第60話 筋書

 自身を抱き締めながら爪を立て、華火は暴れ回る感情を抑えようとする。


 自分の感情ぐらい制御しろ!!


 心の中で叫び、影響が出てしまったであろう男狐達へ目を向ける。


「くっそぉおお! 負けんなよ、華火!」

「このようなもの、自分達にとっては大した問題ではない!」


 叫ぶ柘榴が群がる印付きを蹴り飛ばし、白藍がこちらに向かって怒鳴った。彼らの肌にも、黒が広がる。


「これ、ぐらい、だい、じょうぶ。華火の、目的を、思い出して」


 未だ血の止まらない山吹が、こちらを見て微笑んでいる。そんな彼の頬に、黒い線が真横に入る。


「ひっ、ひひっ……、いひひひっ! いいんじゃないっ! 華火ちゃんにもこんな感情があったんだねぇ!」

「なるほどな。障りに呑まれるっつーのは、こんな気分なのか」


 傷を押さえながら木槿が笑い、青鈍は何の驚きも見せていない。しかし彼らの首は黒い。

 対峙していた残夜はいつの間にか、距離を取っている。きっと、障りを警戒しての事だろう。


「よほど上での生活が酷かったのだな」

「純粋な憎悪は時に、美しい音色のようで心惹かれますね」


 月白は両眼がまだらに黒くなり、裏葉は唇から染まり始めている。その姿を恐れるように、断罪役達が近付かない。


「感情に呑まれるな。でも出せ」


 玄は前だけを向き、華火と同じように、黒に染まり切る手前の印付きへも言葉を届けたように思えた。そんな彼の両手は黒い。


「玄の言う通りだ。抑え込んで溜め込んだ怒り、出し切ってやんな。それで真剣に向き合ってやれ。それも華火の一部なんだからな!」


 暴れる印付きの術を食らいながらも、紫檀は逃げずに薙刀で押さえ込み続ける。彼の白い髪はもう、半分以上黒い。


 皆、どうして……。


 誰も抑えろとは言わない。

 それどころか、華火の想いを受け入れるように、苦しそうな素振りも見せない。

 きっと同じ痛みが全身を走っているはずなのに。

 その中で、幼い自分の声がする。


『寂しい。どうして私だけ』


 ずっと思っていた。

 何故私だけがこのように生まれてしまったのか。

 でも、家族がいた。

 こうして共に立つ仲間にも出逢えた。

 だからもう、大丈夫だと思っていたんだ。

 けれど、乗り越えたと思っていた過去がまた私を呼び戻す。


 その原因を華火は視界に収める。単もまたこちらを見ていた。愉快そうに。その姿に痛みは増し、自身を抱く手に力が入る。

 そしてまた、幼い自分の声が響く。


『そんな世界で生きる事を強いたあいつが憎い』


「単様。私達は単様の求めに応える為、力を示しております。けれどこれはあんまりではないですか」


 ただ、訴える。眠っていた怒りを受け止めながら、きっと単の心に届くと思いながら。だから華火は膝を付き、地面に額を擦り付けた。


 私に出来る事は何でもする。

 だからお願いだ。

 こんな事はもうやめてくれ。

 皆をこれ以上、傷付けないでくれ。


「どうか。どうかもうご容赦下さいませ。必ず、必ず、強くなります。ですから畏れ多くも申し上げます」


 自身の顔の横から流れ落ちる髪は、もう黒でしかない。

 身体の痛みを感じない部分も、わからない。

 それでも、華火は言葉を紡いだ。


「何故このような事をするのか、私にはわかりません。予言の白狐を見付け出す事にどうしてここまで必死なのか――」


 瞬間、場の温度が下がったのをはっきりと感じ取る。


「暁」


 単の言葉が耳に届く。


「華火、鉄扇拾え!!」

「後ろへ飛んで下さい!」


 続いて織部と竜胆の怒声がし、反射的に身体が指示通り動く。

 目の前には、丁寧に創られた彫刻のような女狐がいた。彼女の刀は、先程まで華火のいた地面を両断している。


「申し訳ありません」

「距離がありましたから、致し方ない」


 暁と呼ばれた女狐が姿勢を正せば、単が微笑むのが見えた。


 私の何が、単様を怒らせた?


 お互いしかこの場にいないような彼らを見て、薄ら寒さを感じる。

 けれど確実に単の逆鱗に触れたのだけはわかった。その彼の空気が、この場を支配する。だから、山吹と黎明の荒い息遣い以外の全てが、動きを止めた。

 そして無の表情になった単が、こちらへ目線をずらした。


「お前はあの予言を聞いても、何もわからない愚か者なのか?」

「何も、とは?」


 思わず単へ聞き返せば、彼の乾いた笑い声が響く。それにより、先程まで驚きで動きを止めていた自身の憎悪が再び息を吹き返す。


『笑うな』


「あの予言は天狐になる者を指し示すもの。統べるという言葉が全てを物語っている。だからこそ、探しているのです」

「それならば何故……」


 葬る必要があるのだ?


 怨み辛みの言葉が頭の中を巡り続ける。けれども単の声は聞き逃す事なく届く。しかし話を理解すれば、その先を尋ねる事はできなくなった。

 それを察したのか、単が口の端を上げた。


「お前のような馬鹿には、ちゃんと教えてやらねらばなりませんね」


『よくもそのような口が利けるな!』


 単の発言に反発する自身の中に眠る感情が、今の華火のもののように思えてきた。それ程までに、考えが一致している。


「天狐となる者は、清浄な者のみ。なれど、今年の予言はそれを覆すもの」


 天狐とは徳を積み続け、人間との共存へ貢献した者が選ばれる。

 だからか、華火は清浄という言葉に違和感を覚える。


「ましてや統率者などと、送り狐と共に下での穢れを一身に受ける存在が選ばれるはずがない」


 穢れ?


 それぞれのお役目は、送り狐の真の力を解放し、迷える魂を導く事。確かに命を見送る事は、気が枯れるとも言われている。

 けれど単の言葉は、自分達のお役目が妖狐の汚点であるような声色で届く。


「まさか障りに呑まれる統率者と送り狐までいるとは。やはりそのお役目は不浄なだけあり、気が触れやすいようだ。それを他種族の者も気付き始めている。だからこそ、今後は天狐となれる者を限定する事にしたのです。周りの助言もあり、間違った予言が下されてしまった今年の内に一掃しておくべきだと、決まりました」


 一掃とは、まさか。


「お前達のような塵芥ちりあくたを」


 はっきりごみ屑と告げられ、単が自分達を生者として見ていない事を悟る。

 そして捕らえられているであろう、予言の対象となる他の統率者や送り狐も同じく。

 初めから単は、この宴に集まった者を帰す気はないのだと、華火は気付いてしまった。

 けれどまだ、単は喋り続けている。


「更には薬を盛り、予言の白狐を攫おうとした。しかし上手くいかず、暴れたお前達は行方を眩ます。宴に招かれた者は巻き込まれ、同じように行方知れず。後に無残な姿で発見される。もちろん、そのような事をしたのはお前達だ」


 何の話を、しているんだ?


 理解できず、途方に暮れそうになる。

 けれど、この話は聞き逃してはいけないと、意識を単に向け直す。


「協力したのは、そこで勝手に苦しむ馬鹿な断罪役に唆された家族と、同じような憐れな生まれの統率者と、それに縁のある者。自分達の不遇は全て私のせいだとした理由で。印付きは盗み出した古い幻牢に閉じ込め管理し、精神を支配するという、恐ろしい手段にまで手を染めた。全ては次の天狐を望んだ蘇芳殿が仕組まれた事。そうだな、暁?」


 何故、蘇芳様が?


 馬鹿げた事をすらすらと言葉にしていた単が、口だけで笑う。


「はい。確かに私のこの耳と、私の管狐が聞いております。蘇芳様が色加美に問題がある者を集め、問題事が起きるのを待っていると。これは謀反を起こす為の行動だと思われます。また、単様に対して、『私が直々に、全てを処分します』と、告げられました。それの意味は、我々を、という意味合いだと思われます」


 何だ、この茶番は。


 暁も迷いなく答える。全てはもう決まっている出来事のように。呆れるしかない。けれどまかり通すのだろう。相談役統括という肩書きを持つ単には、その力がある。

 しばし唖然とする華火の耳が、また話し出した単の言葉を拾う。


「ここから先は、謀反を企てた馬鹿者共が制圧されるだけの事。後の天狐となる私の為に生まれ命を散らす事ができるとは、名誉な事と思え」


 この場の圧が強まる。それが更に単の傲慢な態度を浮き彫りにさせた。

 だからこそ、華火の感情が弾けた。


「『私は、皆は、そのような事を成す為に生まれてきたわけではない!!』」


 頭の中に響く声と華火の言葉が完全に一致する。ここでようやく、この激情を含め、自分なのだと自覚する。


 私の怒り。

 どんなものを含もうが、私から生まれている。

 それと向き合う事が辛くて、そんな事を思う自分はいけないと、知らず知らずに蓋をしていたのか。

 だからこんなにも、私の心が自由に暴れ回るのだな。


 長らく、そのような感情から目を背けていた事に気付き、そんな自分を慈しむ。

 いつ、障りに呑み込まれてもおかしくはなかった。それでも、よくぞ今まで耐え忍んでくれたと、心の中で声を掛ける。

 すると、幼き日へ置き去りにしてきた心がぴたりと、あるべき場所へ戻ったのを感じた。

 途端に痛みが和らぐ。代わりに、胸の奥から熱が溢れた。


 皆平等に、生まれてきた意味がある。


「何を成す為に生まれたのかなんて、わからない」


 それを知るのは神の分身となる、自身の魂のみ。

 だから――。


「それを見付ける為に、皆懸命に生きているんだ!!」


 ここまで言い切れば、視界が晴れた。同時に、障りの侵食が止まったのもわかる。

 もう痛みはなく、自分を抱き込む腕を下ろそうとする。

 けれど、全身が暖かい。

 それを確認すれば、自身が輝きを放ち始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る