第84話 出会った時とは違うもの

 青鈍と木槿むくげが見えなくなれば、庭にはため息や呆れ声が虚しく響く。


『何か、葛藤があるように見えましたな。しばしそっとしておくがよろし』


 優しさの滲む声色で話す白蛇へ、華火は曖昧に頷く。


 あの反応。きっと彼らの過去に関する何かに、触れてしまったのだろう。


 それ程深い傷を抉ってしまったであろう事に、華火は後悔で胸が痛んだ。

 けれど、白蛇の言うように無闇に踏み込んではいけない気がした。

 それに様子のおかしい紫檀も気に掛かる。

 だから彼の元へ行こうとした。けれどもう、普段の顔へと戻っていた。


「生きてりゃいろいろあるわよ! あいつらも子供じゃないし、頭冷やして帰ってくるわよ。さ、疲れたでしょ? 竜胆も織部も悪かったわね。休憩にしましょ!」


 ぱんぱんを手を鳴らし、場の空気を変えてしまう。そんな紫檀の背中を見て、彼も触れてほしくないのだと察する。だから華火は、きつく口をつぐんだ。


 ***


 青鈍達と揉めた後、いつもより早くお役目を終えた。しかし彼らはまだ戻って来ない。皆は何かあれば言伝が来るだろうと言い、もう眠っている。

 けれど、華火はいつまでも訪れない睡魔を諦め、身体を起こした。


 考えてもしかたない。

 待とう。


 もう日は登り始めている。白蛇は起きているだろうと思いながら縁側へ向かえば、まだ大楠の上にいた。


 眠られているな。

 昨日は飛鳥様も来られたし、お疲れなのだろう。

 それに、私にも付き合わせてしまったからな。


 静かに腰を下ろし、空の変化を眺める。

 織部達もそこまで長居せず帰宅したが、それを切っ掛けに皆がばらばらに散った。各々すべき事があるのだろうが、それが今の華火達の関係に思えて、寂しさを感じた。

 そんな迷いを打ち消すべく、華火だけは外に残り鍛錬を続けた。


 金の光のみを発動させる事に集中してもいいのかもしれない。

 しかし感情とはそんな簡単に受け入れ、制御出来るものでもない。

 ならば、やはり障りを宿した状態でも動けるよう、最大限の努力をするべきだ。


 思い出すのは昨日の事。

 感情に振り回されそうになった結果、障りがまた自身から生まれた。けれど、それも華火のものなのだ。

 だからこそ、白蛇と共に術の練習に励んだ。


 気にする事はないと言って下さったが、やはり無茶をさせてしまった。

 次から気を付けねば。


 華火は白蛇の術を、あえて心の闇を見つめながら相殺するという練習を始めた。自から覗くと覚悟を決めれば、身体の末端で障りを止める事が出来た。

 これを続ける事で、突然心乱されても完全に触りに呑まれる事はなくなるだろうと、華火は予想している。


 皆への影響も今はないようだが、そちらも気を付けねば。今回は誰も外へ様子を見に戻らなかったから、平気なのだろう。

 それに飛鳥様から教えられた事は、自身の力で相手の力を受け流す方法だとも気付かされた。


 ぶつかり合う事だけが、戦う事ではない。犠牲を最小限に留めるのもまた、戦い方の一つだ。

 だからこそ、華火は自分の決意を固める。

 羽団扇は最終手段とし、自身の天候を操る力の強化に励むと。

 すると、外から差し込む光が強くなった。


 今日は梅雨時に珍しく、晴れになりそうだ。


 自然と目を細めれば、玄関の開く音がした。だから華火は飛ぶように立ち上がり、小走りで駆ける。

 辿り着けば、待ち焦がれた相手がいた。


「お帰り」

「待ってたのかよ」

「悪いか?」


 青鈍がため息をつけば、木槿はこちらへ飛び込んできた。


「華火ちゃんただいまー!」

「ちょ、ちょっと距離が近くないか?」

「そう? だって離れてた分、くっつきたいじゃん!」


 ぎゅうぎゅうと抱き締められるも、華火は春に泊まりに来ていた真空の言葉を思い出す。


『華火が想う相手なら、触れてもいいの。もっと言うなら、想い想われる相手、です。だからね、華火を勝手に想う相手には触れさせちゃだめ。想いが通じ合ったと勘違いする殿方は多いのです。その点、わたしは同性でもあるので問題ないです! そういう訳で、殿方に隙を見せてはいけませんよ、というお話でした。特に、木槿さんとか木槿さんとか木槿さんとか!!!』


 あれだけ念を押されたにも関わらず、華火は約束を守れなかった。けれど、木槿が慕うのは山吹である。ならば問題ないのでは? と、心の中で真空に言い訳をしてしまう。

 そこへ、思わぬ助け舟が入る。


「もうやめとけよ」

「えっ? 何で?」

「困ってんだろ」


 無理やり顔を上げれば、渋みのある紅紫の瞳が華火の姿を映し出す。首を傾げて様子を窺う木槿から視線を外せば、今度は青鈍の墨が混ざるような暗い青緑の瞳と視線がぶつかる。僅かに眉をひそめるその顔には、不機嫌さしか感じない。


「もう、怒ってないのか?」

「あぁ? それ聞くのかよ」

「怒ってるけど、怒ってないよ! 華火ちゃんに怒ってもしかたないしさぁ」


 青鈍は面倒臭そうに前髪の分け目を掻き上げる。それに対し、木槿はにこにこと笑顔を向けてきた。

 しかしすぐ、二匹は顔を見合わせた。


「なぁ、華火。お前、痛い目見とけ」

「痛い目、とは?」

「こういう事だよ!」


 突然青鈍に手で口を塞がれれば、木槿に押し倒される。痛みはないが彼らの顔に影が広がり、考えを読み取るのが遅れた。


「思い出すな、俺らが出会った時を」

「あの時は背中だったけどねぇ」


 いつもよりも低く小さな声が、両の耳から入り込んでくる。吐息を感じ、思わず身を震わせれば、彼らは顔を離した。


「少しは怖くなったか? でもな、それじゃおせぇんだよ」

「そうだよぉ? 仲間の振りして裏切るなんて、造作もない奴ばかりが生き残るんだからねぇ」

「で、俺らも考えた。もうお前らは用済みだ。だからな、俺らに影響を与える華火だけはどうにかしないと自由になれない、ってな」


 可笑しそうに笑う二匹の声は、確かに出会った時に近いものを含むように聞こえる。


「最後に、何か言いたい事はあるか?」


 手を緩めた青鈍が問うてくる。

 でも今は、その質問自体がおかしい事に気付ける。

 それは彼らの瞳が、とても優しく華火を見つめていたからだ。

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