第64話 これからの課題

 華火が黎明との契約を終えれば、彼は激しく咽せた。けれど血は止まり、呼吸も落ち着いた。


「大丈夫ですか?」

「契約って凄いですねー。大丈夫ですけど、これ、まずいなー」

「予言の白狐だというのは、もうわかっているでしょう。ですから――」

「そういうんじゃなくて、ほら、ね?」


 山吹の支えから起き上がり、血を拭いながら指を差す。その先には、涙がこぼれ落ちそうな真空がいる。


「真空、もう大丈夫だ。黎明様の魂はこの通り繋ぎ止め――」

「華火! わたしも、わたしとも契約して下さい!!」

「何故?」

「わたしだって華火と繋がりたい!!」


 真空が泣きながら訴えてくる。そんな彼女にどう応えればいいのか戸惑うが、近くで打撃音が響いた。


「今がどういう時だか、忘れているのか?」

「すまない。そういうつもりではない」

「お前が予言の白狐なら、ここで消えてもらう」

「そんな事をさせるとでも?」


 暁が冷えた眼差しで見下ろしてくる。彼女とも話しがしたいと思い詫びれば、向こうはそんな気がさらさら無いようだった。

 そこへ、山吹が割って入る。更には、結界に暁を閉じ込めた。


「このようなもの!」

「ですが、先程から僕の結界を壊せずにいますよね? 大人しくしていて下さい」


 声を荒げる暁に対し、山吹はずっと穏やかに接している。もうこの戦いが無意味だと、彼もわかっているのだろう。

 だからこそ、華火は単を見据え立ち上がる。


 単様が探し求めていたのは、私だ。

 だからこそ終わらせるのも、私達だ。


 周りを見回せば、窮地から立場を逆転させた皆の姿がある。今は印付きの障りや抵抗する断罪役の対応に追われ、その場に留まっているようだ。

 刺された木槿むくげは、こちらへ笑いながら手を振っている。痛がる素振りがないのは、自分の天候の影響かもしれない。それに気付いた山吹が駆けていく。

 そして、遠くで驚き固まる相談役達が目に入る。

 表情を変えていないのは、単と蘇芳だけ。


「行ってくる」

「わたしも!」

「真空は待っていてくれ」

「嫌です!!」

「私を信じてくれ」


 華火が声を掛ければ、真空が手を引いてくる。黎明は察してくれているのか、顔をしかめるに留めただけ。

 単の動く気配はない。その様子が、彼もまた華火を待っているように思えた。


「……術が届く範囲には、いさせて下さい」

「ありがとう」


 真空の想いを断る形になってしまったが、彼女はそれでも華火が納得する方法を提示してくれた。自身のわがままを受け入れてくれた真空に、華火は安心させるような笑みで応え、前を向く。


 早くも遅くもなく、単との距離を縮める。

 そんな華火の後ろからは、真空以外の足音もする。黎明も共に歩いてくれているのだろう。


「華火、痛む所はないか?」


 途中、父が声を掛けてくる。


「大丈夫です。これが今の、本当の私です」


 怖いですか?


 未だ光も障りも消えず、どのように思われるか、不安が生まれた。

 けれどそれは杞憂である事が、家族の表情からわかった。眼差しも、以前と全く変わらない。


「そうか。それならば、見守ろう。見守る事しか出来ない私達を、情け無く思うだろうが……」

「いいえ。見守っていただける事が、何より力となります」


 それにもしかしたら、蘇芳様は巻き込まないようにしているのかもしれない。


 炎の檻の中にいる家族へ頭を下げ、また歩き出す。

 落ち着き払った様子の蘇芳の考えはわからないが、彼の想定内だったようにも思う。それならばこの結果も、彼は予想していたかもしれない。

 冷静さを取り戻した華火は、そう考えをまとめる。


 蘇芳様。

 全てが終わったら、聞かせてもらいます。


 けれど、納得したわけではない。彼の、華火達が餌という発言の本当の意味はまた別にある。だからこそ、真実を知る権利がある。


 戦いを終えた皆の側まで辿り着く。

 すると、銀の炎に包まれた障りの消えた印付きは眠るように意識を失い、断罪役は胸を押さえていた手により力を入れ、苦しみ出した。

 月白と裏葉の術も、やはり強化されているようだ。


 それを見届け、皆の視線を感じながら歩き出す。

 周りに、何もなくなる。

 ただ、広い庭園を歩く。

 けれど、後ろから聞こえる足音が増えた。だからこそ、前を向き続けられた。


 ここから先は、私の戦いだ。


 顔を上げ、胸を張り、単だけを見つめ続ける。ここで俯く事は許されない。自分の存在を否定するのはやめたのだ。それを、単にも示し続けるだけ。


 長く感じた道も、すぐに終わりを迎える。

 そして華火は、鉄扇を帯へ差した。


「それがどういう意味なのか、わかっているのでしょうか」


 華火へ掛けられる声は、冷たい。表情も、目だけが笑っていない。そんな単に怯む事なく、頷く。


「わかっています。私は単様と話しがしたいだけです」

「ほぅ。お前のような立場の狐が私と対等だとでも?」


 単からの圧が掛かる。だが、逃げるわけにはいかない。


「そうだとは思っていません。しかし、私が予言の白狐だと思われます。だからこそ、お願いがあります。もう、このような事はおやめ下さい」

「何故?」

「同族同士で争う意味はありません」

「争う?」


 出過ぎた事を咎められるかと思ったが鼻で笑われ、華火の眉間にしわが寄りそうになる。


「これは、妖狐の世界に必要な儀式です。それはお前にもよくわかっているでしょう?」

「わかるはずがありません。私には――」

「お前が先程から見せていた術は、どう説明する?」


 どういう意味だ?


 しばし、考える。

 天啓のような天候を操り、送り狐ではない黎明と契約した。

 天候に関してはもう記憶もなく、問題ないはずだ。ならば契約の事だろう。確かにこれで、華火が妖狐なら契約出来る事が明らかになった。


「私と契約すれば魂を繋ぎ止め――」

「ふふ。このような馬鹿が予言の白狐。天狐の事を指し示したと思いましたが、間違いなようですね」


 間違い?


 自分の返答の何が気に食わないのか、理解できない。それを察したのか、単が見下すように笑う。


「お前がした事は、私と同じ。お前はいつか、私のようになる」

「なりません!!」


 何故そのような結論になるのか。華火は感情的に言い返す。


「私は妖狐の存続を願っています。だからこそ、優秀な者だけを残す。人間の望むような存在になれないのならば、今の妖狐の地位が危うくなるでしょう。それだけ、弱さというものは罪なのです」

「そのような事、ありません。何故罪などと決め付けるのですか!」


 再び声を荒げてしまった華火を見下ろしながら、単が目を細めた。


「そういった者が存在すれば、その役目を担わなくていい。それの末路がどうなるのか。それも見せしめる為にお前達はいる。だからこそ、自分はそれらとは違い優秀な者なのだと、皆が自覚できるのですから」


 単様も罪などない事をわかっていたのか!!


 思わず怒鳴り散らしそうになるも、睨み付けるに留める。


「そのような間違った世界、これから変えてみせます」

「……ふふ。先程の術でか?」

「いえ。あの術を使う事はもう無いかと。しかしまたこのような事態になれば、使うかもしれません」

「いや、お前は使うだろう。何度でも」


 面白そうに笑う単に、怒りが膨れ上がる。

 すると、自身が熱を帯び始めた。

 その瞬間、単が更に微笑む。その顔は、先程の言葉が真実である事を確信したものに見えた。


「お前の力は、お前がただ感情的に他者に干渉し、生き方を強いるもの。そして魂を繋げば、この世界でその生き方をし続けねばならなくなる。それは私と同じく、生きる道を示してやる事に繋がるのではないか? やり方は違えど、私達は同じ考えの持ち主なのだ」


 単の言いたい事はわかるが、理解はしたくない。自分は誰かの命を犠牲にしてまで考えを押し通す気はない。

 けれど術を発動させた事で、必要のなかった誰かの生き方を無理に変えたかもしれないと、放心してしまった。


「だからお前だけは抹消しなくては。支配する考えを持つ者同士は、決して相容れないのですから」


 もう輝いてはいなかった単の巻物を持つ手が、白く光る。それが華火の目の前で止まり、人差し指だけが伸ばされた。その指先に、霊力が集まる。

 気付けば、華火は思いきり後ろへ身体を引かれ、誰かの焦り声も同時に響く。


『蘇芳様、見付けました!』

『枯野様、ありました!』


「「捕縛」」


 何かの報告と共に、蘇芳と別の声が重なる。

 目の前には、赤黒い炎と薄黄色の炎が混じり合う檻が出現し、単を閉じ込めた。同時に、逃げ惑う他の相談役も同様に拘束される。


 そして華火の側には、皆がいた。自分が争いを望んでいないのを知って、得物を構えていないようにも思える。

 自身の背には、血の匂いが混じる、薔薇の香りをまとう紫檀がいてくれる。その事実に、思わず胸が騒ぐ。


「枯野殿。ご協力、感謝致します」

「五ノ宮の者も巻き込まれましたし、蘇芳殿だけでは抑えられないでしょう? まぁ、これからは貴方側に付く方が生きやすそうですから」


 蘇芳と枯野が話し続ける中、外から別の断罪役も姿を現す。騒ぎに加担した断罪役は、悪夢に囚われているように呻き続ける。だから、取り押さえられるのも早かった。

 それらを確認し、前を向く。すると、単の口が弧を描いた。


「無知は罪である。お前は幼すぎる。今のお前が天狐となれば、妖狐は滅びの道を歩むだけ。だからこそ、傍観させていただきましょう。私が消えた事で妖狐の世界が混乱する様を」


 くつくつと笑う単は、わざと檻の中にいるように思えてならなかった。


 私は単様とは違う。

 けれど、幼いと言われたのは本当だ。

 今の世界がどのようなものであり、その中で生きる者達の考えを、私は知らなすぎる。

 それを学べと、単様は教えてくれている気がする。


 このような考えが馬鹿と言われるのかもしれないが、華火はそう受け止めた。

 すると、送り狐の皆が次々と言葉を発した。


「真実が明るみに出りゃ、混乱だって起きますよ」

「けれど、それが滅びに繋がる事はないでしょう」

「これからは、自分で何が正しいのかを考え見抜く時代が来るのでしょうね」

「知らなければ知るだけです。僕達も一緒に、知っていきます」

「だから、見ていたらいい。単様が築き上げた世界がどの様に変わるのかを」


 柘榴は複雑そうな顔をし、白藍は冷静に発言した。紫檀も言い淀む事なく言葉を伝え、山吹は真っ直ぐに単を見つめている。そして玄は静かに、でもはっきりと喋った。

 自分の肩に添えられ続ける紫檀の手を熱く思う。彼らと共にいられるからこそ、自身を見失う事はない。

 だからこそ、全ての者が自分として生きていける世界になればいいと、切に願う。


 単様にも生きたいように生きてほしいと思うのは、残酷な事なのだろうか。


 これから罪を償い、野狐として下へ落とされるはず。その時、今のお役目から解放され自由になれるのではと、華火は予想した。


「単様の今後はどうなるのだ?」


 後方から、暁の声が聞こえる。彼女もまた、自分の命を懸けられる程の相手の処罰を知りたいのだろう。


「……確かな事を伝えるとすれば、野狐への降格。しかし、単様程の霊力の持ち主が下へ降りた時の影響は計り知れぬ。よって、一生、上で罪を償い続ける事になるだろう」

「そんな!! 霊力を抑える方法はいくらでも――」


 蘇芳からの返答に、暁が驚く程取り乱す。

 そんな彼女へ、単が声を掛けた。


「私は、穢れた下へ降りるつもりはない。それが実現するのならば、自ら命を絶とう。下で拾ったお前は、私を穢さぬ優秀な駒だった。ただ、それだけの繋がり。何処へなりとも消えるがいい」


 単の言葉に、暁が崩れ落ちる。お役目を抜きしても、特別な関係だった事が窺える。


 何故、そのような言葉を残すのか。


 最後になるかもしれない。だが、単は表情も変えず、突き放した。

 そんな事をされた暁を想えば、華火の胸が痛んだ。


「……彼女も、上での処罰を考えております」

「……そうか」


 蘇芳の言葉に反応した後、単は沈黙した。

 そしてようやく、自分達の戦いは終わったのだと、実感する。

 途端に力が抜けた。そして紫檀に抱き止められた事がわかった瞬間、華火の意識は途切れた。

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