第82話 天狗の長

「うるさい」


 玄の呟きが、はためきの音の隙間を縫うように届く。

 見上げれば、大きな漆黒の翼を持つ者がいる。


「お初にお目に掛かる! かたじけないでござるが――」

「おい! そんな遠くから声掛けんな!!」


 かなりの距離がある。そして、逆光なのもあり顔がはっきりと見えない。

 しかし、翼を力強くはためかせ、大声はそこかしこに響き渡る。

 だからこそ、柘榴が怒鳴ったのだろう。

 今は昼過ぎ。お役目のない妖にとっては眠る時間だ。


「なれど! 許可なく近づく事など――」

「あの馬鹿、引きずり降ろそうかしら」


 礼儀正しいのだろうが、はた迷惑だ。

 その証拠に、寝ぼけまなこを擦る妖達がちらほら顔を出し始めた。それでも尚、上空から何かを訴え続けている。

 だから紫檀が地面へ棒を描き、取り出している。きっとあれを投げるつもりだろう。


『待たれよ、紫檀殿』


 藤色に輝く棒を担いだ紫檀を止めたのは、大楠の上にいた白蛇。皆の視線が彼に集まる。

 すると、ゆっくりと鎌首をもたげる白蛇の鱗が、虹色に輝き出した。


『この大馬鹿者が!! 諸々、反省せい! 落雷!!』

「うがっ……! ぬうおぉぉぉおおお!!!」


 普段の白蛇からは想像もつかない叱責の声に、華火は驚いた。

 しかしそれ以上に、雷が直撃したのにも関わらず、落下しながら気合を込めている謎の男に恐怖を抱く。


 何だ、あれは……。


「あらあら。風の音がうるさいと思ったら、雷まで。ひと雨来るのかしらね。洗濯物取り込まなきゃ」


 結界の外で天候を変化させたからだろう。人間のそんな呟きが聞こえる中、謎の男は山吹の結界に大きな音を立てて着地した。


 ***


 謎の大男が今、大広間で土下座している。

 黒の山伏姿。肌は浅黒く、凛々しい眉。僅かに垂れる目と胸まで伸ばされた髪、そして大きな翼は間近で見れば黒の中に朱も混じる。それが、差し色のように映えていた。

 鍛え上げられた身体はたくましい。けれど、穏やかさをたたえる目元から、落ち着いた雰囲気をまとう。それを、勇ましすぎる声が台無しにしていると、華火は思ってしまった。


「誠にかたじけない。改めてご挨拶を」


 近隣の妖達へ白蛇と紫檀が頭を下げる中、近所迷惑なのを伝えながら山吹が介抱した。

 すると、誉から紹介を受けた旨を伝えられ、仕方なく社の中へ通したのだ。

 そして今、ようやく謎の大男の顔が上がった。


「拙者の名は飛鳥あすか。未熟ながらも、天狗のまとめ役でござる」


 まとめ役!?


 背筋が伸びる。同時に、目の前の大男が天狗の長だと理解し、華火の背中に冷たい汗が流れた。


『これは失礼を……、と申し上げたいところなのですが、さすがにあのような行動は目に余りますぞ』

「かたじけない。山に籠りすぎて加減を間違えた拙者が悪い」


 長と判明したが、白蛇は態度を崩さず苦言を呈する。それに対し、飛鳥は再度、頭を垂れた。

 だが姿勢を正し、皆と向き合う。


「迷惑千万をお掛けしたでござる。なれど、ここへ参った事の由を聞いて下され!」


 必死さは伝わる。悪い者でもなく思える。そして何より、大蛇の長から紹介されたという言葉が、彼を信用にたる者と感じさせるのだろう。

 しかし華火がそれを決める事ではない。だから、白蛇や紫檀を見やる。

 すると、彼らは共に目配せし、飛鳥へ向かって続きを促した。


「有り難き幸せ! 実は誉様から、追い求めている者に出会えると言われたでござる。無論、何奴にも話していませぬ」


 追い求めている?


 誰の事だろうと考えてみるが、情報が足りなすぎる。

 しかし、白蛇の戸惑う声で、華火の意識はそちらに向いた。


『まさか。これが誉様の……』

「何か知ってるの?」

『いや……。わからんが、誉様はこちらがよく理解できぬ行動を取られる事がある。今回もそうかと……』

「はははっ! 拙者にも心当たりが。それが誉様の魅力でもござるな」


 白蛇へ紫檀が話し掛ければ、飛鳥も楽しそうに会話へ飛び込む。その姿は少年のように無邪気だ。


「あの! 失礼を承知でお尋ねしますが、飛鳥様が追い求める者とはもしかして、華火の事、ですか?」


 私?


 隣に座っていた織部の声が上ずる。並びに座る竜胆が動き掛けたが、止めずに飛鳥へ顔を向けていた。

 その瞬間、華火は織部の質問の意味を理解した。


「そうでござる! 拙者、華火殿に礼を伝えたく、ここへ参ったのだ!」

「礼、ですか?」


 身構えていた緊張が解ける。

 全くの初対面。それなのに華火の何が彼の助けとなったのか、理解できない。

 そんな華火を置いていくように、飛鳥が話し続ける。


「昨年のあの素晴らしき金の雨。頬を張られたような衝撃でござった」


 はっきりと言葉にされれば、一気に緊張が走る。

 すると飛鳥が懐から小刀を取り出した。


「誤解を招く物言いでござった。よしんばそちらが不利益をこうむるなら、拙者ここで自害致す所存にて候」


 あまりにもさらりと告げられたが、極端な考えに血の気が引く。


「それはいけません!!」

「有り難きお言葉。なれど、これぐらいの気構えである事はご理解下され」


 いったい、何故そこまで?


 華火が予言の白狐と知ってやって来た。もちろん、助言した誉も気付いていたのだ。それでも、飛鳥の発言から公にしていない事は想像できる。それはきっと、白蛇との繋がりがあるお陰。

 しかし、相手は天狗。妖狐とは特別な繋がりもない。だから、油断できない。なのに、華火の心にするりとすべり込むように、言葉が届いていた。


「で、具体的にはどういうお礼、なのかしら?」


 周りを見回せば、先程よりは場の空気は緩んだように思える。

 けれど、紫檀の表情は送り狐のまとめ役をしていた。隣にいる織部の顔も険しいまま。そして、青鈍と木槿むくげに至っては、いつでも抜刀できるように手が刀へ添えられていた。


「我ら天狗は面目ない事に、人間を惑わす事を辞めれば、何ぞ残るのかと、迷いが生じたでござる。そうなると、修行に身が入りませぬ。結果、金の雨を浴びるまで、最低限のお役目のみ、こなして参った」


 自分達の様子を気にも留めないように、飛鳥は話し続けている。

 天狗のお役目は魔を退ける露払い。

 山には様々なものが溜まりやすく、それに当てられた人間が迷い込む場所でもある。

 その対処として、天狗の住む山では不思議な現象が起きる。それは確かに人間には強力なものであり、危険視されていた。

 しかし妖本来の生き方で、惑わす事に重きを置いてしまったのだろう。


「しかし、あの金の雨で目が覚めたでござる。我らが惑わす意味。それ即ち、人間を正気に戻しめるものなりと。妖同士の決まり事ではあったでござるが、我らの力はこれより正しき向きへ使うと、今年の総会にて披露する算段でござる」


 輝かしい笑顔を向けられ、華火は戸惑う。

 あの術がそこまでの影響を与えた事を改めて理解するも、それは華火自身が直接天狗へ向けたものではない。

 言い知れぬ罪悪感を抱けば、飛鳥は小刀と交換するように、今度は懐から羽団扇を取り出した。


「今、我らは無駄にした時を取り戻すべく、修行をしておる。それもかも、華火殿のお陰。だからこそ、探してござった。なれど、妖狐は華火殿の存在を隠させた。表立って騒いではおそらく迷惑千万になると、拙者は考えたでござる」


 羽団扇の持ち手は赤。羽は飛鳥のものを使用してるのがわかる。広げればとても大きく、立派な代物だ。


「それとはいえ、直接お会いしたかったのでござるよ。だからこそ、誉様を訪ねた。誉様は妖狐との仲も深く、面も広い。なれど、口も固い。内密に見付け出す助力を頼んだのは正解でござった!」


 また飛鳥の声量が上がれば、白蛇が尾で畳を叩く。すると飛鳥は咳払いし、羽団扇を閉じた。


「華火殿。拙者が魂を込めて作ったでござる。礼としてお受け取り下され」

「その――」


 大層なものは受け取れません。と、言葉が滑り落ちそうになる。本心はそうなのだ。

 けれど、飛鳥の真剣な様子、そして今の話から、華火は受け取るべきだと考えを改めた。


「有り難く、頂戴致します」


 嬉しそうに頷く飛鳥の元へ近づく。そんな華火を通す道を作るように、皆が左右に移動した。

 辿り着けばすぐに華火も正座し、飛鳥へ一礼する。それから羽団扇へと手を伸ばせば、ひょいと上へ避けられた。


「あの……、いかがなさいましたか?」

「一つ、頼まれていただきたい」


 華火がおずおずと尋ねれば、飛鳥はにんまりと笑った。


「拙者と力比べしてほしいでござる」


 この言葉で、大広間にはどよめきが広まった。

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