第85話 大切な相手
澄んだ空気が入り込む玄関の床は、本来ならば冷たいのだろう。けれど、青鈍と
むしろ、彼らは華火の為を思ってこの行動に出たのがわかり、その想いに報いる事しか頭になかった。
「青鈍と木槿は、ここへ帰って来てくれた。それが答えだ」
「お前、今から死ぬかもしれねぇんだぞ? 何だよそれ」
「そーだよ。ほら、怖いでしょ?」
「怖くない。青鈍と木槿はもう仲間だ。何をされるのも怖くない」
華火が言い切れば、拘束が解かれた。
「ばっからしい! じゃあそのお仲間の忠告ぐらいちゃんと聞きなってー!」
すぐに背を向けた木槿の頬はほんのり色付いている。怒らせてしまったのかと心配すれば、青鈍が助け起こしてくれた。
「あのなぁ、無条件に信じんなって。でもな、華火はそういう奴だって事、俺らも忘れてた。だからな、仲間は信じても他は少しは疑え。あんまりにも信じすぎるとな、馬鹿を見るのは華火だ」
「それでも、こうして教えてくれる仲間がいる私は幸せ者だな」
「あー……」
切り揃えた綺麗な白髪が乱れる程、青鈍が頭を掻き回す。
「じゃあはっきり言うけどさぁ、華火ちゃんの決定には誰も反対できないんだよね。こいつのせいで」
何も喋らなくなった青鈍に代わり、木槿が半目で振り返ってきた。そんな彼が指差すのは胸元。契約の証がある場所だ。
「それは、私が無理やり支配している、という事か?」
そんな事はあってはならない。
だから、小虫が全身を這い回るようなおぞましさを感じれば、木槿が首を横へ振る。
「違うんだよねぇ。華火ちゃんの気持ちがさ、直接流れ込んでくるんだよ、俺達にさ。昨日ので言うと、天狗と対決で金の光が出た時とか。だからね、華火ちゃんの考えが自分の事みたいにわかっちゃう。そうなると、華火ちゃんの考えに引っ張られるってわけ!」
自分の判断ではなくなる、という事か。
それはやはり支配に近い気がすれば、木槿ぱん! と手を合わせた。
「落ち着けば戻るから! でもさ、その間に華火ちゃんが騙されちゃうと、みーんなが危険に晒される。それだけは覚えておいてねぇ」
「わかった。言いにくい事を話してくれてありがとう。心配を掛けたな」
話し終えれば、木槿が距離を詰めてきた。その顔には、どこか意地の悪い笑みがたたえられている。
「さっきさぁ、何をされるのも怖くないって言ったよねぇ?」
「あぁ」
「じゃあ今回はこれでかんべ――んんっ!?」
視界が木槿でいっぱいになれば、突然その顔が遠のいた。
「俺の事忘れてんのか?」
「ぷはっ! いきなり何すんのさ!」
「それはこっちの台詞だ。目の前で気持ちわりぃもん見せようとすんな」
木槿の顔面を両手で抑え込んだ青鈍が、彼を後方へずるずると引きずる。それから木槿が解放された途端、二匹は口喧嘩を始めた。
「よくわからないが、まだ皆眠っている。静かにな」
「お前……」
「ねー! 静かにしなって!」
頭を振る青鈍を煽るように、にたにたした木槿が両手を顔の横でひらひらさせている。それに対し青鈍の手が出れば、木槿も同じようにやり返す。
何をしているんだ、全く。
幼い子供がじゃれついているような光景に、華火は思わず笑ってしまった。
「何だよ」
「いや、戻って来てくれて嬉しいなと思っただけだ」
「消えるわけないじゃーん! すぐ黎明が追いかけてくるだろうしねぇ」
「それでも心配したんだ。外にいる間、何事もなかったか?」
きょとんとした顔が二つ。変な聞き方をしてしまったかと思えば、揃って寂しげな笑みを浮かべた。
「大丈夫だ。何にもなかった」
「心配してくれてありがとね、華火ちゃん」
「じゃあどうして、許そうと思ってくれたんだ?」
「またその話に戻んのかよ」
青鈍も木槿も、普段と違った雰囲気をまとっている。無闇に踏み込んでいい問題ではない事を忘れてしまう程、華火は彼らの事に触れたくなってしまった。
「……ちょっとな、お前みたいな馬鹿に会いに行ってただけだ」
「私みたいな?」
「世話になったんだよねぇ、沢山。だからね、怒ってもしかたないなって、思えたんだよねぇ。華火ちゃんといるとよく思い出すんだ」
私と似ている者がいるのか?
彼らの表情から、ここの皆とはまた違う大切な相手なのが伝わる。まるで遠くを眺めるように話す青鈍と木槿が、知らない者に見える程だ。
「で、『ちゃあんと、怒っている理由を相手にもわかるように言葉にしなさい』って言われた気がした」
「だよねぇ! 絶対そう言うし!」
あ……、まさか。
彼らの寂しげで、でも、とても愛おしそうな表情から、華火はようやく相手が誰だかわかった。
『親代わりの者もいたようだが、あいつらを隠して嵐が過ぎ去るのを待ち、目の前で殺されたそうだ』
以前、月白から教えてもらった方、だな。
今の言葉から、愛情を沢山込められて育てられたのだと想像できる。
だからか、怒らせたのは。
亡くなってしまった原因となるものだったのかもしれないと、華火は自身の行動を反省する。いつまで経っても温室育ちのままでは、青鈍や木槿のように戦乱を生き抜いた者達の気が休まらないだろう。
そんな事を考えていたからか、彼らの顔が同時にこちらを向いた。
「ま、安心しろ」
「うんうん、任せて!」
「何がだ?」
華火の肩をそれぞれが叩き、青鈍と木槿は真剣な顔で口を開いた。
「俺らがいる限り、華火は死なせない」
「華火ちゃんを脅かす不届者はね、全部斬り捨てる」
物騒な誓いを間近で聞き、華火は耳を疑った。
「そこまでせずとも……」
「華火の意見は聞かねぇぞ? 俺らが勝手に決めた事だからな」
「そーそー! 守るのは紫檀達に任せるからさ!」
華火の意見などないものにしながら、彼らが振り返る。すると、曲がり角の向こうから紫檀が姿を現した。
「お帰り」
「いつからいたのか知らねぇが、盗み聞きが趣味なんてな」
「違う違う! 盗み見もじゃん!」
「悪かったわね。でも邪魔はしなかったでしょ? それにね、あんた達がうるさ過ぎんのよ」
「へーへー」
「何よその返事。で、あんた達、飯は?」
「食べてきたー! お風呂入ってくるー!」
「俺らもこれから寝るわ。ねみぃー」
まるで母親のように世話を焼く紫檀に対し、青鈍と木槿が甘えるような態度を示しながらこの場を後にする。
からからと禊場の戸が音を立てれば、残された紫檀と目が合った。
「悪かったな、起こして」
「気にしないでいいわよ。みんな起きてたからねぇ」
「そうなのか?」
「華火もそうだったでしょ? でもさすがにさっきのはみんなで見るもんでもないし、あたしが責任持って見守る事にしただけよ。ま、要は他の奴を追い払っただけだけど」
くすりと笑い声を漏らし、紫檀が背を向け歩き出す。
それに追いつくように足を早めれば、彼はぴたりと立ち止まった。
「青鈍と木槿じゃないけど、あたしらだって信用し過ぎない事ね」
「悪かった。でもやはり皆の事は――」
「違うわよ」
突然後頭部に手を添えられかと思えば、もう片方の紫檀の手が背に回り抱き寄せられる。
「男を信用し過ぎるなって言ってんだよ」
何が起きているのか理解できないまま、薄い生地を通してじんわりと紫檀の温もりが伝わる。
「簡単にこういう事させんな。いいな?」
間近で男を感じる低い声に、華火の頭が混乱してしまう。香の匂いがしない彼をただ見上げる。そこには、心配そうに細められた藤色の瞳が、華火だけを映し出してくれる。その事実に、頬へ熱を集める事しかできない。
「……そんな返事はいらねぇんだよ」
驚いた事に、紫檀の頬も薄っすら染まっている。そんな彼の顔をもっと見たくて、華火は思わず爪先立ちになっていた。
「華火ちゃん、何する気ー?」
華火も紫檀もびくりと身体を揺らし、ぱっと離れる。すると、曲がり角から顔だけ出した木槿が膨れっ面を見せていた。
「あんた、何してんの?」
「さっきのお返し! それにさぁ、紫檀は言ったじゃん。紫檀が咲かせた花が他所向いてもいいって」
「確かに言ったけど、それが何?」
全身の熱を冷ますに必死で、彼らの会話は朧げにしか聞こえない。けれど、この様な姿を見られる前にと、華火は背を向け手であおぎ続ける。
「俺が華火ちゃんを幸せにするから、紫檀は指でも咥えて見てなって」
幸せに?
何の話か尋ねようと向き直れば、木槿の姿はもうなかった。
「紫檀?」
「……悪かったわね」
先程の行動に対してなのかもわからない謝罪だけを残し、紫檀はこちらを見る事もせず、歩き出してしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます