第83話 与えられた試練

「さぁ、どこからでも参られよ!」


 弾む声は上空から。しかし、山吹の結界内である。


 光は漏れるが、音は漏れない。

 だからといって相手は天狗の長。どう仕掛ければ……。


 力比べとは、飛鳥に攻撃を一度でも当てるというもの。最初に詳しい説明がなく、反対する者も出た。しかしこの内容ならと、皆が縁側から見守っている。

 けれど、華火は迷う。それは相手が長という立場の者であり、単を思い出したからだ。

 自分の術が簡単に掻き消されるあの絶望がまた、心を蝕む。


 落ち着け。

 相手は飛鳥様だ。

 単様ではない。


 言い聞かせれば、多少は冷静になれた。それでもまだ、心に闇がくすぶる。自分自身を受け入れてから、こうした変化に敏感になれた。しかし、新たな怒りに出会うのは戸惑うもの。

 だから更に息を深く吸い、吐き出す。それでもう、華火は終わりとした。


「天候、豪雨ごうう


 まずは手始めに視界を――。


「そぉれ!」


 直接の攻撃は避けられ消し去られる。そう危惧した華火は不意を突こうとしたのだが、飛鳥は羽団扇を一振りしたのみ。

 結果、術は霧散した。


 やはり……。


 ぎりりと奥歯が鳴る。自分の力が及ばない事への悔しさ、そして成長していない事実を目の前に叩きつけられた事への、怒り。

 しかしそれらを力に変えようと、華火は動き続ける。


「天候、鬼雨きう!」


 先程よりも激しい雨を降らせれば、やはり飛鳥は羽団扇を構えた。それより早く、続けて術を掛ける。


雷雨らいう!」

「術を重ねたところで意味は無し!」


 雷も発生させたが、飛鳥は羽団扇で垂れ幕でも払うように術を消し去る。

 しかし華火は天候の重ね掛けを初めて行った。そのせいで、息が上がる事実に唇を噛む。


「うーむ。この程度か?」

「っ! まだです!!」


 悔しい。

 私だけが、成長していないなんて!!


 皆が日に日に強くなっているのはわかる。だからこそ自分もと、そう思っていた。

 けれど結果はこんなもの。皆のために強くなりたいと思うのは揺るがない事実。しかし行動が伴わない歯痒さに、怒りでどうにかなってしまいそうだった。

 それでも再度、術を重ね続ける。焦りから生み出された天候は安定せず、お互いを打ち消し合うように弱まってしまう。

 それを、飛鳥は羽団扇すら使わずに眺めていた。


「なるほど……」


 雷をひらりとかわし、飛鳥は雨風の中で豪快に笑った。


「拙者、少々見誤ったようでござるな!」


 言葉が華火の心を突く。

 その衝撃に、身体が震える。


 あの時に比べたら、そうかもしれないが――。


 瞬間、単の笑い声が聞こえた気がした。


『いや、お前は使うだろう。何度でも』


 違う、違うっ!!


 手を握り締めれば、指先が痛む。

 ふと目を落とせば、爪が黒ずんでいた。


 呑まれるな。

 また感情のままに力を使えばどうなるのか、わかっているだろう?

 だから今一度、私は私のまま、勝負する!


 相手は華火の秘密を知ってる。

 ならばあの時の天候を使い、隙を作ればいい。

 そう、華火自身が告げてくる。

 けれどそれこそ、単が残した言葉を証明するものになる。

 それは華火の望みではない。


 自分の力は自分で使いこなせ!


 そう自身を叱咤すれば、怒りは宿したまま、華火は金の光に包まれた。


 これは……。


「華火!!」


 織部の声で、顔を動かす。彼の顔は泣き出してしまいそうな程、苦しげだ。竜胆も糸目を僅かに見開いている。

 けれど他の皆は、胸元を掴みながらも頷いてくれる。


 皆には、わかるのだな。

 この感覚は、あの時にとても近い。

 でも、違う。

 あの時は、私の意識が天と同化するような、そんな不思議な気分だった。

 でも今は、皆との繋がりを更に深く感じる。


『華火殿。この白蛇、何度でもお伝えしましょう。感情に振り回される事もある。けれど、わしらは天候を操る者。よってその感情、お天気占いにて表現すべし!』


 白蛇の言葉に背中を押され、華火は前を向く。

 捉えるのは、片眉を上げて微笑む飛鳥の姿。


 もう、大丈夫だ。 

 あとは本気で、ぶつかるのみ!


 ここにいる皆とは、心で繋がっている。だからそれぞれの反応が、表情が、言葉が、全て華火の力となる。

 そして情けない自分を認め、印を結ぶ。


 このまま終わらせてなるものか!!


「天候、風巻しまき!!」


 先程までは飛鳥だけを包む規模の天候だった。しかし簡単に消し去られる。

 ならば、直接視界を奪うまで。飛鳥の顔を、雨雪を伴う激し風が覆う。息ができないであろう飛鳥は、それでも羽団扇を動かした。

 そこへ、華火はひと押しする。術の範囲が狭ければ、身体への負担も軽減されるはず。

 何より、華火を信じて未だ動かずにいる皆へ応えるべく、全力を出し切るため。


こおりあられ!!」


 先程から飛鳥を取り巻く雨雪を透明な氷つぶてへと変える。

 それを、やはり羽団扇で払われる。


 どうだ……?


 一撃。たった一撃を当てる。その結果はまだわからない。

 しかし曇天を背に、飛鳥は大きく翼をはためかせ、目を見開いた。


「華火殿の事、重々承知つかまつった!」


 からからと笑う飛鳥の頬から、じわりと血が滲むのが見えた。


 ***


「貴重な時間を過ごせた事、心より感謝申し上げ候。これからも、仲間と共に強くあろうとして下され」


 山吹が癒しを施す中、びしょ濡れにしてしまった飛鳥を華火は狐火で乾かした。その時にはもう、金の光も爪の黒ずみも、消えていた。

 支度が整えば、飛鳥はすぐに帰る旨を伝えてきた。『少々、意地の悪し事をしたでござるな』と謝られれば、羽団扇を差し出してくる。


「使い勝手は見ての通り。術も何もかも、吹き飛ばせる。実は拙者、長としての力を見極めにも来たでござるが、これはからの贈り物としてお受け取り下され」


 華火の揃えた両手へ、そっと飛鳥は羽団扇を置く。そのまま彼は大きな手を重ねてきた。


「この先、悪しき事を考える輩も出てくるやもしれぬ。その時の助けとなるよう、祈りを込めたでござる。だから遠慮なく、使い潰して下され」


 白い歯を見せ笑う飛鳥の手が離れ、華火は彼の目を見た。


「ありがとうございます。長というものに、私自身は興味がありません。予言によってそう捉える方もいるのでしょう。ですが飛鳥様がおっしゃるように、まだまだ弱い私ですが、大切な仲間と共に在りたいと思っています」


 華火の言葉に、飛鳥の瞳が眩しそうに細められた。


「だからこそ友として、末長くよろしくお願い致す!」

「ありが――」

「おおっと! 最後に伝えたい事が!!」


 穏やかな空気が一変し、びりびりと耳が痛む。

 しまった! とでも思ったような顔をした飛鳥は頭をぺこぺこ下げている。このような長の元にいたら毎日が飽きないだろうと、華火の考えが横へ逸れた。


「無条件に信じろとは言えませぬが、華火殿の事は絶対に口外しませぬ。文字でも何にでもして残す所存でござる。だから安心してほしいのでござるよ」


 飛鳥が出来る限りの囁き声で、懸命に伝えてくる。その姿こそが、信じるに値するもの。

 だから華火は笑顔を向ける。


「そのような物がなくとも、信じます。何より、飛鳥様の言葉には嘘がないと、私は思いましたので」


 飛鳥は嬉しそうに頷き、急浮上した。


「何か天狗に出来る事があらば、お助けさせて下され! では、これにてご免!」

「ありがとうございました!!」


 力の限り声を届ければ、飛鳥の姿はあっという間に見えなくなった。

 その瞬間、舌打ちが聞こえた。


「なぁ華火。何でお前は記録にも残さず、簡単に信じたんだ?」


 音の出所は青鈍だ。他の者の視線を集める中、彼がこちらへ歩いてくる。


「元々な、考えが甘い奴らの集まりだ。指南所にいた奴らもみんなそうだ。だけどな、お前が一番甘い。お前の判断で、みんなの命が巻き込まれんだよ」

「そうかもしれないが、飛鳥様は――」

「あのさぁ、俺が朝、たーっくさん話してた事、ちゃんと聞いてたの?」


 遅れて青鈍へ並んだ木槿むくげは、呆れた顔をしていた。


「言葉なんていっくらでも吐き出せる。それに引っ掛かった奴が馬鹿。だから華火ちゃんも馬鹿。納得してそうな奴らも馬鹿。馬鹿ばっかりだよ、全く」


 その言葉は皆を刺激するものである。それをわかっていても尚、木槿は止まらない。

 だから初めて、青鈍と木槿が本気で怒っているのがわかった。


「これじゃあ、命がいくつあっても足りないなぁ」


 いつも通りの笑みを浮かべているが、木槿の瞳は何も映していないように暗く感じる。

 しかし、どう納得させるかわからない華火は、黙ってしまった。


「言い返せもしねぇのかよ」


 吐き捨てるように青鈍が呟き、この場を離れようとする。

 それを、紫檀が止めた。


「今の言葉、華火に言うのは間違いなんじゃないの?」

「あぁ? うるせーな」

「紫檀はさぁ、指南所ではましな方だったよねぇ。むしろ、みたいな? ま、気のせいだったのかも、ね?」


 俺達側?


 何をもってそう言ったのかわからないが、紫檀の手を払って青鈍と木槿は管狐を召喚し、社から飛び出してしまった。

 残された皆が戸惑う中、紫檀だけが痛みを耐えるように、眉間にしわを寄せていた。

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