第86話 未練
そろそろ夜半を迎えるであろう時刻。
華火達はお役目をこなすため、現地へ降り立つ。
入梅も過ぎ、天からの恵みは激しく降り注ぎ続ける。けれどそれを虚しく受け止めるのは、焼け崩れた人間の民家。まだ消えぬ、木材が焦げただけではない臭いが雨の中でも漂う。
そうなる程の沢山の生き物が、ここにいたようだ。だが、大切にされていたのかまではわからない。
そう感じさせる程の大きな障りが、生まれつつある。
「百花斉放」
華火は皆の力を解放する。相手は際限なく巨大になろうとする障り。ならばと、金の光も宿している。もう犬神にも知られているもの。惜しみなく力を使えるようになったのは喜ばしい事なのだろう。
「……どうやら、自分達に関係する人間を待っているようだね。それなら、尚更早く対処しよう」
こちらに興味を示さない障りを注視しながら、山吹が結界を張った。そのお陰で視界が開ける。しかし、激しい雨音はそのまま。
けれど手早く作戦を確認すれば、華火・山吹・玄・月白・裏葉を残し、小さな障りを祓いに紫檀・青鈍・
本日、黎明は不在。蘇芳と共に犬神の長との対話に同席する事となったのだ。どうやらあちらに同席者がいるとの事で、これ幸いと黎明が選ばれたのもある。終わる時間が未定のため、戻るのは明日になるだろう。
「取りあえず、いつも通りでいいでしょうか?」
「頼む」
雨音に掻き消されそうな裏葉の声。玄の返答も小さなものに聞こえる。
「御霊楽」
渋くくすむ薄緑の霊力を宿した龍笛が、華火達には聴こえない音を奏でる。黒い塊から無作為に生えた形の違う耳、手足、尾が一斉に動きを止めた。
「……送り――」
玄は成長している最中ならまだ安定していないからと、自身だけで片を付けたいと皆へ伝えている。
裏葉が術を発動させる間、玄は祈りを捧げるように目を閉じていた。そしてゆっくりとまぶたを開け、送り火を出現させようとした。
「玄、待て!!」
珍しく大声を出した青鈍を見れば、目をこれでもかと見開いていた。
「こりゃあ、厄介じゃない?」
そこへ続いた木槿の視線を辿れば、じわりと姿を現すように、白い塊が動きを止めた巨大な障りの真上へ浮かぶ。
まさか、戻って来たのか?
稀に、強い意思を持って現世へ残る白い魂がいるそうだ。自ら天へ昇れたはずの者が戻るのも、その一例。この場合、亡くなったばかりの者が多いと聞いた事がある。
火事は本日の夕刻。この近隣に住む妖が社へ知らせてくれたので間違いはない。
けれど木槿が言うように、いる場所が厄介だ。それなのに、今度は巨大な障りの前へ移動してしまう。
「これじゃ……」
玄の戸惑いに、山吹が動き出す。
「僕に任せて」
それを合図としたように、また小さな障りを祓う音が響く。この間にも、裏葉だけは術を掛け続けている。
「どうしましたか? 何か、伝えたい事があるのですか?」
巨大な障りが抵抗する様子はまだない。けれど、山吹はかなり近くまで距離を詰め、白い魂に話し掛けている。気付けば、雨音は静まっていた。
「逝く先はこちらですよ」
何も反応しないふわふわと彷徨う白い魂の前に、山吹が赤みのある黄色の送り火を宿した剣鈴で、自身の真横に円を描く。すると、白い魂が前後に揺れ始めた。
「もしかして……、共に逝きたいのですか?」
そうか。
仲間、なのだな。
山吹の言葉に、華火の息が詰まる。
きっとあの魂は、玄の力が何かを察して守りに来たのだろう。
けれどそれは叶えられない願いであり、もし自分が同じ立場なら、同様の行動を起こすもの。
だからこそ、最善が何か、わからなくなった。
「山吹、早くそいつ送れ」
「待って、もう少しだけ――」
「待ってる間にさぁ、黒くなったらどーすんのさ!」
青鈍が声だけを山吹へ届ければ、決めかねている彼へ木槿も後押しする。
「待ってやれよ! あんなに必死だろうが!!」
「うるせーんだよ!!!」
しかし柘榴が割って入れば、感情を露わにした青鈍が彼へ向かって跳び、胸倉を掴んだ。
「必死だろうが何だろうが、あいつまで取り込まれたらどーすんだよ!?」
「青鈍、どうしたというのだ」
驚く柘榴が力任せに揺すられる中、白藍が仲裁を試みる。けれど、青鈍は手を離さなかった。
ここまで激しい反応を見た事がない。
いったい青鈍に何が……。
思わず一歩踏み出せば、反対側から声がした。
「しーたーん。邪魔しないでねぇ」
「今、こんな事してる場合かしら?」
目を疑う。姿勢を見れば紫檀も止めに入ろうとしていたのが窺える。けれどそんな彼の首筋には、木槿の刀が当てられていた。
「……何を重ね見ているのだか」
「重ね?」
ずっと沈黙していた月白の呟きに、華火は彼を見る。すると月白の顔には苦渋が浮かんでいた。
「俺が直接、その障りを送る。だから、山吹、月白、協力してくれ」
突然玄が声を張り上げれば、時が止まったような静けさが訪れた。小さな障りはまだ残っているものの、それらも何かを考えるように暴れもせずにいる。
「青鈍、木槿。ちゃんと送るから、見てろ」
「玄のくせによぉ……」
「玄ちゃん、信じてるからねぇ」
玄の言葉で冷静になったのか、青鈍と木槿が下がる。華火も胸を撫で下ろせば、玄がこちらを向いた。
「華火。このまま、お願い」
「任せろ!」
玄が契約の証を指差し、澄んだ眼差しを向けてくれる。それに応えるべく、華火は集中した。
「月白、あの白い方に夢を」
「わかった」
すぐに玄が動き出せば、月白もそれに応える。銀の道が一直線に白い魂へ向かい、包み込んだ。
「山吹、任せた」
「ありがとう、玄」
軽く跳ねた玄が山吹の横に着地し、肩を叩く。そして彼はあろう事か、直接障りに触れた。
「俺が出来るのは、これだけだ。ごめん」
優しく声を掛ける玄の手が呑み込まれる。一瞬顔をしかめたが、視線は山吹へ向けられた。
何をするんだ?
いつでも助けをと思いながらも、玄の決断を見守りたい気持ちが華火をその場に押し留める。
「今のその思い出を胸に、共に逝って下さい。僕達に出来るのは、これだけなのです」
激しい痛みを耐えるような山吹の顔。彼はきっと、白い魂の願いを叶えられない事の辛さと向き合って言葉を発しているのだと、華火は受け止めた。
すると、白い魂がふるりと震え、ゆっくりと巨大な障りのそばをひと回りした。
「あなたの勇気、そして愛を、僕達が覚えておきます」
はっきりと山吹が言い切れば、白い魂はのそりと、天への送り火に近づく。すると、玄は巨大な障りへ向き直した。
「お前達の痛みは忘れない。送り火」
双方が同時に送られ、消えていく。
白の魂は大きな亀の姿へと戻る。巨大な障りは裏葉が術を止めた瞬間、その亀へと手を伸ばしながら散った。
「残りも、ちゃんと送るわよ」
感傷に浸る間もなく、紫檀が指示を出す。
その言葉には、また消滅してしまう魂が生まれないようにと、彼の想いが込められているように感じた。
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