第65話 終わりの始まり

 何が起きた?


 銀次は犬神の長として総会に出席する為、準備を始めていたところだった。しかし謎の光が建物の中まで降り注ぎ、全てが台無しとなった。

 周りはもがき苦しむ者ばかり。


「銀次、様、助けて……」

「嫌だ、もう、嫌だ……」

「眠れ。始まりに囚われるな」


 自身の影から犬の式神を召喚し、床に転がる者達の首を噛ませる。強制で意識を落とす術ではあるが、これを全ての者に施す事はできない。


 呑まれていない者を探すか。


 息を吸い、喉に霊力を溜める。そして、犬神にしか意味を捉えられぬ音を発しながら、吼える。

 しばし待つ。

 すると銀次の影から、次々と犬の式神が現れた。


「上にいる者は、混乱した者を眠らせろ。下にいる者は、今の光の原因を探れ」


 同族へ指示を出せば、式神が鳴いた。


「他の妖も様子がおかしく、下にも降り注いだ、だと?」


 誰がこのような術を使ったのかは知らないが、それが犬神の脅威となるものだという事実は揺らがない。


 このような事が続けば、また昔に戻る。

 さすれば、人間に害をもたらす者が現れるだろう。

 それだけは許されない。


 銀次は煮え繰り返りそうな心を鎮め、常に自身へ言い聞かせている言葉を浮かべる。


 人間に直接影響を与えていい者は、我々犬神のみ。


 自分達は選ばれた妖なのだと、銀次は静かに笑い声を上げた。


 ***


「今の金の雨、綺麗だったなぁ。オマエにも見えただろ?」


 おぼろは転がる同族の頭を掴み、無理やり空を見上げさせる。


「ほら、何とか言えよ」

「ゔっ……ぐぁ……」

「あー? はっきり喋れよ。ちゃんと口あんだろ」


 格下ではあるが、同じ鬼なのにどうしてここまで弱いのかと、思わず顔を覗き込む。


「あらら……。随分といい男になっちゃって」


 気付かぬ内に原型を留めていない程、殴り続けていたらしい。

 けれど、今の金の雨が血を騒がせる。だからもう一発、見舞う。そして奇妙な音を出した男鬼を、笑いながら地面へ沈めた。


 誰だか知らねぇが、こんなに迷いが晴れたのは久々だ。

 鬼はやっぱ、暴れてなんぼだろ。

 何ビビってんだよ、菊姫もオヤジも。

 今の世は、物足りない。

 表面上穏やかなんざ、いつか終わる。


 持て余す力を振るう先がなかった。下らない喧嘩ばかりで嫌気が差していた。

 しかしこれからを決め、腹の底から笑った。


 全てを力でねじ伏せる。

 それが鬼の在り方だろ?

 この金の雨があれば、それを忘れる事はない。


「オレ、いや、今の腑抜けた鬼にとって必要なもんだ。必ず探し出してやる」


 他種族であったところで、鬼に勝てる者などそうそういない。そして自分は、数少ない三本の角の持ち主だ。生え方からしてもう一本あるはずだが、未だそれは姿を見せない。


 金の雨がオレの力にも繋がる。

 だからそばに置いておく。同族でも他種族でもだ。

 それにオレの実力を見せれば、逃げ出す事も諦めんだろ。


 男だった場合は心が折れるまで力を示してやればいい。女だった場合は嫁にでもするかと、短絡的に考える。


 どちらにせよ、大切にしてやんよ。


 こんなに面白く、そして自分にとって必要な道具が現れた事に、心が躍った。


 ***


 がたがたと、華火の耳に何かの音が届く。


「あ、勝手に上がらしてもろてます」

『栃殿なら遠慮はいらん。それに朝餉はこちらからの頼み事……、こら! 無茶するでない!』


 栃様と、白蛇様……?


 周りの音も徐々に増えるが、まだ意識もぼんやりとしていて身体にも力が入らない。だから聞き耳だけを立てる。


「腹、減った……。早く食わせろぉっ!」

「食い意地だけで動けるのか……」


 這いずるような音と共に柘榴の雄叫びが終われば、白藍の驚きと呆れが混じるような声がする。


「柘榴、うるさい」


 横からはっきりとした玄の声が聞こえ、僅かに意識が浮上する。


「柘榴の元気、僕にも分けてほしいよ」

「俺じゃだめ? 怒りながらも必死に俺の怪我治してくれたお礼、たっぷりしてあげるよぉ?」

「朝から気持ちわりぃ提案すんなよ。そもそも、あんな深く刺されんな」


 山吹が笑えば、木槿むくげが猫撫で声を出す。それを、青鈍が一蹴した。


「……何ですか、これ。痛すぎるのですが……」

「俺の幻術で痛覚を麻痺させるか」

「やめた方がいいわよぉ。霊力が枯渇してるのに無茶したら、もっと痛いから」


 呻くように喋る裏葉に、月白が対処しようとする。しかしそれを、気怠げな声で紫檀が止めた。


 帰って、来たのか?


 あまりにも唐突に日常へ戻って来た。だから夢かと思ったが、目を開け身体を起こそうとすれば、激痛が走った。


「いっ!!」

「まだ寝てなさいな。華火は特にな」


 思わず声をもらせば、隣にいる紫檀が華火の両目を手で覆ってくる。彼の体温が心地良く、気が緩む。


「……この状況、前と同じか?」

「そうよ。華火は倒れたけど、下でいつも通りお役目はこなさなきゃいけないからって、戻って来たのよ。かなり強引にだけど」


 状況を確認するべく、顔を横へ向ける。すると手が離れ、思った以上に近い紫檀と目が合う。途端に心臓が波打つが、意識を逸らして尋ねる。


「……皆の障りは、消えたのか? 他の皆はどうなった? それにこの状況でお役目なんて、無茶をし過ぎだ」

「障りは消えたわよ。華火のもね。それにお役目は無し。山吹に探ってもらったけど、見付からなかったのよ。それと、他のみんなも大丈夫よ! そろそろ来るんじゃない?」


 来る?


 この時期に障りを宿す者が現れないのを不思議に思いながらも、ほっとした。しかし、他の言葉が引っ掛かる。

 すると紫檀の予言はぴたりと当たり、玄関の戸が開かれた音がした。


「華火ー!!」

「真空! あたし達より先に行くんじゃないよ!」


 どたどたと足音がすれば、大広間のふすまが開かれた。


「無事……、じゃない!!!」


 悲鳴のような声を上げ、真空が華火の側へ来た。


「確かに華火を任せましたとは言いましたが、何もこのような眠り方をせずとも! 華火だけ山吹さんの結界で守っておいてもよかったのでは!?」

「いや、僕の霊力、もうなかったですし」


 真空が威嚇するように周りへ声を掛ければ、山吹が困ったような笑い声を出した。


「真空、来てくれのか」

「当たり前です!」


 友の元気な姿を目で追えば、思わず頬が緩む。真空もまた、眩しい笑顔を向けてくれた。


「真空は何を騒いでんだ。静かにしな!」

「「これはどういう事なの?」」


 姉と兄達の声も大広間に響き、更に騒がしくなる。


「どうされたのでしょう? あぁ、これはこれは」

「いったい何が――、はぁ!?」


 竜胆と織部も来てくれたようだが、声色がおかしい。

 とにかく皆へ挨拶せねばと思えば、まだ足音が続く。


 誰だ?


 両親が来るのは難しいかと思うが、やはり姿を見て安心したい。そんな僅かばかりの期待を込めれば、望む声が聞こえる。


「どうしたのだ? そのように立ち止まって」

「皆、中へお入りなさい」

「そーして下さい。お願いですから……」

「急ぎ私の霊力を分けたが、まだ厳しいようだな」

「大変だなぁ、若いのに」


 父と母、黎明と蘇芳、更には知らない声が続けて聞こえる。

 だから華火は痛みを堪え、無理やり身体を起こした。

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