第四章

第70話 膝枕

 肌を刺すような冷たい空気が和らぎ、陽射しも暖かさが増す。春の訪れを、華火は縁側で感じ取る。別の温もりと共に。


「あったかいよねぇ」

「だな。それにしても、その姿勢は辛くないのか?」

「全然! むしろ最高!」

「そうか」


 送り狐にとって厳しい冬が終わり、凶暴な障りが自然と少なくなる。そうなると、寝起きする時間も変わる。

 それを整える為、華火の朝は早い。禊も自分だけが異性であるので、使用するとその時だけ誰も使えなくなる。なので、少しでも皆の妨げにならないようにとの思いもあった。


 すると時間の余る朝に、木槿むくげが付き合うようになってくれたのだ。理由は、華火の金の天候についての助言だった。


 妖狐の誰しもに力を与える事。契約すれば、更にその効果が発揮される。

 そして華火が考える光と影は、別の者には逆転したものになる場合もあるのだと、教えてくれた。木槿はきっと様々な者を見てきたのだろう。彼の言葉の端々にそれを感じる。

 これは華火にとって必要な事であると判断し、木槿がわざわざ時間を割いてくれる事に感謝していた。


 しかし彼はまだ眠たいようで、あらかた話し終わると華火の膝を枕にし、寝転がる。その姿がどうにも微笑ましく、つい頭を撫でてしまう。けれど、彼はそれを良しとしてくれる。


「この時間、たまんないよねぇ」

「そうなのか?」

「だってさ、俺達だけの秘密の時間だよ? 他の奴らが知ったらどんな顔するか……。いひひっ!」


 木槿が楽しそうに笑う意味がわからず、首を傾げる。すると、何故か彼は飛び起きた。


「面倒なのが来た!」


 どうも木槿は空を眺めていたようで、硝子戸に張り付き舌打ちした。それにつられて立ち上がった華火の目には、何も捉えられなかった。

 しかし玄関が勢いよく開き、どたばたと足音が響く。


「今、何をしていたのですか!!」


 ふすまを突き破るような真空の声が響けば、同時に開かれる音がした。


「どうしたんだ、こんな朝早くに」

「華火に会いたくて! 冬の間全然会えなくて、真空は干からびてしまいそうでした!!」


 木槿を睨んでいた真空が、目を潤ませ華火に抱き付いてきた。


「私も、真空に会えなくて寂しかった」

「それならやっぱり、契約しませんか?」

「しつこい奴は嫌われるよぉ?」

「貴方は黙っていて下さい!」


 華火と向き合いながら、真空が真剣に問うてくる。冬の間、管狐を通して何度も言われた言葉を直接聞き、苦笑する。

 そこへ木槿が割り込めば、真空の目が吊り上がった。


「契約すれば真空をそばに感じるが、私はやはり、友として過ごしていきたい。それに契約せずとも、真空の心は常にそばに感じる。この言葉は顔を見て伝えたかったんだ。だから曖昧な返事をし続けて、悪かった」


 友に想いを伝える気恥ずかしさはあるが、澄んだ空のような青い瞳を覗き込むように、真空へ伝える。

 すると、また彼女に抱き締められた。


「……そこまで言われたら、わたしはもう何も言えません。だからずっと、一番の友としてそばにいるから」

「当たり前だ」


 ぎゅっと抱き締め返せば、木槿の楽しげな声が聞こえてきた。


「華火ちゃんの事で真空ちゃんが感じられない事は、俺が全部感じておくからね!」

「いちいちそのような言い方をするのなら、受けて立ちます!」


 せせら笑う木槿と対峙するように、真空が華火から離れる。

 すると、別の声が混ざった。


「うるさい」


 寝癖のついた玄が目を擦りながら、廊下の奥から姿を現す。


「朝から悪いな」

「華火は悪くない。華火なら騒いでいい。うるさいのはそっちの二匹だ」

「玄ちゃん、華火ちゃんに甘すぎー!」

「玄さん聞いて下さい! 木槿さんが――」

「おはよーございまーす! 真空さん、自分に会いに来てくれたんですかー?」

「ひぃっ!」


 華火が詫びれば、玄は首を振り木槿と真空を指差す。それに対しそれぞれが言葉を発すれば、何故か黎明が反対側から音もなく姿を現した。わざわざ遠回りして、しかも幻術まで使い真空を驚かせたかったようだ。月白よりは下手だと言うが、十分使いこなしている。

 そんな黎明へ、真っ赤になった真空が情けない声を上げながら華火に抱き付く。


「ちちち、近寄らないで!」

「真空さんは素直じゃないなー」


 昨年、騒動の顛末を蘇芳達が話し終え、この社を後にした後、残された者達でささやかな祝杯を上げた。華火達が本調子ではなかった為、すぐにお開きとなったのだが。その時、黎明が何やら真空に耳打ちしたのだけは知っている。

 でもそれを尋ねる前に、真空は今のように赤く頬を染め、いち早く帰ってしまったのだ。なので、詳細は未だ謎のまま。


「黎明様、やり過ぎです」

「あー! ほらまた、呼び方が戻ってますからー!」

「し、しかし、それなら黎明も……」

「自分はこの口調が慣れてますのでー。華火さん達は普通にどうぞー」

「黎明がいいと許可したんだ。気にするな」

「そーそー!」


 ふるふると震える真空の背を撫でながら、華火は黎明をたしなめる。すると、思わぬ反撃を食らい、たじろぐ。そこへ更にいつも言われている言葉と、玄にまで同様の事を告げられ、頷くしかなかった。

 そこへ、紫檀の声が届く。


「おはよー! 元気なのは良い事だけど、禊は済んだのかしらー?」

「今行く」

「自分も行きますー!」


 姿は見えないが、禊場へ向かいながら尋ねているのだろう。そんな紫檀へ、玄と黎明が答えながら歩き出す。


「俺は華火ちゃんが禊した後にすぐ済ませたから、とーっても、綺麗!」

「だからその言い方が――」

「みんな、おはよう。真空さん、お久しぶりです」


 残された木槿が尚も小馬鹿にしたような言い方をすれば、真空が反応した。するとそれを遮るように、山吹が曲がり角から顔をだけを覗かせる。

 それに対し、華火と真空も挨拶をすれば、木槿はもうここにはいなかった。


「おはよ、山吹! あのさぁ、やっぱり普段から一緒に寝ない?」

「だからそれは断ってるよね? それに玄も寝ぼけて僕の所に来る事もあるから」

「それっ! それの対策に俺なんてどう?」

「むしろそれなら、玄と一緒に寝るから」

「何で!?」

「お前、朝からうるせーんだよ」


 木槿からの言葉に、山吹が困り顔になる。しかし最後は呆れたような眼差しを送りながら、向こう側へ消えた。それを木槿が追いかければ、姿は見えずとも青鈍も合流したようだった。

 しかし「ぐぇっ」と潰れたような木槿の声がして、「程々でいいよ」と言う山吹の苦笑混じりの言葉も聞こえた。


「木槿は本当に山吹が好きだな」

「華火! 油断してはなりません! 一番危険なのは木槿さんですからね!」

「そうか? 木槿は私を気に掛けてくれてるだけだ」

「違う。絶対に違う!」


 残された華火も苦笑すれば、真空に迫られる。彼女は何か誤解しているようだ。どうにも相性が悪いのかもしれないと、少しばかり悩む。

 すると、また他の男狐が姿を現した。


「華火、真空、おはよう!」

「おはよう。真空はどうしたのだ?」


 今度は髪を下ろした柘榴と白藍が、歩きながら声を掛けてくる。


「おはよう」

「おはようございます。お久しぶりです。今日はもう華火に会いたくて、早朝からお邪魔しました。あのですね、木槿さん、どうにかしてくれませんか?」


 微笑んでくれた柘榴と白藍だったが、真空の言葉に首を傾げる。

 するとまた、別の声がした。


「木槿がどうした」

「何か失礼をしましたか?」


 月白が髪をかき上げ、裏葉も目にかかる前髪を指先で払いながら、こちらに来た。


「わたし、先程見たのです。木槿さんが華火の膝に頭を乗せていたのを」


 確かに事実だが、驚いた四対の目が一斉に自分へ向けられ、思わず後ずさる。


「華火、早起きしたら膝枕してくれんのか?」

「私の膝でよければ」

「馬鹿は黙ってろ」

「あぁん!?」


 柘榴が興味津々に尋ねてくるので、華火は頷き答える。すると、白藍が冷たい言葉を吐きながら柘榴を押し退けた。そして、絡む柘榴を無視しながら、白藍が華火へ問い掛けてきた。


「朝早くから共に過ごす理由は、華火の力の影響や、知らぬ事を教えてもらっているとの認識だったが、違うのか?」

「それで合っているが?」

「……それなら何故、膝枕になるのだ?」

「朝早くて眠たいのだろう。それにこんな事を言ってはいけないのだろうが、その姿が幼子のようで可愛らしく、微笑ましい」


 白藍が納得できるように、言葉にしていなかった事を含め説明する。しかし、彼は顔に手を当て天を仰いだ。


「華火は誑かすのが趣味なのだろうか?」

「誑かす?」

「……色恋を理解していない女には無理な芸当か」


 月白が急に変な事を言い出せば、白藍の肩を叩いて互いに首を振っている。


「木槿にはお説教ですね。それは私に任せて下さい。それにしても、そこまで無防備なのはよくないですよ?」

「無防備?」

「肌を許すのは添い遂げたいと思える者だけにした方が、後悔は少ないかと」


 肌?

 膝枕の話ではないのか?


 裏葉も妙な事を告げてくるが、華火には意味がわからず、困り果てる。


「華火にはわたしから、いろいろ教えておきます。ですので、皆さんは木槿さんをお願いします!」

「よくわかんねぇけどよ、それは山吹とか紫檀に言えば――」

「山吹はともかく、紫檀はやめておけ」


 何も言えない自分の代わりに真空が答えてくれて安堵する。しかし柘榴の提案を却下する白藍を不思議に思えば、ため息をつかれた。


「この話は終わりだ。今日は犬神の訪問日。支度を済ませてしまおう」

「そういえば、そういう予定だったな」


 せっかく真空が訪ねてきてはいるが、白藍の言葉で華火は今からが忙しくなる事を思い出した。

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