第67話 蘇芳の考え

 大広間に余分な音はない。しかし、蘇芳の言葉だけが響くように、更に場が静まり返る。その中で、華火は気を引き締めた。


「優秀な統率者が多くいる家系の中で、噂の立つ華火は単様に目を付けられていた。下へ降りぬ事も含めてな。そして色加美の送り狐も統率者を迎え入れず、白蛇殿を助けた事もあり、不興を買った。結果、それらの問題を解決せねば、お前達のお役目を剥奪するとの知らせを受けた」


 私達の生き方を、罪としたのか。


 そのような事態へ発展していたとは想像もしておらず、握る手に力が入る。それにより痛みを感じた華火の視界には、顔が曇る父や母の姿があった。


「単様がそう告げてきたのは、予言が下された後。敢えて予言の騒動に巻き込むよう、計画されての事だろう。だからこそ、華火を上へ残す事も、送り狐の皆の要望を通す事も難しくなった」


 僅かに眉を寄せる蘇芳が言葉を切れば、父が話し出した。


「この事は、私の耳にも入っていたのだよ。これまでは蘇芳殿の配慮もあり、どうにかやり過ごしてきたのだ。周りの心無い言葉もあったが、それでも、すぐに倒れてしまう華火を、送り出せずにいたのだ」


 懺悔のように告げられた言葉に、胸が締め付けられる。父は何も悪くない。それなのに、辛そうな顔をしたままだ。

 そして同様の表情を浮かべている母も、語り出した。


「何度も話し合ったのです。しかし、単様がそのよう言い切られた。それならば、上にいさせるのは危険だと判断しました。もし私達のお役目も何らかの理由で剥奪されてしまえば、華火を守る事も難しくなります。そして下へ降りないと言えば、単様の意に反したとして何かが起こるとも、予想しました」


 母の目は徐々に細くなるが、華火から視線を外さなかった。


「ですから予言通りの季節に、送り出したのです。華火には何も真実を告げぬまま。そして迎え入れてくれたこちらの送り狐の皆にも、詳細は伏せて。上の事は上で解決出来ればと、そのように考えていました。結果、このような事態を招きました。それが私達の過ちです」


 そのような秘密を抱えていたからこそ、母様の鉄扇を御守りとして持たせてくれたのか。


 自分に気付かせる事なく送り出してくれた両親へ、感謝の念を抱かずにはいられない。

 しかし、父と母が示し合わせたように頭を下げるのを見て、止めに入る。


「お待ち下さい! それは過ちではありません。遅かれ早かれ、騒動は起きていました。だからこそ、今後は何かあればお教え下さい。皆で、最善を尽くしたいのです」


 華火の言葉にそれぞれが顔を上げれば、父が口を開いた。


「いつまで経っても、華火は私達の子供だ。しかし、子供扱いをし続けるのは間違いであったな。約束しよう。今後は、皆で最善を。だからこそ、蘇芳殿に問いたい。何故、私達を閉じ込めたのでしょう? あの場は協力し合うはずでしたが?」


 そう言い終え、父が真剣な眼差しを蘇芳へ向けた。それを受け、蘇芳は檜扇を握る。


「一ノ宮に到着した際、暁殿から耳打ちされたのだ。『黎明とは別に、名の縛られた者の巻物は我らの守りの中にある。宴の最中に何かあれば、単様の術をそれらに発動する手筈となっている』と。彼女は我々の動きを予想し、そう告げてきたのだろう」


 やはりあの巻物が黎明様を苦しめていたのか。

 それが他にも存在していたとは……。

 しかし何故、暁様が?


 暁の様子は昨日初めて見たが、単に寄り添い、指示が出されるまで動く気配がなかった。だからこそ、自ら伝えてきた事には、意味があるように思えた。

 しかし今は、蘇芳の言葉に耳を傾ける。


「このままではそこにいる若き統率者と共に、多くの命が消えると、五ノ宮の相談役、枯野殿にも伝えていた。事前にそう告げていた事により、共に動いていただけたのだ。元々、宴の日に巻物を探し出す予定ではいた。だからこそ、暁殿の発言から一ノ宮の断罪役の詰所にあると見当を付け、そして直接動けぬ我々の代わりに、控えさせていた断罪役の一部をそこへ向かわせた。見付け出し、燃やし消すまでは油断ならず、単様をむやみに刺激すれば先に雅殿達へ矛先が向く。だからこそ、封じた」


 蘇芳からの言葉に、織部は驚きの顔になる。そして父はそれを聞き終え、顔をしかめた。

 しかし、蘇芳は語り続ける。


「あの場で動く事を許されていたのは統率者と送り狐のみ。黎明も動いた結果、術を発動された。要は、単様に無謀を起こした者として処分する、大義名分が欲しかったようだ」

「それでも、伝える手段はあったはず。我が子の助けとなれぬのは、我慢なりません」


 尚も父が食い下がれば、蘇芳が僅かに首を横へ振った。


「あのような場で雅殿達がいなければ、華火の心は潰れていたかもしれぬ。酷ではあるがただそばにと、私が勝手に判断した。お前達家族は、何があっても支え合ってきたのを知っていたからこそだ。そして華火の天候からも、僅かに感じ取れていた事があった」


 父を見つめていた黒みを帯びる赤い瞳がこちらへ向けられ、華火と蘇芳の視線がぶつかる。


「だから、賭けたのだ」


 何に、と問う前に、蘇芳が答えを口にした。


「華火の天候を浴びると、時折、目が覚めるような思いがしたのだ。その度に、いずれ内に秘めた力が開花するだろうと、思わざるを得なかった。だからこそ予言が下された時、もしやとは考えていたのだ。しかしながら、全ての妖狐を統べる者の力とは思えず、私は他の白狐の調査を進めていた」


 一度、蘇芳が言葉を切る。そして、他の皆へ視線を向け、再度華火と向き合う。


「それと同時に単様の目的を阻止すべく、初めからお前達を餌とした。それにより、単様の行動が早まると踏んでの事。そして僅かばかりの期待を込めて、神に愛される白狐ならば加護があり、統べる力も発現するだろうと、予想した。予言される程の力は、妖狐の世界の流れを変えるものだとも、期待した。だからこそ、単様の気を引く為、騒動を起こしていたお前達も含め、色加美に集めたのだ」


 初めからとは、私を皆の所へ降ろすと決めた時から……?


 蘇芳は賭けと言った。不確かな未来を信じねばならぬ程、追い詰められていたのかもしれない。

 しかし、それでもしもの事があった場合、どうするつもりだったのだろうかと疑問が浮かぶ。

 その瞬間、華火の心にもやがかかるが、それを払うような蘇芳の声が響く。


「全ては私の独断である。しかしながら、その責任を取り、今の地位を手放す気はない」


 蘇芳の表情には一切の迷いがない。だからその言葉にも、嘘が混じる余地は感じられなかった。


「はいそうですか。とは、言えないわね」


 父が動こうとした瞬間、紫檀が踏み込んだ。


「あたし達の命を勝手に賭けたのは許される事じゃない。それは蘇芳様もわかっていらっしゃるわよね? だからそう宣言したのだと、あたしも勝手に解釈させてもらうわ」


 紫檀は蘇芳の言葉から何かを察したように、話し続ける。


「だったら、その地位にいるからこそ出来る事をして下さいな。蘇芳様はそれを実現する為に動かれたのでしょう? でも、その内容を伏せたままでは誰もついて行かないし、ついて行けないわ。だから今、聞かせて下さいな。俺達を巻き込んだ落とし前は、つけてもらいます」


 紫檀は冷静に話していたが、最後は男の声色となっていた。彼もまた、怒りを抑えて対応しているのかもしれない。

 その言葉を受けても尚、蘇芳は表情を変える事はなかった。


「自身の理想があるならば、それを叶える手段を手に入れるまで。その為に、私は相談役となった。生きるとは、それだけで不自由である。完全なる自由など存在しない。しかし、更にそこへ単様の枷をはめ生かすのはまた違う。何より、誰かを犠牲にする世界に残るものはあるのだろうか? そう考えた時、少しでも個が後悔しない生き方が出来る世界をと、理想を抱いた」


 蘇芳の考えを初めて知り、華火は聞き入る。この言葉だけで、彼が自分で道を切り拓いて来た者だと伝わる。


「その為ならばどのような犠牲も厭わないと、心に決めている。犠牲になる者がいない世界をと望みながらも、だ。それが私の生き方である。従って今後も、私の事は信じすぎぬ事だ」


 突き放された言い方ではある。

 しかし、それが上に立つ者だからこそ背負うものでもあるのかもしれない。

 そう、華火は受け止めた。

 だが、それは自分の生き方とは違うものだとも気付かされる。

 だから、自然と言葉にした。


「蘇芳様の考えの全てがわかったわけではありませんが、その犠牲となる者がいなくなるよう、私は尽力していきます」

「それは天狐となる者の言葉として、受け取ってよいものだろうか?」


 自分の考えを述べれば、蘇芳から思わぬ問いが返される。


 私は、天狐になりたいのだろうか?


 自分の言葉で、自身に問い掛ける。


 確かに予言の白狐であれば、天狐となる者なのかもしれない。しかし、そうであれとは思えない。

 何より今の私は、皆と共にいたいと思う気持ちが強い。


 しばし考えれば、すぐ答えに辿り着く。だからこそ、全ての者を見守る天狐とは程遠い存在だと、気付けた。


「私は、私の言葉で話しただけにすぎません」

「……そうか。ならば今後も、お前だけの言葉を伝え続けるがいい」


 華火に対し、蘇芳が呟くように言葉をこぼす。しかし彼はすぐに檜扇を広げ、口元を隠した。


「さて。時間が惜しい。私の話はこれで終いにする。次の話へ移ろう」


 まだ聞きたい事はあるだろうが、誰も言葉を発しない。

 華火も、もう目元しか見えなくなった蘇芳を眺め、次の言葉を待つ。


「相談役統括が空席となった為、その穴埋めを現在の相談役が一定の期間、順に担う事となった。意見の偏りがないよう、単独ではなく複数の者で当たる。そして今回は私と枯野殿。ここから離れた土地の相談役も数名選ばれた。今後の妖狐の体制も、新たなものになるだろう」


 それを聞き、青鈍が反応した。


「それがお前の狙いか?」

「狙いとは?」

「更に上へ行く為に、俺らを利用したのか?」


 その言葉で、大広間の空気が張り詰めた。

 けれど蘇芳は、僅かに笑い声をもらす。


「それはない」

「そうか? あまりにもお前に対して都合良く動いてねーか?」

「これだけは伝えておこう。私は相談役統括、そして天狐の地位も、望んではいない」

「信じらんねーな」

「それでよい。しかし理由を加えるとするならば、現在の地位が一番動きやすい、とだけ伝えておこうか」


 青鈍の問いに、蘇芳の声色が楽しげに答える。しかしそれ以上の事を尋ねさせぬように、話を変えられた。


「次に印付き達だが、上で様子を見る事が決まった。障りを宿した事に変わりないが、善行を積み直させ、お役目に就かせる事を目標としている。その為、相談役統括として選ばれた者の大社にて、面倒を見る事にも決まった」


 彼らもどうなるかと思ったが、上で保護される形ならば安心だと、息をつく。


「今回の騒動を終わらせる事ができたのは、ここにいる皆のお陰である。よって、ささやかではあるが、私からの褒美がある。その為に、まずはお役目を探らせてもらう。杜若かきつばた殿」


 ほっとしたのも束の間。褒美との言葉に華火は首を傾げる。すると蘇芳が診断師へ声を掛けた。


「ではいっちょ、調べさせてもらいます!」


 元気な声を出し、杜若が立ち上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る