それぞれの悩み
夏の到来を感じれば、自身の心が更に沈み込む。
華火と飛鳥の対決を見守ったあの日から、織部はずっと心に燻る熱を持て余していた。
「いい加減にして下さいね」
「いてっ!」
ごん! と良い音が自分の頭から響けば、じんわりと痛み出す。思わず振り向けば、いつ間にか後ろにいた竜胆に、座っていた織部の後頭部が槍の石突で叩かれたようだ。
「これ、竜胆! その年頃は多感なのだ。恋煩いで身を滅ぼす者もいる程にな。だから好きにさせてやれぃ!」
「なななっ……!!」
何で知ってるんだよ!?
先代の統率者とはいえ、織部が未熟ゆえにまだ現役である。やはり、洞察力に優れているのだろう。しかし、自分でも扱いきれない恋心だけは触れてほしくなかった。
そしてここは稽古場。磨き抜かれた床が様々な音を鳴り響かせる中、送り狐の皆が鍛錬に励んでいる。
しかしその音がぴたりと止めば、皆が吹き出し笑いながら織部を囲み始めた。
「織部、ずっと好きだった女の子に会えるようになったんだもんな。そりゃあしかたねぇよ」
「ずず、ずっと!?」
「『華火…………華火…………』ってさぁ、あんな執着しちゃって。会ったら恋だって気付いちゃって、もう! いいなー! 夢中な恋したーい!」
「えっ!? ちがっ……!!」
「違いますよ、皆さん」
「竜胆!」
隙あらば織部は頭を撫でくり回されながら、送り狐達から信じられない言葉を投げ掛けられる。
そこに、やはり自身の送り狐だけは庇ってくれたと、期待を込めて竜胆を見上げた。
「織部はですね、心が負けたんですよ。華火さんの送り狐達に。自分は華火さんに必要ないと思い込んで。しかも夏祭りにすら誘えない体たらく。だから不貞腐れて、言伝すら送らずにいるんですよ? あぁ、情けない」
頭が真っ白になる。
竜胆の言葉は嘘ではない。
だから身体中が沸騰した。
「竜胆!!!」
「おや、何でしょうか?」
思わず拳を撃ち込むが、竜胆に難なくいなされる。
「やれやれー!」
「若いっていいわねぇ」
「俺なんてよぉ、送り狐とは生活が合わないからって振られ続けてんのに!!」
「だいたいそんなもんよ、お役目がある奴なんて」
「お役目のある者同士も、忙しさからすれ違う事はあるがな。あとは……、子を残す気がないのなら、他種族にも目を向けたらどうだ?」
それぞれが好き勝手に喋る中、織部は言葉にされてしまった自身の気持ちに振り回されながら、竜胆へ挑み続ける。
「悩んでも解決しないのであれば、動け。それだけの事です」
竜胆が糸目を薄っすら開き、見下してくる。
「わかってんだよ、そんな事!!」
「おや。それは申し訳ない。出過ぎた真似、でしたね」
「そうじゃ、なくて!」
「何でしょうか?」
竜胆が本気で相手をしてくれる事に甘え、全力で拳を叩きつける。しかし全て槍で弾かれた。
それでも、真正面からぶつかる。
距離が縮まった瞬間、織部は竜胆の目を見た。
「感謝してる!!」
「それは何よりです」
「でもな――」
竜胆の槍の柄を弾き返し、攻撃を入れようと、しゃがむ。
「お前は時と場所を考えて喋れって、いつも言ってんだろ!!」
下段からの攻撃を仕掛けるも、竜胆は吹き出しながら上体を逸らすように回転し、織部の脇腹へ一撃を決めてきた。
くそっ!!
覚えてろよ!!
増えた痛みを振り払い、織部は一歩踏み込む。
この時にはもう、織部の燻る心はだいぶ軽くなっていた。
***
牡丹は華火の管狐を見送り、眩しい空を見上げた。
どうにも心配だね。
犬神の活動が緩やかな事は喜ばしいが、諦めたとは思えない。目標が達成されるまでしつこく追い続けるのが犬神である。
けれど、動かれなければ動けないのはこちらも同じ。
華火の周りには新たな味方も増え、心強くはある。しかし、牡丹はこの距離がもどかしかった。
いつでも駆け付けられる場所にいるのに、遠く感じるなんて。
親離れではないが、あまりにも介入しては華火の成長を邪魔する。だから心を鬼にして、牡丹は訪問を避けていた。
それに、もう一つの理由もある。
けれど、あたし達が頻繁に会いに行ってちゃ、深まる仲も深まんないしね。
華火が可愛くて仕方ないのはわかる。しかしそれでは、華火の世界を狭くしてしまう。せっかく降りて来る事ができたのだ。思う存分、広い世界を楽しんでほしいと願う気持ちも本物だ。
だから牡丹は、双子の弟へも訪問を禁じた。彼らが出向いたのかは、華火から聞き出せばすぐにわかる事。なので、渋々牡丹に従っているのだろう。
世界には素晴らしいものが溢れている。
その中で、沢山の事を感じてほしい。
今まで自由にできなかった心への、大切な栄養になるから。
「牡丹! かき氷食おうぜ!」
「早くないかい?」
「食べたい時が食べ時でしょ?」
「こんなあっつい中で日光浴しすぎぃ。牡丹が溶けちゃうって!」
急に自身の送り狐の声がすれば、牡丹の手が引かれる。
しばらくして見えた光景に、思わず微笑む。
「こんなにでっかいの、どうすんだい!」
送り狐達が何やらこそこそしていたから、牡丹は庭に出ていたまで。そんな彼らが後ろに隠しているものを見せようと、左右に分かれる。
そこには、真昼に咲かさせた花火のような、彩られた巨大なかき氷があった。
まだ夏も始まったばかりだが、こうして過ごす一日に、牡丹は幸せを感じていた。
***
「あかん」
「栃さんそれ何回目や」
頭を抱える栃に、共に働く仲間の呆れ声が被さる。
「そうやけども、こらあかんやろ」
目の前には我らが長からの有り難いお言葉がある。
『御利益満点! 金の雨を降らす狐の根付』を、化け狸が販売する。他種族、主に化け猫には知られるな。
馬鹿丁寧に絵まで描かれている。
子供でも扱えるように、触れるとほんの僅かな霊力を雨に見立て、金色に変化させたものを一瞬降らせる。この場合、根付の周りを覆うぐらいの霊力を打ち上げる、と言った方が正しいかもしれない。
あかん。
馬鹿狸、絶対許可もろてへんやろ。
ぐしゃりと文を握りつぶすも、捨て切れない。
むしろ、今なら売れるのがわかる。だから、手元の宝をまた広げる。
最初に化け猫が手を出した。
金の雨の干菓子、降り注いだ日を再現する寒天で作った琥珀羹を乗せた羊羹やらと、よくもまぁ堂々と出せるものだと栃は思っていた。
しかし、これが妖の中で流行り、他種族も便乗する流れができている。
せやけど……。
これ知られたら、自分はどないなるやろうか。
妖狐との繋がりが深くなってしまった自分の立場がこれ程恨めしいとは。
板挟みになってしまった栃は、金を取るか信頼を取るか、大いに悩んだ。
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