第89話 暗雲が垂れ込める

 青鈍と木槿むくげ、そして紫檀の過去に共通する鬼達については、もう今の鬼の長が制裁を加えているだろうという話へ移る。

 それ程に、無駄な争い事を良しとしない鬼の長が誕生したお陰で、妖の世界が平和になったのは華火も知っている。そして鬼本来の気質を考慮し、同族のみ、力試しが許されているそうだ。


 だから紫檀は、自分が何か行動を起こそうと思うわけではないと話を締めた。

 そんな彼に、それ以上誰も問えるはずもなく、各々が眠りについた。

 けれど華火だけは、縁側から見える闇をただただ眺めていた。


 紫檀のあの顔は……。


 どこかで気付いていた。紫檀の中にある大きな存在に。けれどそれが誰なのかを、知りたくなかった。いや、紫檀の愛を一身に受ける相手を、だ。


 最初から私の出る幕など、なかったのか。


 水が沸騰するかのように、小さな不安が次々と泡のように浮かんでは弾ける。

 青鈍と木槿の辛い過去と決意を知り、それが彼らの強さに繋がっている事を理解した。

 対して自分は、そこまでの芯を持っているのだろうかと、懸念を抱く。それは華火も統率者として、送りの判断を任せすぎてしまっていると気付いたからだ。

 それなのに、こうして浮ついた心を優先している自身に呆れる。


 私はいったい、何がしたい?


 紫檀への諦め切れない想い。でも、渡す事のなくなった想い。それらに支配される心の痛みに、目頭を押さえた。


「華火?」

「……玄?」


 突然声を掛けられ振り向く。

 玄が自身の黒よりも薄い黒灰色の寝巻を整えながら、華火の横へ音もなく並んだ。


「泣いてたのか?」

「あっ、これは……」


 玄は躊躇なく、華火の目元を親指の腹でこする。溢れてしまった想いが二度と戻らないように思えて、虚しさを覚えた。


「青鈍と木槿の事、知らなかった、とはいえ、そうなるよな」

「まさか、玄もか?」


 言ってしまって後悔した。自分の涙の意味はそうでなかったのを、玄に隠してしまったのだから。

 けれど、彼の目は外を見る。真実を話す機会がなくなった事に、華火はどこか安心してしまった。


「俺は別に、泣きはしないけど。でも、眠れなかった。青鈍と木槿が、どんなに俺達の事を大切に思ってくれてたか、初めて知れたから。でもそのせいで、送り狐のお役目を遠ざけてしまったのも、わかったから」


 玄はそのように受け止めたのだな。


 沈む玄の声を聞きながら、それでも彼らはそれをあえて選んだと受け取れる発言をしていたと、華火は思い出す。

 ならば、これからを変えるしかない。


「それでも今、こうしてここにいる。また送り狐を目指せるように。それはもしかしたら、青鈍と木槿の親達が、導いたものかもしれないな」


 きっと天から、青鈍と木槿の背中を押したのかもしれない。

 まだ、誓いを忘れていない彼らの願いを見守るように。


 そう考えれば、闇のような空にも優しさが広がっている気がした。


「そう、だな」


 僅かに表情を緩めた玄が外を見るのをやめ、こちらを向いた。


「あと、さっきの送りの時の、説明する」

「さっき……、あぁ! 裏葉がな、わざわざ教えてくれたぞ。私が金の光をまとっているから、それに私の障りに触れた事があるから今回の巨大な障りに触れても大丈夫だと思った。これで間違いないか?」

「うん。だいたいそんな感じ。いつもより力が使いこなせると思った。でもいろんな痛みが多すぎて、受け止めるのが大変だった」


 そう言い切った玄が、そっと頭を撫でてきた。


「華火、凄く成長してる。ありがとう」


 思わぬ言葉に、顔が赤くなるのを止められない。


「少しでも助けになっているようで、嬉しい。この前の飛鳥様の時は散々だったからな」

「はぁ? 本気? それ。馬鹿すぎ」

「ば、馬鹿とは何だ」


 玄は不機嫌になるとすぐ口が悪くなる。

 でもそれが今なのが、華火には理解できない。


「少しじゃない。沢山。あの阿呆天狗相手に、初めての事も挑戦して、頑張ってた。しかも、倒れずに」

「飛鳥様になんて事を!」

「あー……、そうか」


 華火の言葉を無視し、玄が急にわしゃわしゃと頭を強く撫でてくる。思わず目を閉じかければ、彼は僅かに微笑んだ。


「あの時は、青鈍と木槿の事で気が動転してて、誰も言わなかっただけ。華火も成長してる。偉い」


 ちゃんと、私も一緒にと、思ってくれていたのか。


 自分だけが成長していなかった悔しさが、玄の優しい一言で嬉しさに塗り替えられていく。


「言葉って、言わなくてもいい時と、言わなきゃいけない時がある。難しいよな」

「今回は言葉にしてくれて、ありがとう。そうだ! 私も玄に伝えなくてはいけない事があるんだ」


 乱暴に撫でる手を止め、玄が首を傾げる。


「今回のような無茶は状況に応じてにしてくれ。私も無茶をしがちだが、玄もそこは似てる。しかし無茶を続けたら、いつか玄が倒れてしまう。今回だって疲れ果てていただろう? だから、これからを共にする仲間からの願いとして、聞き入れてくれ」

「似てる……。仲間、か」

「ん?」


 玄の顔が曇る。どうしたのかと覗き込めば、突然抱き締められた。


「今、どう思う?」

「これはいけない事と……」


 紫檀に言われた。と、続く言葉を紡げなかった。


「……よく、わからない」

「そうだよな。うん……」

「どうしたんだ?」

「別に。俺にもわかんないから」

「どういう事だ?」


 ぷいっとそっぽを向いた玄が、大広間に向かう。進む先にはゲーム機。今から気分転換でもするのだろう。

 けれど、その時微かに『どっちなんだろうな』と、呟く玄の声を拾った。


 ***


 犬神側の指定の時間が遅く、帰りも予定時刻を過ぎた。

 だからこそ、こんな早朝に単の元へ、蘇芳と共に黎明も面会する羽目になったのだ。


「清々しい空気を台無しにする程の要件、なのでしょうね?」


 相変わらず、太々しい。

 今は罪を償っている最中なのに、意味を成さないものに思えてくるな。


 世話役の元・断罪役をまとめていた暁が甲斐甲斐しく動くのを眺めながら、黎明は心の中で毒付く。しかし今はそれどころではない。


「単刀直入にお聞きしたい。銀次様は何を企んでおられますか?」


 蘇芳の言葉に、単の赤い髪を編む手を止めた暁が、顔を上げた。


「企む、とは?」

「色加美の統率者と送り狐、そして色加美の見廻役が揉めた件について、昨晩話をつけてきたのです。そこで銀次様が、『そちらが目に余る行動を取らない限り、犬神は妖狐との仲を強固にしていく所存だ』と、仰られました。しかし、あちらに同席していた色加美の見廻役が『このようにしか銀次様が答えられないと知っていて、狐は今も昔も、なんてずる賢く卑しい存在なのでしょうか』と、告げられました」


 小春さんがあそこまで豹変してしまう程、銀次様に何を吹き込まれたのか。

 特に、場が寒くなる程の憎しみを向けられたのには驚いた。

 それを、蘇芳様は知りたがっている。

 今も昔もとは、何を指すのかを。


 久々に見た小春の目には、愛くるしさよりも憎悪が溢れていた。黎明だけではなく蘇芳にまで同様の視線を向けていた事に、違和感しかなかった。


「その同席していた者は、もしや犬神の次の長になる者、でしたか?」

「やはり単様はご存じだったのですね」

「そういった話は、各種族の長の中でも特に弾むものですからね」


 動揺を微塵も見せない単の態度に、やはり銀次との繋がりがあった事を察する。けれど、当たり障りのない話で、蘇芳の言葉の意味を受け流そうとしている。


「黎明は、どう思われましたか?」


 不意に、透明に近い白の瞳と向き合う。

 そこから、単が愉快に思っている事が伝わる。


「聞いてるのはこっちですけどー。でもあえて言いますねー。次の長になる子は華火さんと仲が良く、他種族との交流も楽しんでいた子でしたー。なので、このような言葉を吐く事なんてないはずなんですよねー。ですからー、繋がりのあった単様に聞きたいんですよー!」


 ふざけた口調を咎めもせず、単は子供の話を聞くように目を細めていた。

 だから黎明はわざと、態度を変えた。


「銀次様が妖狐を恨まれている理由は何ですか?」


 ふっ、と、単が笑い声をもらす。すると暁がまた彼の髪を編み始めた。


「せっかくですから、教えて差し上げましょう。銀次様は駄犬のように誰に懐くわけでもない。そして誰よりも犬神の事のみを考えています。ですから、他の何を犠牲にするのも厭わない方、でしょうね。特に、次の長となる者が現れたのなら尚更でしょう」


 単が甘えるように暁へ頭を預ければ、口角を上げた。


「上手く利用されましたね、妖狐が。いえ、華火が、と言った方が正しいでしょうか」


 満足そうに語る単が、笑い出す。

 この先何が起きるのか想像が付いていそうな彼の言動に、黎明は思わず睨み付ける事しか出来なかった。

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