第88話 送り狐を目指した理由
青鈍と
安定しない天候もそれにならうかのように、雨足が弱まった。
青鈍と木槿の考えが、今ならわかる。
大切な者がそうして命を奪われてしまったのなら、尚更だ。
理解したつもりでいた。今もわかったつもりではいる。
しかし、彼らの過去を初めて聞いたからこそ、知れた世界でもあったのだ。
ここまで無知な自分を、華火は恥じた。
「助けに行きたかった。でも、行けなかった。全てが早すぎて、理解できるまでに時間が掛かったからな」
「でもさ、青鈍は俺が飛び出そうとした時、止めてくれたじゃん! だから今、こうして生きてるんだし」
「相手は鬼だ。角が一本ならまだやりようはあったかもしねぇが、二本。しかも外にはそれがまだ他にもいる。だからな、俺らが次にした事は、『何かあれば燃やせ』と言われていた秘薬の作り方の処分だった」
青鈍の後悔が滲む声色に、木槿が明るい口調で応える。
鬼というものは、強さの象徴のような存在である。角の本数で強さがわかるが、二本の者が多い。最高で四本。現在の鬼の長のみが持つ。
今でこそ共存しているが、鬼に命を狙われながらの行動に、華火はこの後に語られる過去の中でも、無事であってくれと祈ってしまう。
「その秘薬さ、命を燃やして身体能力を高めるってやつでねぇ。要は、負担がでか過ぎるから禁止したみたいでさ。でも、覚えておかないと同じ物ができるからって、覚え書きだけ残してたんだよ、律儀にさぁ。今となっちゃ、作り方すら覚えてないけどね!」
すらすらと話し続ける木槿は、秘薬を軽んじているように思えた。
それがなければ、狙われる事もなかった。
むしろ、そんな物など渡してしまえば良かったと、言い放っているように聞こえる。
でもそれをしなかった理由も、ちゃんとわかっていたのだろう。
鬼に渡ってしまえば、更に最悪な事態になっていたはずだ。
「結果、気付かれちまったわけだが」
「そりゃあね! 狐火が思いの外強くなっちゃってさ! 霊力も感じ取られただろうし、殺気も漏れてただろうしねぇ」
よくぞ、無事でいてくれた……!!
思わず、振り返って声を掛けたくなった。
しかし彼らとの約束だ。それに、顔を向き合わせたら話しにくい事でもあるだろう。だから華火は耐える。
「そんな時だ。馬鹿が、白い魂になって、守りに来た」
「馬鹿は死んでも治らないって、よくよく、学んだよね」
つっかえるように話す青鈍と木槿の声に、華火は唇を噛む。
それが、先程の取り乱した理由か。
残して逝けなかったのだろう。
けれど白。その状況下で誰も憎まず恨まず、そして子を守りに来た。
忘れられるはずなどないと、華火は雨以外のものに視界が歪ませられるのを止められなかった。
「でもよ、魂が守れるはずねぇんだよ」
「運良く逃げられたけどさ、馬鹿までついてきちゃって。それぐらい、俺達は無力だったからね。でも、無我夢中で逃げた先には、障りを宿した奴らが沢山、待ち構えていたのさ」
青鈍の深く沈む声に、木槿の声色も引っ張られるように低くなる。
「なのに、馬鹿はそいつらとも、共にいようとしやがった」
「馬鹿すぎるでしょ? 寄り添うのは生きている間だけにしろって! って、ついつい叫んじゃったよねぇ」
「結果、黒ずみ始めたもんな」
「一緒にいるためだけに、取り込まれそうになってたよねぇ。そっからはもう、周りの障りを追い払うのに必死でさ! そんな事さぁ、出来るはずないのにね!」
しかし話の内容とは裏腹に、二匹の声に明るさが戻った。
「思わず、狐火を出した。それが、送り狐を目指す切っ掛けなるとはなぁ」
「びっくりしたよね! 俺達の炎、効くじゃん! って」
「だからな、誓ったんだ」
「そうだったね。誓っちゃったんだよねぇ」
雨を払うふりをして、華火は目元に残る涙を拭う。
すると、青鈍と木槿の声が同時に響いた。
「「お前みたいに逝く先を迷う魂がいなくなるように、送り狐になるって」」
そうだったのか……。
そこまで固い誓いを胸に秘めていたからこそ、青鈍と木槿の決断はいつでも早いものだったのかと、納得せざるを得なかった。
「それを聞いたからか、白に自力で戻って、ようやく逝った。だからな、送り狐が迷うなんて事、あっちゃいけねぇんだよ」
「送る側が迷えばさ、送られる側だって迷うわけ」
「わかったか? 玄」
「山吹もね!」
急に名を呼ばれた二匹の呼吸が乱れた音がするが、話はまだ続く。
「指南所にいる奴らも全部、甘ったれ過ぎて反吐が出た」
「あそこはさ、俺達には合わなかったんだよねぇ。だから現実を教えてやっただけ。有り難いと思いなよー?」
煽るような口調を聞きながら、ようやく見えてきた社へ降り立つ。
「また迷惑を掛けるかもしれねぇが、見極めも肝心だからな」
「そーゆー事!」
もう顔を見てもいいかと、管狐を戻しながら振り向く。
「青鈍、木槿」
「ん?」
「何?」
柔らかな表情をした二匹へ、華火は目を細めた。
「生きていてくれて、本当に良かった」
雨はもう止み、華火の言葉が必要以上に庭へ響く。
すると、あからさまにうろたえた顔を二匹共がした。
「生きていてっつーか、助けられたんだよ」
「なんか強い狐共が来たとか何とか、鬼達が言っててさ!」
僅かに早くなる喋りに、紫檀が息を呑む音が混じる。今、ここに存在するからといって逃げ切るまでの経緯を想像したのだろうと、華火は予想した。
「助けが来たのだな」
「誰かが管狐でも飛ばしたのかもな。ま、そいつらのお陰だな」
「強い奴との戦いを楽しみ出したのは、さすがに馬鹿な鬼達だと思ったけどねぇ」
じゃあ他にも、無事な者もいたのだな。
鬼と対峙できる妖はなかなかいない。蘇芳や単のような存在ならまた話は違ってくるだろう。
だからこそ、駆けつけてくれた妖狐達に感謝する。
「でもな、俺らはそいつらを見捨てて逃げた」
まさか……。
先程の希望が一気に塗りつぶされたように、華火は何も考えられなくなった。
「いくら強くても、相手は鬼だからねぇ。俺達は騒動の中を紛れるように逃げた、ってわけ」
「……ねぇ、そいつらさ、どんな奴だった?」
それしか生きる道がなかった事が、ありありとわかる。
しかしそこへ、紫檀の声が割って入った。
「ん? もしかして知り合いか?」
「わかんないけどね。だからさ、教えてほしいのよ」
「それなら尚更、聞いてて面白いもんじゃねーぞ?」
「わかってる。それでも、知りたいのよ」
青鈍の気遣いを、紫檀がやんわり押し返す。
だから観念したように、青鈍は息を吐いた。
「あまり覚えてねーが、そこまで数は多くなかった。得物もそれぞれ違って……、あ。紫檀みたいに薙刀を振るう男狐が一番強そうだったな」
「でもさ、そいつが仲間を庇ってから形勢逆転されちゃって。まぁ、相手が鬼じゃなきゃそうはならなかったかもね。その時、確か、えーっと、なんだっけ? うーん……。そうだ!」
思い出を探るように語る青鈍に木槿も協力すれば、何かを思い出したようだ。
「
木槿が大きな声で言い放てば、それに心臓でも抉り取られたかのような顔へ、紫檀の表情が変化した。
「平気か?」
「……大丈夫。やっぱり知ってる奴だっただけよ」
「紫檀の知り合いのお陰で俺達は無事だったけど、生き残った奴、いたの?」
皆が立ち尽くす。まさかこんな偶然があっていいのだろうかと、戸惑いをそれぞれが浮かべるような顔で。
それは青鈍と木槿も同じ。だからこそ、紫檀に対して心を砕いているようにも見えた。
「みんな、死んだわ。水木に庇われた奴が、命懸けで結果を伝えに戻ってきた。それで終わり」
そんな……。
紫檀もまた、争いの中で犠牲になったのだ。
そのような時代を恨むしかない。しかし、そんな言葉で片付けてしまっていいものではない。
だからこそ、誰も声を発さないのだろう。
「責めるために聞いたんじゃないわ。ただ、水木のお陰であんた達が助かってんだから、救われたわよ……」
誰が、だ?
紫檀の事ではないとわかってしまう。
けれど、水木という男狐でもないと、何故か直感でわかった。
それ程に、遥か遠くを見るような彼の瞳に、溢れんばかりの強い想いが込められていいる。
その事に、華火は気が付いてしまった。
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