第76話 悪巧み

「それ、自分は聞きとうなかったです……」


 送り狐から万屋に酒の注文が入った、まではいい。社での宴会にも誘われ、受け入れたのが間違いだった。それ程に栃の酔いは醒め、本音がもれる。

 いくら狐の相談役からの頼まれ事とはいえ、これ以上の面倒事には首を突っ込みたくはないからだ。


「ですが、栃さんが蘇芳様への報告もしていますので、伝えておかなければいけないと思いまして」

「そうやけども、犬神さんに対して自分も一枚噛まなあかんのは荷が重い……。それに、あの嗅覚はほんまに欺けますのん?」


 山吹がしれっと巻き込んでくるのは、その時が近いのだろうと察してしまう。策を講じたところで、犬神の嘘を見抜く力を無効化するには至らないはずだ。

 それなのに、山吹は譲らない。


「欺けないなら、利用するしかないですよね?」


 ほんまに、狸より狸やわ。

 いやここは、狐らしいと言うべきやな。


 こうした悪い笑みを浮かべる時、山吹はとても活き活きしているなと、改めて実感する。けれどここまで言うのであれば、話に乗るしかないのも現状だ。


「……わかりました。もし犬神さんになんか聞かれても、金の光については知ってるけど、どんな力なのかはわからへん。ましてや直接力を使うとこを見た事もあらへん。何より、狐の内情まで知ったこっちゃあらへん。って、押し通すさかいね?」


 改めて確認すれば、不安しかない。けれど、山吹は頷いている。


「見廻役と話す時、誰しもが少なからず、気持ちが揺れるはずです。そこに真実と嘘を交えれば、見抜きにくくなるはず。それに妖狐ではない他種族に対しては、そこまで強く踏み込めないでしょうからね」


 華火が予言の白狐だと知っているのは、狐でも一部の者と白蛇や栃のみ。だからこそ、社への出入りが多い自分にも犬神が探りを入れるだろうと、山吹やここにいる男狐達は考えたようだ。


「ほな、自分の方はなんかあったら都度報告しますわ。せやけど、華火さんはほんまにいけるんか?」


 最悪、栃は他種族なので、あまりに追及がしつこければこちらの長を引っ張り出し、相手をさせればやり過ごせる。

 けれど華火は渦中の者であり、何より嘘が苦手に思える。だからこそ心配から、語気が強まった。

 

「もうすでに疑われていますからね。それなら自ら情報を提供する事で、犬神からの監視の目を緩めてもらえるかもしれませんし」


 山吹の言葉を、大広間にいる誰もが静かに聞いている。表情は違うが、中にはまだ迷っている者もいる。


「何より、華火はあの時の術の名を覚えていません。そして、どんな力だったのかも。それはここにいる皆も同じ。今も残るのは、妖狐の始まりの何かのみ」


 山吹が言葉を切れば、彼は真剣な眼差しを向けてきた。


「ですから直接、金の天候を受けてもらいます。それにまだ、華火はそこまで天候を持続させられない。だからこそ、あのような大きな力を使えないと納得していただこうと思います。それでも、もしもの事があれば、上に向かいますから」


 山吹さんもやっぱ不安はあるんやろうな。


 送り狐の数は増えたが、やはり相手は犬神。強行手段を取られれば厄介だ。

 そうなれば、頼れるのは上の者。蘇芳ならばすぐに動くだろう。


「急な話ですみません」

「いえいえ、気にせえへんで下さい。大変なのはそちらやろうし」

「あのー、ちょっとお聞きしてもいいでしょーか?」


 山吹との会話が一段落したところで、黎明から声を掛けられた。

 栃の中で、断罪役とは恐ろしい者との認識があった。しかし、黎明という男狐の話し方に気が緩みそうになる。

 その差異が女性には受けているようだが、見た目通りではない事も、栃は感じていた。


「なんですのん?」

「見廻役の小春さんってー、どんな子ですかー?」

「うーん……。一言で言うたら、天真爛漫、ですかね」

「わかりますー! じゃあ、よく一緒にいる朝日さんと茶々丸さんはどうですかー?」


 質問してきたのは黎明だが、織部という幼い顔をした男狐の方が必死に言葉を拾おうとしているのがわかる。犬神だからという理由以外に何かありそうだが、さらに黎明の問いが飛んできたので、そちらに向き合う。


「まだ未成年の小春さんを見守る兄達のように見えますね。朝日さんは冷静で的確な判断を下すと評判ですし、茶々丸さんは情にもろく、些細な事でもすぐに動いてくれますし。あまり悪い印象はあらへんなぁ」

「そーですか。ありがとうございますー! じゃあ今回小春さんを送り込んできたのは、やっぱり朝日さんですねー」


 何がや?


 急に、栃の理解できない話になれば、紫檀が続きを引き継いだ。


「今日ね、小春ちゃんだけがここに来たって言ったでしょ? その時、親睦会を提案してきたわけ。しかも妖同士の絆を深めるためにって、自分の生まれまで語ってきたの」


 あの子やったら言いそうやな。


 小春は誰に対しても仲を深めようとする傾向にあるため、さほどおかしな話ではない。

 だが紫檀の表情を見る限り、それだけではないようだ。


「だからといって、わざわざ正統な犬神の生まれ方を伝えるなんて、統率者や送り狐に対して含みを持たせたとしか思えない。ましてや、人間や元主人に害を成す妖を許せないと考えている事も喋ると踏んで、小春ちゃんだけに親睦を深めさせる役目をさせたように思うのよねぇ」

「……それだけじゃないよな、紫檀さん?」


 何も知らない立場からすれば、そこまで疑う事はないだろう。けれど、栃は事情を知っているからこそ、否定できずにいた。

 そこに、織部の声が割って入る。


「何かしら?」

「華火とも話したけど、あの小春って犬神、本当に障りに呑まれかけていないのか?」

「わかりにくいかもしれないけど、呑まれてはいないわね。さっきも説明した通り、障りに近い存在ではあるのよ、犬神って。本質は呪いだし」

「でもそれにしたって……」


 栃が来る前に何やらあったようだが、織部はまだ納得していないのだろう。華火の名を出した事から、彼女の身を案じて食い下がっているようにも思えた。


「華火と織部だけが感じ取ったわけじゃない。これは言わなかったけれど、小春ちゃんは正統な生まれの犬神だ。その分、呪いの純度が高い。だから他の犬神よりも感じるものがある。ただそれだけよ」


 自分はそないな風に感じた事はあらへんけどなぁ……。

 お役目がお役目なだけに、敏感なのかもしれへん。


 紫檀が話を終わらせれば、織部は押し黙った。納得しようと努力しているのかもしれない。隣に座る竜胆が励ますように頭をぽんと撫でたが、癇癪を起こした子供のようにその手を叩いて背を向けてしまった。


 栃はその光景を眺めながら、正統な生まれの小春は特別目を掛けてられている存在なのだろうと考える。そんな事情があるからこそ、幼くもお役目に就いた事にも納得できた。

 だからこそ、上手くいけば犬神全体を味方につけられるかもしれない。

 きっと山吹も同じような考えに至り、賭けに出たのかもしれないと、栃の中で結論付けた。

 

 ***


 闇の中とはいえ、とっくに目も慣れている。むしろ、相談役統括として過ごしていた日々を思えば、余暇を過ごしている気分だ。

 詳しい時間はわからないが、単はただ前だけを見つめていた。

 そこへ輝く白砂が投げかけられるように、一筋の光が差し込む。


「おはようございます。単様」


 長年聞き馴染んだ愛おしい女の声に振り向く。

 次いで、朝餉の匂いを感じれば、眩しさに目を細めた。


「お手を」


 いつの間にか側に来ていた暁をそのまま引き寄せれば、彼女の頬に朱が帯びる。

 視力が戻り、最初に捉えるものが暁だけの生活が続くのも悪くはないと、自分らしからぬ考えに笑い声がもれた。


「……お戯は程々に」

「これぐらいはいいでしょう? それで、そちらに変わりはないか?」


 開け放たれた扉の向こう側には、お目付役として断罪役の姿もある。毎度こうしたお遊びをしていたお陰で、この瞬間だけは背を向ける馬鹿者に成り下がった。


「まだ、大きな動きはないようです」


 閨での睦言むつごとのように単が囁けば、暁も同じように応える。お目付役はこちらの会話に耳を傾ける素振りも無いが、敢えての行動だ。


「そうですか」


 事細かに暁へ現状を伝えてくる蘇芳の考えは、単を試すものである。同時に、妖狐全体に大きな問題が生じた時に利用するためのものでもあると感じている。


 私の考えを継ぐ者は鳴りを潜めるしか生きる術がないでしょう。

 しかしそれすらも、流され消える時代が訪れるはず。

 

 暁の首筋をなぞれば、印に指先が触れる。互いに印付きとなった今、自分達は役目を終えたのだと実感する。新たな時代の幕開けが自身の代だった事には、何の後悔もない。

 そう思えるのは、華火の金の雨のせいに他ならない。


「ですが、遅かれ早かれ辿り着く。その時が楽しみですね」


 犬神の長の銀次には既に伝えてある。

 自分が亡き者になるか捕らえられた場合、新たな力を持つ者が誕生し、今までの時代が終わりを迎える事となるだろうと。

 だからこそ、銀次の理想の時代が続くようにと、単の仕組んだ行動に、彼は目を瞑っていたのだ。


 新たな統率者の力を試す事も伝えていましたし、見当は付けていそうですが……。

 まだそこまで派手な動きを見せていないのは、妖狐の中に他にも脅威となる力を持つ者がいるのか、見定めているに違いない。

 そういえば、あちらにも育て甲斐のある者が誕生したと言っていましたし、時期を待っているのかもしれませんね。

 しかし、こちらとしても不問にしていた銀次の行動を知った時、幼き統率者はどう出るのか。


 華火がどのような道を選ぶかによって、妖狐の世界の明暗が分かれる。彼女は『世界を変える』という自身の決断に耐え切れるのか、答えが出る時は近い。


 掬い上げる気もなかった底に沈む問題に直面した時、予言の白狐として崩れ落ちるような事があれば、時代は変わらないでしょう。

 その時はまた、返り咲くのも悪くはない。


 そう考えれば、暁を抱き寄せる腕に力が入った。

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