第53話 約束

 柘榴が大広間の畳に広げた巻物の内容に、華火は目を見張る。


 今回は異例の、年末の宴への招待。

 しかも単が主催する為、一ノ宮でだ。

 今年は予言の騒動もあり、それを労う為に行うものである。若き統率者は全員参加せよとの事。そこで朗報を伝えるとも書かれている。

 日時は冬至の昼間から夕刻まで。これは夜から総会が行われる事と、送り狐のお役目に配慮しての理由からだろう。

 だからか、契約を結んだ送り狐も参加。縁のある者までも連れて来ていいと書かれている。


「多分だけれど、華火の力は知られていないはず。知っていればもう何かしら仕掛けてきてもいいと思うのよね。ただ、朗報っていうのが気になるわね……。あとこの宴の本当の目的は、予言の白狐を探し出す事、でしょうね。でも、縁のある者もって……。身近な者まで招待されれば、誰も断れないと思ってんのかしらねぇ」


 紫檀の言葉に、皆が黙る。

 まさかの、相談役統括からの声掛け。そしてその内容。これを断れる者はいない。

 仮に華火が断ったとすれば、他の統率者の危機に気付けない。何より代理で両親が参加してしまうのは目に見えている。


 単様がまさか……?

 それか、そのように唆す誰かが、単様の周りにいるのか?


 華火は自身の想像に、思わず手に力が入る。

 すると、華火の袖口から真空の管狐が顔を出した。


『華火さん、今いいですか?』

「どうしたんだ?」


 真空にも何かあったのかと思えば、管狐が答えをくれた。


『華火! 竜胆さんと織部さんから聞きました! 上で行われる年末の宴なんて、下のお役目に就く者には関係なかったのに! 絶対に行かないで!! 行くなら真空から離れないで下さい!!』


 真空らしい言葉が、とても頼もしい。しかし彼女を巻き込むのは嫌だと、華火も強く想う。


『との事ですが……』

「返事はどうしたものか……」


 言伝を告げ終えたからうめが、困り顔で上目遣いになる。そんな管狐へ応える為、華火もしばし考えようとした。

 そこへ、山吹が声を掛けてきた。


「確かに、真空さんから離れない方がいいかもね」

「けれどそれでは、真空まで巻き込む事に……」

「真空さんは止めても来るって、華火が一番よく知ってるんじゃない? それに、巻物を読み終えた華火の顔を見て気付いたけど、華火は上へ行く気でしょ? それなら真空さんと一緒にいるのが安全だよ」


 そこまで顔に出ていたのか。


 山吹からの言葉に、華火はただただ彼を見た。


「何かあれば僕達が道を作る。真空さんの術があれば華火の術を使う時間が稼げるはず。もし僕達が側にいられない事態になったら、思い切りやって。いっそ、一ノ宮を壊す勢いで天候を操っていいからね」


 それは皆を犠牲にする事と同じでは……。


 心を決められない華火に対して、山吹がおどけたように物騒な事を告げてくる。

 しかしそれは彼の本心だと、赤みを帯びる黄の瞳が真剣な色を宿していた。



 それぞれが騒つく中、契約についての黎明の言葉が真実なのかを確認すべく、両親へ連絡を取る。すると、何が起こるかわからない日々ならば、今だけはそのように身を守る事も必要だと告げられた。


 両親の言葉に、華火もこの騒動が落ち着くまではと決め、契約をする。

 そして誰も失敗する事なく、成功した。試しに発動すればお互いに絆を感じられる。あんなに苦労した結び付きだったが、華火の金の天候を浴びたからこそすんなりと絆を感じ取れたのだろうと、結論が出る。

 けれど送り狐達と比べるとそこまでしっかりと結ばれた感覚はなく、まだ絆がさほど深まっていないのを華火は感じていた。


 ***


 案内状が届いた日から、目まぐるしく時が過ぎていった。

 そして今は冬至前夜。いつもより早めにお役目を終え、明日の為に皆が寝静まる。

 けれど、温かいはずの布団へ横になる華火は、眠れずにいた。


 契約したての青鈍達の力の解放を何度も練習した。更に、自分が契約した全ての者の力を引き出さねばならないと、気がはやる。

 結果、契約発動自体が上手くいかなくなってしまった。


 どうしてこんなにも、心が影響してしまうのか。


 涙が出そうになる両目を手の平で強く押し、自身を責める。


 しっかりしろ。もう期日なんだ。

 私は統率者だ。皆の真の力を解放できるのは、私しかいないんだ。

 皆は心を決めている。ならば、私も決めなくてはいけない。


 むくりと布団から体を起こし、膝下までを隠す薄紅梅色の長羽織を着込む。そして静かにふすまを開き、自室を後にする。

 大広間には白蛇がいる為、起こさぬように廊下から回り込み、縁側を目指す。

 しかし、目的の場所には先客がいた。


「眠れない?」

「……あぁ」


 黒の長羽織を身につけ、髪を解いた紫檀が気遣うような視線を向けてくる。このような時に彼と顔を合わせたくなかったが、華火は悟られないように笑みを作り、横へ並ぶ。


「契約発動の事、気にしてんでしょ」

「気にしない方がおかしい」


 しばらくできなかった普通の会話に、華火の心が僅かに緩む。それ程までに、紫檀とこうして話す事が本当に少なくなっていた。


「頭で考え過ぎんな。もっと自分の力を信じなさいよ」

「それでも、私にはまだ経験が足りない」

「そうかもしんないけどね、成功した時のは覚えてんでしょ?」


 硝子戸を通して与えられる外からだけの明かりの中で、紫檀が華火の鎖骨の下を軽く指先で押した。その部分が熱を帯びる気がしたが、感覚を振り払うように頷く。


「覚えている。それなのに、皆の力を引き出す事ができなくなってしまった」

「別にいいわよ。あたし達の事はあたし達で何とかするから」

「……それなら私は……」


 必要ないのでは?


 自分の居場所が消えてしまった気がして、うまく息が吸えない。それを気付かれてしまったようで、紫檀が額を弾いてきた。


「いたっ!」

「馬鹿な事考えてる顔してたから、わざと痛くしてんの。あのね、華火は命狙われてんの。だから自分の事だけ考えとけ」

「それは皆だって同じだ」

「そうよ。だからあたし達も自分の事は自分で何とかすんのよ。みんなそれぞれ最善を尽くすだけ。違う?」


 おでこをさすりながら紫檀を見上げれば、楽しそうに笑う藤色の瞳が華火へ向けられていた。


「最善……」

「何もなけりゃそれでいい。でもね、こうもお膳立てされて、あたし達は心を決める準備まで出来た。他の統率者や送り狐と違ってね。だから最善を尽くせるんだ。それだけは、蘇芳様と黎明様に感謝よねぇ」


 ふふっと笑う紫檀には、恐れがないような気がした。だからつい、言葉をもらした。


「私は、怖い」

「そうね。怖いわよね」

「紫檀は、怖くないのか?」

「あたしも怖いわよ」


 予想していた言葉ではないものに、華火は目を見開く。


「華火……。あたしの事何だと思ってるわけ?」

「い、いや、その、紫檀は怖がっている気がしなくて……」

「そんな風に見られないように、気ぃ張ってるだけよ」

「それはとても、辛い事じゃないのか?」

「そうでもしなきゃ、立っていられないでしょ?」


 半目になった紫檀に、それでも知りたい事を聞き続ける。それに対し、彼はいつもの笑みを浮かべ教えてくれた。

 そんな紫檀の負担を和らげたくて、華火は彼の冷えた手を取った。


「じゃあ、今だけは、休んでくれ」


 逃げられそうになった手が止まり、真顔の紫檀が見下ろしてくる。


「不安で余裕のない、華火の前で?」

「そうだ」

「休めるわけないじゃない」


 苦笑気味に会話を終わらせようとした紫檀だったが、華火は彼の大きな手を握る力を強める。


「それでも、私は紫檀が大切だ。ここにいる皆が、関わってくれる者が、大切なんだ。だから、少しでも、支えになりたい」


 華火が想いを伝えれば、紫檀の手にも力が入った。


「なら、として接してくれ。それで充分、支えになる」


 急に声を低くした紫檀が眉を寄せた。そんな彼の目は、特別に自分を見るなと訴えてくる。


「努力……する」


 紫檀を不快にさせたくなくて、思わず嘘をつく。そんな自分が嫌で、下を向いた。


「いろいろ混同しちゃってんのよ、きっと。華火は統率者。あたしは送り狐。これからもずっとそれは変わらない。だから明日も、お互いに出来る事をしましょ」


 するりと抜け出すように動く紫檀の手を見つめながら、華火はふと考えた。


 明日、もしもの事があれば……?


 こんな事を考えてはいけないのはわかっている。しかしどちらかが消えてしまう事態になった時、本当の事を伝える機会は永遠に失われる。

 それに気付き、紫檀の手を掴み直した。

 そして、溢れてくる想いをぶつける。


「私は、紫檀との関係を変えたい。統率者と送り狐ではなく、もっと、紫檀を知りたいんだ!」


 この想いの正体は不治の病。原因なんてわからない。それでも、精一杯の言葉を伝える。そうしなければ後悔するとわかっているから。それでなくとも、過去に自分の想いを吐き出せずにいた日々に戻りたくはないと、自身の心が訴えてくる。

 そんな華火の声が大きくなってしまったからか、紫檀に掻き抱かれた。


「そういう真っ直ぐなのは、だめだろ……」


 耳元で囁かれる紫檀の声が、僅かに震えている。そこに彼の恐れが滲んだ気がした。

 気付けば、ただ助けたくて、大きな背中を撫でた。


「紫檀」


 彼の名を声に出せば、愛おしい気持ちが溢れる。


「怖い事があったとしても、私がいる。頼りないだろうが、ずっとそばにいる事はできる。これが私に出来る約束だ」


 もしかして私は、紫檀を男としても好きなのか?


 無理に抑えていた感情からは痛みしか感じなかった。けれども素直に受け入れれば、彼への特別な想いが華火の新たな力となった気さえする。

 だからこそ、この病は不治なのだと自覚した。


「……そんな約束、しなくていい」


 しかし、紫檀から初めて聞く冷たい声で熱が奪われた。

 そして同時に引き剥がされ、彼の藤色の瞳と向き合わされる。けれどその目は、どこか遠くを見ているようでもあった。


「いいか? 華火は華火の事だけ考えろ。俺の事は考えんな。明日、何が起きてもだ。忘れんなよ」


 痛みを堪えるように顔を歪めた紫檀が低い声のまま言い切り、いつもの表現へ変わる。


「なぁんて、ね。変な事言っちゃったわね。力を合わせたら大丈夫よ。さぁ、早く寝た寝た! おやすみ」


 紫檀はそれだけ言うと、華火を待つ事なく歩き出してしまう。


 紫檀はどんな気持ちで、今の言葉を言ったのだろうか……。


 紫檀の背中が見えなくなっても、華火は立ち尽くす。

 そして、初めて知った本当の彼の欠片に触れるように、紫檀を更に深く想った。

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