いなさいよ」
気付けば華火は、紫檀に抱き寄せられるように部屋の中へ連れ込まれていた。
そして背後でぱたんと音がして、逃げ場がなくなった事も理解してしまった。
「玄がうろうろしてちゃ、話もできないでしょ? どうぞ」
紫檀はただの来客を迎え入れるように、華火を招く。
けれど、化粧を落とし髪下ろした紫檀を直視できず、華火は不自然な動きで差し出された座布団へ座った。
「で、これ何?」
「それは、その……、後で読んでくれ……」
精一杯の声を出し、伝える。
けれど、紫檀の目も見れず、視線は彼の胸元に輝く契約の勾玉へ。だが、白みの強い紫の寝巻が普段よりもはだけ、逞しい身体までもが視界に入る。だから思わず顔を背けた。
「今読むから、そこに居なさいな」
「今!?」
「大切な用事、なんでしょ?」
あっ……。
思わず紫檀を見れば、彼は辛そうな表情を浮かべながらも、笑っていた。
もう、あのような顔をさせる事は、最後にする。
腹を括り、頷く。
読まれれば終わる。
そう決めて書いた。
どう受け取られるのかわからないが、紫檀が読み終えたら、すぐに部屋を後にする。
それだけを考えながら、紫檀が文を開くのを眺めた。
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