第59話 創られた世界

 黎明の術は、庭園にいる全ての印付きと断罪役の動きを止めた。


「皆さーん。一気に片付けて下さーい。これはもう力試しじゃない――」


 黎明様?


 黎明の言葉が不意に止まる。すると彼は大きく痙攣し、膝を付いた。


「黎明様!」


 それに山吹が反応し、こちらへ駆けてくる。

 その間に、黎明が呻き声を出せば共に嘔吐が混じり、地面に血が広がる。


「何が……」

「道化は道化らしく、阿呆を演じ続ければよいものを……」


 真空の声が震えている。

 そこへ、単の呆れ声が重なった。

 華火がその姿を捉えれば、彼の白く輝く手には巻物が握られていた。


「余計な、こと、は、や、めろ」

「やめません」


 黎明が胸を押さえながら必死に声を出している。そんな彼を支えながら、山吹が治癒を施す。けれど血は止まらない。

 そして前方の戦いは一瞬だけ沈黙した後、また動き出したようだ。


 どうしたら……。


 動揺しながらも、華火は前を見る。

 その瞬間、織部が印付きに腕を掴まれた。


「離せ!」


 素早く拘束され、竜胆の槍の盾として使われた織部が暴れている。


「意識がはっきりしていないようですが、そのような姑息な手段は思い付くのですね」


 竜胆は自身に近付く者を振り払い、糸目を僅かに開き攻撃手段をあぐねいているように見えた。


 どうにか天候を……!


 織部を助ける為に華火が印を結ぼうとすれば、柘榴と白藍が囲まれた。


「行けるか!?」

「行くしかないだろう!」


 互いに背を預け、乱打を防ぐ。けれどその姿が隠されていく。それ程に、彼らを囲う印付きが間合いを詰めた。


 範囲の広い……、いや、確実に助けとなるような天候は……。


 目の前で状況が悪化していき、華火の決断も鈍る。


「元は自分のだろ。しっかり扱え!」

「そうだ。できるはずだ」


 紫檀が地に伏せる印付きを薙刀で押さえ込む。そこへ向かってくる他の狐は、玄が応じる。ただ防ぐのみではあるが、やはり彼らは諦めていない。


 私も動かねば!

 まずは織部――。


「がはっ!」


 ようやく華火が天候を決めれば、山吹までもが吐血した。その瞬間、彼の張っていた全ての結界が壊れた。


「山吹!」


 華火がそばへ寄れば、心配ないと首を振られる。

 真空も同じように横へ並ぶが、彼女は酷く狼狽していて、手に持つ神楽鈴が微かに鳴り続けている。それでも、守りの術を彼らに施した。


「治癒、は、意味が、ない」

「それ、でも、黎明、さま、の、命を繋ぎ、止めて、みせます」


 黎明も山吹も肩で息をしながら会話をしている。その度に彼らの鮮血がその口を濡らす。


 何か、何かないのか?

 どうして治癒が効かない?

 原因は――。


 しかし青鈍の怒鳴り声が響き、華火は顔を上げた。


木槿むくげ!」

「……あ」


 初めて見る青鈍の絶望したような表情を、声をもらした木槿がきょとんとした顔で見ている。しかし彼の脇腹を、後ろから刺したであろう残夜の刀が貫いていた。


 そんな!!


 断罪役とは、対妖の専門部隊である。ゆえに実力の差は歴然。相手は同族すら容赦なく殺す者達なのだと、華火は改めて認識させられる。

 そして山吹は黎明から離れる事ができない。きっともう、周りの声すら聞こえていない。


 誰か、誰かいないのか。


 華火が視線を彷徨わせれば、残夜が口を開いた。


「小虫のようにうろちょろと。これで少しは大人しくなるか」


 するりと木槿の腹の中へ消えるように、残夜の刀が引き抜かれる。


「ちょっと、痛い、かも」


 木槿が眉を寄せ笑い、その場に崩れそうになる。けれども、踏み留まった。

 しかしそれを合図に、距離を取っていた他の断罪役も集まってくる。


「裏葉、行け」

「では、と、言いたいのですけどね。私はここで楽を奏でます。守りは月白にお任せしますよ」

「そんな余裕はない」


 結界が壊れた事により、裏葉へ迫る者が多い。やはり魂に直接影響のある音は邪魔なようだ。

 だからこそ、月白は逃げるように言ったのだろう。

 しかし裏葉はまた龍笛を吹く。その横で月白は軽く笑い、幻術を発動させ続け、到達までの時間を稼いでいる。


「華火、わたしはここから動けません。離れれば、わたしの術は解けます。だから、守りの色が消えても、走り続けて」

「……何を、言って――」

「外に助けを!」


 真空の言葉に、華火はゆるゆると顔を向ける。そんな自分に対し、真空が喝を入れるように大きな声を出した。


 外……。外か。


 そうするしかない。しかし目を離せば彼らが消えてしまいそうで、恐ろしさから足がもつれる。

 そんな華火の揺れる視界の中、遠くにある鮮やかな朱が目に入る。


 蘇芳様。蘇芳様なら助けて下さるはず!


 縋る相手を見つめるが、蘇芳は動かない。


 何故……。


 黎明と蘇芳には確実な繋がりがあるはず。だからこそ、今の信じ難い真実に華火は足を止めてしまう。同時に、真空の守りも消えた。

 そこへ、単の声が這い寄るように耳へと届いた。

 

「なんて薄情な統率者なのでしょうか。お前は自分が助けようとは思わないのか?」


 あまりにも綺麗な曲線を描く単の口から吐かれた言葉に、華火は思い切り頬を張られたような衝撃を受ける。

 その時、観覧の間側の黒い幕が大きく揺れた。


「華火!」

「牡丹、姉様」


 姉が乱入してくれば、家族が次々と現れる。


 来て、くれたのか。


「遅くなったね」

「外は全て、眠らせてきたから」


 かむろと柳がそれだけを言い、弓を構える。家族の姿をしっかり捉えた華火の意識が浮上すれば、今まで沈黙していた蘇芳の声が響く。


捕縛ほばく


 そして家族を、赤黒い炎の檻が捕らえた。


「蘇芳殿! 話が違うではありませんか!!」


 この檻は捕らえた者が触れると、霊力を奪う。術も無いものにされる。その中で、父が怒鳴る。しかし蘇芳は表情を変えずに、口を開く。


「この場は、若き統率者と送り狐の力を見る為のもの。たとえ家族であろうとも、邪魔立ては許されぬ」


 蘇芳様は、これのどこが、力を見る為のものだと思われるのか。


 全ての希望が奪われたように、ただ立つ事しかできない。それ程に、一歩でも動けばこの世界が崩れ落ち、皆の命が消える予感がした。


「ふふ。蘇芳殿はやはり賢い。先程お伝えした通り、捕らえた印付きが所持していた他の巻物も、後程お渡ししましょう。こちらはまだ、お渡しできませんが」


 この状況下でも笑える単の異常さを感じれば、やはり彼の白く輝く手が目に入る。他とは何の事だかわからないが、彼は握っている

巻物を軽く蘇芳の方へ掲げた。


 まさか、黎明様の様子がおかしいのも、単様のせいなのか?

 だから蘇芳様は動けないのか!!


 黎明の命を盾に取られたのなら、蘇芳の不可解な行動にも頷ける。何よりそう考えねば、心が砕けそうだった。

 そんな華火へ、単が顔を向けてきた。


「先程の天候で終いか。そこの男狐も、捕まって終わり」


 騒音の中でも退屈そうな声がしっかりと聞こえてくるが、単の目は底冷えするような眼差しに変わる。


「やはり、お前達のような者は妖狐には不要。何より、ただ泥を塗るだけの存在が息をしているだけで、虫唾が走る」


 単様……?


 言葉が理解できず、華火は茫然としながらも鉄扇を握る。


「そういった者を皆が選別できるよう、私が妖狐を導いてきたのです。力無い者は、何の役にも立ちません。命を喰らいながら生まれた者も同様。それらは力ある者に消費され、初めて真価を発揮するのです」


 導いて?

 消費?


「今日ここで、お前達の本当の役目が果たせますね。生まれてきた事自体の間違いを正す時が来ました」


 本当の、役目?

 間違い?


 ただ単の言葉をぶつけられていた華火の目が、彼の横にいた忍び装束姿の白狐の女狐が動き出したのを捉える。その彼女が抜刀しながら、口を開いた。


「今の妖狐の世界は単様が創られてきたもの。お前達は生きながら知っただろう? 自分達が何の価値も無い役立たずだと」


 何の価値も無い、役立たず、だと?


「それと契約する者も、家族にも、ましてやそこにいる無関係な女狐にも、罪がある」


 ……つ、み。

 罪?

 そんなもの、あるわけがない!!


 言葉を理解すれば、華火の身体中を怒りが支配する。


 私や織部を、力の無い者を傷付けるだけの世界を、単様が!!


 単と女狐がここまでの言葉を吐けるのは、華火達以外のこの場にいる全ての者がそれを知っているからだろう。

 だからこそ、自分達が生きてきたあの暗い世界が意図的に創られた事を、嫌でも理解させられる。

 そして、大切な皆にありもしない罪を押し付けられた事で、華火の心からは煮え立つようなどろりとしたが溢れた。


「華火!!」


 真空の声が遠い。

 代わりに目の前が薄暗くなる。


「華火! 気をしっかり待ちなさい!」


 母の声や他の家族の声も、囁き程度にしか聞こえない。

 けれど、単の笑い声だけは届いた。


「これはこれは! このように面白いものが見られるとは!」


 何を、笑っている。


『憎い』


 にく、い?


『憎い憎い憎い!』


 私の、声……?


『全てお前のせいで!!』


 華火の中で何かが蠢く。それが自分の声色で言葉を発すれば、自身が爆ぜた錯覚を抱く。痛む身体に何が起きたのかわからず、思わず手を見た。


「……あ、ああっ……!」


 皮膚が黒く染まっている。焼けただれるような痛みと共に、正常な色を侵蝕していく。そして頭の中では、憎悪の言葉が響き渡る。


 やめろ、止まれ!


 自分の中にこのような怒りが眠っていた事。それが自身を呑み込もうとしている事実に恐怖する。

 しかしそれ以上の事態が、華火を追い詰める。


 お願いだ!

 止まってくれ!!


 最悪な事に皆との繋がりまでにも、それらが根を張るように流れていく。だから意識がそちらへ集中してしまった。それにより、契約の力が強まる。だからこそ、青鈍達ともしっかりと絆が結ばれてしまった。

 しかし、解除ができない。

 その事実に驚愕し、華火は鉄扇を手放して自身を戒めるように掻き抱いた。

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