第80話 憂う者

「このような天候がずっと続けばいいんだがなぁ」


 大楠へ身を任せるようにもたれ座る誉に手招きされ、白蛇は距離を詰めた。


『で、場所を移されてまで話したい事とは何でしょうか?』


 いつもは縁側なのだが、誉からわざわざ提案されたのだ。それでなくとも長という立場の者。時間を無駄にしてはいけないと本題へ入った。

 しかし誉は伸びをし、頭の後ろで手を組み笑った。


「そう急かすな。私はね、友として話がしたいんだ」

『またそのような事を……』

「何度でも伝えよう。間違いは誰しもある。しかしながらその生き方、実に素晴らしいではないか」


 わしの妖となる経緯、そして今に至るまでを含め、誉様は全てを受け入れておる。

 いや、同族全てを慈しんでおられる。

 だからこそ、こうして『友』というお言葉で表現される。

 身に余る光栄ではあるが、誉様の意は汲めん。


 これからまた、同じ言葉を聞く事となる。そう、白蛇は予想する。けれど、わざわざ皆の聞こえない場所へ来たという事に、意味があるのだろう。

 思案しながら続く言葉を待てば、誉の整った眉が下がった。


「だからだ。もっと生き長らえてほしい。まだ間に合う。私の霊力はいつでも送り込める。だから今一度、完全な妖にならぬか?」

『幾度もの御提案、痛み入ります。しかしながら、わしはこのまま一生を終えましょう。それが自分の犯した過ちに対する償い。この姿のままで、今を見届けたいのです』

「だが、もう、時間がないではないか……」


 それは承知の上で生きておる。

 皆に救われた日から、ずっと。

 だからこそ、日々を大切に過ごせておる。

 誰しも、終わりは平等に訪れる。

 同族だから、ではないが、誉様にはわしの霊力が弱まっているのがわかるのだろう。


 ただ生きるのであれば、若干寿命は伸びるかもしれない。

 しかし、白蛇は今の生き方に満足していた。


『それが寿命というもの、ではありませんか? それに、わしは弟子を育てるのに忙しいのです』

「…………弟子?」


 寿命という言葉に、誉が何か言いたげな眼差しを向けてきた。けれど、尋ねられたのは別の言葉だった。


『先程おりました可愛らしい女狐、華火殿です。あのの成長は瞬きをするのも惜しくなる程、素晴らしいもの。同じ天候を操る者として、残せるものは全て遺していく所存です』

「……統率者か。こんな善き日だ。間に入ろうかと幻術を解きかけた時、私の鱗か何かの光があの娘だけに届いたせいで、不審な行動をしていたな」


 そのような事があったのかと初めて知るも、誉の顔から笑みが消えた。


「同族ではない者に、遺すのか?」


 沈んだ声に、誉の苦悩が混じる。

 だからこそ、白蛇は普段通り接する。


『種族の垣根は、ここにはございません。共に生きる者として、自分ができる事をするまで。それが、ここの者達の在り方です』


 互いに視線は逸らさない。

 それだけ、自身の考えが譲れないのだ。


「忌々しい。毒でも忍ばせてやろうか」

『ほほっ。そのような冗談はよくありませんぞ』

「半分は本気なんだが。まぁ、白蛇が可愛がる相手なら、私も可愛がってやろうか」

『いけませんぞ。それだけは何としてでも阻止しますので、御覚悟下され』

「はぁ……。またそのような事を。白蛇が子種さえ残していたのなら、このような事は口にせんのになぁ」


 大蛇は生命に対して執着する。

 だからこそ医術にも長け、妙薬を生み出す。そして、個を受け継がせる事にも力を注ぐ。

 白蛇は自身の役目を優先した稀な例であるため、誉から催促され続けていた。

 だが、華火をそのような対象として見る事は今後も一切なく、ましてやあのの意に沿わない相手をあてがうつもりも毛頭ない。


『それに華火殿は雅殿の御息女。それが何を意味するのかは、言わずともわかりましょう』

「ほぉ! 白蛇を救った男狐の子か! それは大切に扱わねば」


 白すぎる頬の鱗を煌めかせながら誉が嬉々としている。

 しかしすぐに、それは長の顔へと変化した。


「昨年、その雅殿に、毒を打ち消す薬を頼まれた。あれの使い道を深くは問わなかったが、『大切な者達を守るため』だと言い切っていた。そうか。なるほど……」


 きっと今、気付かれただろう。白蛇は肝を冷やしたが、それでも目の前の長ならばと、彼の長考を見守った。


「………………何やら訳ありな娘のようだな。しかしながら、白蛇と雅殿に免じて目をつぶろう」

『有り難きお言葉――』

「なぁ、白蛇。私の事は信じられるか?」


 言葉を遮られたのは、誉なりの優しさなのだろう。しかし、対価を求めるような質問に、白蛇は内心驚く。今までこのような事はなかった。

 けれど、答えは決まっている。


『今も昔も、変わりなく信じております』


 言い淀む事なく伝え切れば、誉は満足したように頷いた。


「狐の予言の騒動は大変なものだった。そして今度は犬ときた。ならば、迎え撃つのに味方は多いに越した事はない」

『それは、大蛇が味方になる、という事で間違いありませんか?』

「無論。だが、他言無用である。私はここの狐が奮闘する姿を見届けたい。なれど、興を削ぐものであれば手を引く。その時は、白蛇の身は私が預かるものとする」


 まさに青天の霹靂へきれき

 長が単独で答えを出すのは、種族の存続に響く。それでも尚、同族としての絆を身を持って示してくれるのは、白蛇の命があと僅かだからだろう。


「よいな?」

『そのお言葉、有り難く頂戴致します。しかしながら進言させていただくとすれば、、とだけお伝えしておきましょう』

「強気な発言、結構結構。それならば、まず手始めに薬か。だが、与えすぎてはまずい。犬に効果のあるものといえば……、あれとあれがよいか……」


 急に誉は立ち上がり、太枝の上へ円を描くようにふらふらと歩き続ける。その度に彼の鱗は色を変え、青白く長い髪も、白地の着物も輝く。

 けれど、それがぴたりと止まる。


「私とした事が失念していた。ちょうどいいのが。ふむ。急ぐか」

『何やら閃きましたかな?』

「これもまた試練。薬は後程届ける」

『試練とは?』

「わからぬのもまた試練の内!」


 高笑いする誉が上機嫌なのは伝わるが、白蛇は一抹の不安を覚えていた。

 彼がこのような態度を取る時、碌な事が起きなかったのを思い出したからだ。

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