第79話 大蛇の長

 華火が声の主を探れば、向かいの屋根から男が音もなくこちらの敷地に着地する。

 笠から垂れる枲垂衣むしのたれぎぬの向こう側には、穏やかに微笑む顔がある。その頬には、光の加減で虹色に輝く鱗が薄ら存在していた。青みがかる白の目と長い髪。白い着物の帯は黒。けれど、羽織まで白だ。


 あの肌は、大蛇おろちだ。

 何事もなく神域に足を踏み入れたのは、白蛇様の知り合いだからか?


 呆気に取られながらも周りを見れば、頭を下げる犬神達。

 そして、元々ここにいた送り狐達も同様の姿勢なのが目に入る。


『お久しぶりでございますな。このような善き日にお会いできて嬉しく思います』


 白蛇が声を掛ければ、目の前の男が破顔した。


「善き日! 左様。善き日だった! それをまぁ、台無しにしようとは。犬神、ちと粗相が過ぎたな」


 僅かに目を細めたしなめる姿がどうにも様になる。もしやこの御方はと思えば、視線が合う。


「新顔がいくつか。私の名はほまれ。僭越ながら、大蛇の長として間に入らせてもらおう」


 やはりと華火が慌てて頭を下げれば、誉の忍び笑いが聞こえた。


 ***


 静まり返った大広間の中で、最初に発言したのは朝日だった。


「やはり我々の思った通り、華火さんの天候を浴びた時、胸の中が騒つきました。だからこそ、何か刺激を受けた際、この天候が変化するかもしれないと危惧しました。その場合を想定して、試させていただいたのです」

「その結果不意打ちとは、これ如何に。もしくは、銀次の入れ知恵か?」


 笠を外した誉のひと睨みを受け、朝日は言葉に詰まったようだ。


「…………銀次様の意図をこのような形でしか汲めなかった、私の落ち度です」


 何故、そのような謝罪に……。


 朝日の態度は冷たく感じる事が多い。しかし、彼はお役目に徹底しているだけなのだろうと解釈していた。だからこそ、今回の指示も犬神の長から下されたものと理解している。

 なのに、朝日のみが悪者になろうとしている。その姿に、華火は納得できなかった。


「犬神の絆は素晴らしいもの。しかしながら、いつかその身を滅ぼしかねない。それを頭の片隅にでもねじ込むといい」


 誉の言葉に、朝日は無言で項垂れる。


「それになぁ、この新入りの統率者の天候と、昨年のあの天候。似て非なるものではないか? 華火殿の天候は春うらら。昨年の天候はまさに、太陽を直視したようなものであった」


 顔を上げた朝日から目を離し、誉が華火を見た。


「だからという訳ではないが、我らが納得できるように本気を出してほしい。出来るか?」


 断る理由はない。

 それにあの天候は、妖狐が迷い間違ってしまった時に発動するはず。

 ならば、いくらでも本気を出そう。


 誉の目を見つめ、華火は力強く頷いた。


 ***


「やりすぎ」

「すまない……」

「いや、僕の態度がそうさせたんだよね?」


 やはり華火の術はそこまで保たず、五分も経たずにふらついた。金をまとった特別な天候であった事も原因だったのだろう。

 だからこそ、状態にまでなった華火を見て、犬神達は一旦、引き下がってくれた。

 そんな中、大広間に敷かれた布団へ寝かされ、玄に叱られ、山吹に謝られた。


「そんな事はない。でもあそこまで山吹にさせてしまったんだ。私もやり切ろうと思っただけだ」


 何とか納得してほしかったからな。

 朝日が帰り際、『降り注いだ金の天候の術の名はわかるだろうか?』と尋ねてきたが、わからないと答える事ができた。

 知っていれば、天候を操ってみろと言われただろう。けれど、術の名はもう覚えていない。だから嘘ではない。小春も、緊張はしているが嘘の匂いはしないと、あえて言ってくれた。

 しかし、これだけで本当に誤魔化せたのかはわからない。


 先程までの事を思い出せば、更に心配事が脳裏を掠める。


 それに、小春や茶々丸様は重い処罰でなければいいが……。


 朝日は最後に不意打ちとはいえ任務を遂行できなかったとして、茶々丸には反省文を。

 そして小春は、犬神の長から直接言葉をもらうようにと告げていた。


 どうして小春だけが?


 何か理由があるのかもしれないが、無事である事を祈るしかできない。思わず触れていた布団を握りしめる。


「……華火?」


 少し前まで怒り気味だった玄が、黒目を細め覗き込んでくる。

 気遣いを滲ませるその声色に、華火は意識を戻した。


「いろいろあり過ぎて、考え込んでしまっただけだ」

「何をー?」


 今、大広間にいるのは白蛇と誉を除いた者だけ。あちらはあちらで積もる話があるからと、大楠の上に移動した。

 そして、遠巻きにこちらを眺めていた木槿むくげが会話に割り込んできた。


「処罰に茶々丸様は頭を抱えていたが、小春は長との直接の対話。何もなければいい――」

「はぁーーー。そんなの、考えるだけ無駄無駄。犬神は犬神の決まり事があるしさぁ。妖狐が首を突っ込める事でもないし。そんな事考える暇があるならもっと自分の身を案じなって!」


 それは、そうなのだが……。


 心から納得ができず、華火は沈黙する。

 木槿からは呆れたように首を振られたが、彼の首には腕が回された。


「全員がお前みたいな考えじゃねぇんだよ! そんな簡単に割り切れねーよな、華火!」

「それには自分も同意だ。華火、彼女は特別な犬神。きっと悪いようにはならないはずだ」


 柘榴の大きな手で口を封じられた木槿が、睨みながら暴れている。その横で、白藍が柘榴へもっとやれと伝えるような動きを見せながら、華火を励ましてくれる。


「ありがとう。柘榴や白藍が言うように、みんながみんな、一緒ではない。だからこそ、それぞれの考えを知れるのも貴重だ」


 だからもう無理に口を塞がなくていいと伝えれば、木槿が柘榴の腕を振り払って舌打ちしていた。


「にしてもだ。思った以上に行動に移してきたのは事実だ。これからどーする?」


 青鈍の声に、大広間が静まる。


「ま、あれだけじゃ押しが弱いわよねぇ……。でも、何か収穫はあったかしら?」


 そう言いながら、紫檀は山吹へ視線を向けた。


「確かに、犬神は納得しないだろうね。あの天候の名を知らないのは嘘じゃないけど、仕掛けがあると思われるだろうし。だからまた、何かあると思う。でもその時が転機になるかも」

「転機?」


 次があればもっと酷い争いになり得るのに、山吹はそれを待ち望んでいるような言い方だ。だから尚の事、今日の山吹の事がわからなくなった。


「そう、転機。今回確かめたかったのは、朝日さんの動向。正直、茶々丸さんと小春さんは問題ないって思ってる。今日の様子を見て、確信できた。そして朝日さんも」


 山吹がそう言い切れば、彼はにこりと微笑んだ。


「やはり犬神、といったところかな? 彼は特に仲間を大切にしている。任務よりもね。長からの直接のものなのにも関わらず、仲間の無事を優先した」


 だから頑なに、結界を解かなかったのか。


 山吹の行動理由がようやくわかり、心が緩んだ。この事実を隠していたのは、自分達が知っていれば緊迫が薄れるのを危惧したのだろう。

 中には気付いていた者もいそうだ。

 しかし山吹の続く言葉に、華火は耳を疑った。


「だからね、上手くいけばこちら側に引っ張り込めるかも、なんて思ってるんだ」

「なかなかに策士だな」

「やはり、無害そうな顔をしている者にこそ注意が必要ですね」

「……どういう事だ?」


 月白と裏葉が忍び笑いする中、華火の疑問は口から漏れる。

 すると、いきなり黎明が立ち上がった。


「あー! なるほどですー! じゃあ自分ー、今回突然華火さんが襲われたと蘇芳様に告げ口してきますねー!」

「そんな! それはそうなのだが、私は無事だ! 大げさにしないでくれ!」

「ちっちっち。だめなんですねー、それが。自分は断罪役なんでー、見逃せないんですよー。でも今回はですからねー。うまーく使いましょー! じゃ!」

「黎明!!」


 珍しくやる気に満ち溢れた顔をした黎明が、すぐに玄関へ走り去った。華火は止めようと動くも、山吹に手を掴まれる。


「大丈夫。黎明さんのあの言い方は、令状だけをもらってくるはずだから。その危険を犯してでも、犬神の長は予言の白狐を見つけたかったんだろうね。むしろ、それも狙いの内、なのかもしれない。このような揉め事に発展させる天候、とでも言えばどうにでもなってしまう、かもしれない」


 山吹の言葉に華火は身を固くするも、彼のどこか食えない笑みに変化する顔を眺めた。

 

「まぁ、決定的な証拠がないから、犬神も無理には動けないと思うけれどね。だからこそ、次に何かあれば令状を使って、茶々丸さんと小春さんの身柄をこちらへ引き渡すように交渉しよう。きっと朝日さんは自分で責任を取ろうとするはず。その時が、転機。ちょっと卑怯なやり方だけどね」


 ここまで、山吹は考えていたのか。


「山吹、成長したなぁ」

「山吹の考えは知ってるけどさ、やっぱり甘いなってまだ思うけどさ、今回のはいいね! いつもこれぐらいがいいんじゃない?」

「褒めてくれてるのに悪いんだけど、あんまり嬉しくないなぁ……」


 青鈍と木槿がぱちぱちと拍手をするも、山吹は苦笑いで対応している。

 山吹へ頼り切りになってしまったが、やはり心強い。

 だからこそ、誰も犠牲にならない努力をするべきだと、華火は心に誓った。

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