第81話 犬神の長としての在り方

 嘆きながら反省文と向き合う茶々丸を残し、上へ来た。

 報告の間は緊張する。

 小さな和室。庭がよく見える大窓。けれど、音が漏れる事はない作り。

 先程までは朝日が同席していた。しかし今はいない。

 心の拠り所がなくなった小春は、涙を堪えていた。


「そのような顔を見せるな」

「は、はい! すみません……」


 緊張のあまり、うまく声が出ない。任務の失敗と共に、更に銀次を苛つかせた事だろう。

 そう考えるだけで、胸の痛みが増す。


「失敗は誰しも通る道。そこから得たものを糧とし、成長すればいい」

「……はい!」


 嘘……。

 銀次様が、笑ってる。


 罵倒される事しか、予想していなかった。

 けれど穏やかな空気に包まれ、小春の気が緩む。


「今の話は、将来長となる者への助言に過ぎない。そしてこれから明かす事は、長になる者にしか伝えられん」


 またその話……。

 あたしに長なんて無理なのに……。


 それでなくとも新入りの小春には、妖の世界について、未だわからない事ばかり。


 もっと知りたい。もっと交流したい。

 何より、ご主人様のいる下の世界に居続けたい。


 それが小春の願いなのだ。

 けれど銀次は譲らない。いずれと言いながらもそのように扱ってくる事に、小春の胸は押し潰されそうになっていた。

 だが、更に何かを打ち明けられるようで、耳を塞ぎたくなる。


「お前の主人はもういない」


 ?


 一瞬、何を言いわれたのかわからず、小春はただ前を見た。


「我々を創り出す人間は、全て葬る。それが、犬神の長としての在り方だ」


 人間を、葬る……?

 そんな事、出来るわけがない。

 人間に危害を加えない。妖の存続に影響が出るから。

 それが、妖同士の約束なのに。


 だからこそ、小春には銀次の声が遠く感じた。


「黙っていた事を、ここで詫びる。しかしながら、もう、生まれを思い出し、苦しむ同胞を見るのは、耐えられなかった……」

「ぎん、じ、さま?」


 泣いてる、の?

 あの、どんな時も強い銀次様が?


 下を向き、肩を揺らし、口元を手で押さえる姿に、小春の心が大きく揺れた。


「まさか、ずっと、ずっと、銀次様だけで、その秘密を抱えて……?」


 小春の声に、銀次の頭が縦に揺れる。


 そんなの、心が砕けてしまう。

 きっと、あたしみたいにご主人様を慕う心は残されているはずだから。

 だから、だから、責められない。

 この前の降り注いだ金の雨で、もがき苦しんでるみんなを、見てしまったから。


 直接、人間から生み出された犬神は、地獄を味わっただろう。しかし、犬神同士の間から生まれたとしても同じ。魂に刻まれた記憶を消し去る事は不可能。あの瞬間に呪いが生まれ、自分達が創られたのだから。


「……だが、妖狐の元長、単だけは知っている」

「えっ?」


 大罪となる情報を何故他種族、しかもその長が知るのか。あちらには妖狐を脅かす者へ裁きを下す断罪役も存在するのに、どうして銀次は無事なのかと、様々な疑問が湧き上がる。

 けれど、未だ顔を下げ続けている銀次の様子からは、何もわからない。


「それはな、単からの提案でもあるからだ」


 それはどういう……。


 理解できない。だからもう、小春は聞き続けるだけ。


「単は、こう言ったのだ。『出来損ないの者が生まれるのは、出来損ないの人間がいるせい。そのような人間を間引ければ、少しは優秀な者が生まれるでしょう。そうすれば妖は更に繁栄する事となる』と」


 何て事を……!!


 その残酷な言葉に、小春は唇を噛み締めた。


「『どうです? 銀次様は常、悩まれておりましたね。未だ直接生み出される犬神の不幸を止めたいと。失敗作はただの呪いとなって、犬神にもなれません。ですからもし、銀次様が動かれるのであれば、妖狐は目をつぶりましょう』とな」


 そのような考えの者が妖狐の上に立っていたなんて!

 銀次様に全て押し付けて、それでほくそ笑んでいたんでしょう!?


 昨年の総会で素知らぬ顔をした単を思い出せば、錆びた味が口の中に広がる。その懐かしさに、小春は犬神として生を受けた瞬間を思い出す。


『小春、よくやってくれた! お前は本当に素晴らしい子だ!』


 最初で最後の、ご主人様のお役に立った日。

 獲物を仕留めて帰ってきたあたしを、うんと褒めてくれた、ご主人様。

 わかる。いらない人間がいる事も。そんな人間がいるから、ご主人様みたいな人間が生まれてしまう事も。

 でも、それでも――。


 もう二度と会えぬ主人を想いながらも、小春は銀次へ向き合う。まだ、あの力強い目を持つ銀次の顔は見えないが、届けたい想いがある。 


「でも、でも、銀次様。もう、単様はいません。そのような辛い事はもう、お辞めになって下さい。他の方法――」

「小春。理解できないか?」


 言葉を遮り、銀次がゆっくりと顔を上げた。そこには、いつもの長が存在していた。


「予言の白狐が現れたのだ。しかも、他種族にまで影響を与える程の。その者が次の長。だとすれば当然、単の意志は受け継がれている」

「そんな……」

「この地獄に、終わりはないのだ……。ぐっ……くふっ……」


 再度、肩を大きく揺らし、口元を覆う銀次から漏れ聞こえるのは、苦しそうな声。

 その姿に、小春は絶望する。


「だからこそ、早々に見付け出したいのだ。次の長となる妖狐を。今後、犬神だけでは済まない事態になり得る。今回の報告から、小春達が相手にしている者が一番近しい存在であるのは間違いないだろう」


 華火ちゃんが……?


 銀次から告げられる事を心が拒否する。彼女がそんな考えを持つとは思えない。もし予言の白狐だとしても、長になる者だとしても、話し合えばきっとわかり合える。

 それなのに、銀次からは嘘の匂いが一つもしない。その事実に、小春は首を絞められたような息苦しさを覚えた。


『辛くは、ないのですか?』


 あたしの話を聞いて、声を掛けてくれた華火ちゃん。

 同情からの言葉なのはわかってる。

 でももし、それが、での同情だったら……?


 自分の過去を告げた時、華火は確かにこう言った。それは彼女の優しさからだと思った。

 でも今は、妖狐の考えを強固にさせたからこその発言に思えてしまった。


「まだ、この現実を受け止め切れないだろう。お前にはしばし休みを与える。その間、長の仕事に携われ」


 涙を堪え切ったであろう銀次の頭が上がる。頬には少しも濡れた跡などなく、小春は息を呑む。

 その心の強さに、鋭い眼光を宿す黒の瞳に射抜かれ、小春は自身の甘い考えが砕け散るのを感じた。


 ***


 犬神達と揉めた日から、小春の姿を見なくなった。朝日や茶々丸も通う事がなくなり、華火達の方から直接訪ねた事もある。

 返事は、『このままでは犬神と妖狐の絆に亀裂が入る。今は頭を冷やすとして、接触を避けるように言われている。小春は、もう新入りとしての考えを捨てさすとして、銀次様が直接教育中だ』というものだった。


「華火、集中しろ」


 今は貴重な鍛錬の時間。

 空は華火の思いが渦巻くような、曇天。そろそろ梅雨入りする天候に、気が滅入っているのもあった。

 だからこそ、心ここに在らずなのを織部に見破られ、華火は頭を振る。


「来い、織部」

「……そろそろさ、おれも通えなくなる。だからその前に、悩みがあるなら直接聞いてやる」


 それだけを言い、織部がずんずんと縁側へ歩き出した。華火も鉄扇を帯へ差し込みながら、皆が鍛錬する音の中を追いかける。


「真空さんの方が話しやすいか?」

「そんな事はない」

「そうか? それならいいけど、こういう時いないなんてなぁ」


 どかりと縁側へ座る織部の横に、華火も遅れて腰を下ろす。

 真空は少し前まで、織部達とここへ通っていた。

 しかし何やら白藍と話し耽り、部屋にまで篭ってごそごそしていた。それを黎明は面白く思わなかったのだろう。何度も乱入し、真空に殴られていた。


 結果、『わたしには大切なお役目が!! なので、なので、ごめんね華火! 次に会うのは、なつ――、じゃなくて、また連絡するから! 絶対に待ってて!!』という約束事だけが残されたのだ。


「真空の事だ。しっかりお役目を果たしたらすぐに駆けつけてくれるはずだ」

「でももうすぐ入梅だぞ? いつ会うんだよ……。はっ! 元気出せ、華火! そ、そういや今年の夏祭り、おれのとこと華火のとこ、期間が被ってる日があるよな!? その、その時……、じゃねーよ! 今は違うだろぉ!!」

「お、落ち着け織部!」


 表情を七変化させる織部が突然、癖のある白く短い髪を掻き乱す。それに驚き、華火の心からもやが消えた。


「悪い……。今は華火の悩みが優先だ」

「その気持ちだけで、私は元気になれる」

「それでも、吐き出しとけよ」


 ぶっきらぼうなものの言い方だが、これが織部なりの優しさなのを華火は知っている。

 だから自然と、笑みがこぼれた。


「ありがとうな、織部。でも、今は待つしかない。種族間の話し合いは蘇芳様に任せる他ない。だから小春が帰って来た時、彼女を受け止める準備をしておく。そうだろう?」

「話しながら解決すんなよ……」

「ははっ。織部が聞いてくれるからちゃんと考えられたんだ」


 あの出来事は公にせず、銀次と蘇芳で片をつけるとも教えられた。だが、双方忙しい身である。まだ話し会いの席につけていないのが現状だ。

 それらの事情から、自身が直接動けないもどかしさに要らぬ考えを生み出した。しかし言葉にすれば、腹を括れた。


「それに大蛇の長、誉様よりいただいた薬がある。それを活用し、犬神との仲を強固にしたいと思ってる」

「……無茶するなよ」


 何か言いたげな織部の視線から、犬神に対しての警戒が窺えた。なので華火はしっかりと伝える。

 誉から届けられた薬の効果は、『匂いを消すもの』と『強烈な匂いの元』だった。

 どちらも小瓶に入った液体。消すものは透明。匂いを発するものは濁る赤。

 匂いを消す方の薬に関しては、犬神の長が使用しているものと同等だと説明があった。


 匂いを消す薬の効果はひと口一時間程。

 赤い液体は絶対に嗅いではいけないと言われたな。使用の際は息を止めて振りかけるらしい。

 効果は三十分程。ほぼ毒のようなものに見えるから、これを使う事はないだろう。


 心配性の織部へ、不安を取り除くように微笑む。それと同時に、誉の言葉を思い出した。


『長たる者は時に、嘘をつかねばならぬ時もある。難儀なものだ。ちなみに大蛇の私は汗をかかない。犬神を謀るのは造作もないぞ?』


 冗談を口になさっていたが、白蛇様がいるからこそ動いて下さったのだろう。

 それに、銀次様も使用されている薬。

 これを使い、犬神を説得するしかない。


 嘘をつく事に抵抗はある。だがもし、また同じような事があれば、今度は双方無事では済まない。

 それならば、一時の嘘など容易いもの。そう考えを改めた華火の耳が、はためく音を拾った。

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