第51話 昼行灯の意味
大社はどこも朱塗りで、似た構造。だから黎明の目にはどれも同じに映る。それが自分が今訪れている、一番の広さを誇る一ノ宮であっても変わらない。
しかし重要な情報のやり取りをする、窓の無い殺風景な小部屋だけは異質だ。
黎明が単と面会するのはこれで二度目。
前回は三ノ宮の断罪役代表・
単の考えは通常、残夜経由で知らされる。頻繁な接触は目立つ為、鈴書で密通をしているのだろう。
今回も、黎明は残夜と共に報告の為にこの小部屋へ通された。
そして、断罪役のまとめ役の白狐・暁も、当然のように同席している。
「心知らせが消えたのですね」
重苦しい空気の中で光を宿す
「お役目もありませんでしたから、遅かれ早かれだった事でしょう」
黎明の横に座る残夜が、淡々と答える。彼は能面を着けていない素顔にすら、何の表情も浮かばない男狐だ。
「いっそ、お役目の存在しない種族の者は、自ら身を隠してくれてもよいのですが」
弧を描き出した口元を、単はゆっくりと檜扇で隠す。そこから、まだ声が続く。
「お役目に就く者でも、劣っている者は目に付きます。それが足を引っ張る」
嫌悪を隠す事なく声に滲ませる単に、残夜は無言で頷く。
「それらのせいで妖狐までもの存続が危ぶまれるのを、私は回避したいのです」
残夜を見ていた単の透き通る白の目が、黎明を捉えた。
「この前は殆ど会話する事なく帰してしまいましたが、感謝申し上げます」
品定めの結果は、可、といったところか。
単の感謝とは、蘇芳の事。彼が単の考えに反発している事をまず残夜へ伝えた。その時に、私物のように自分を使うのも我慢ならない。こんな相談役の元で働きたくないと訴えた。
すると残夜から、単が妖狐の存続の為に動いている事を教えられ、仲間入りした。それが今年の二月下旬の話だ。
しかし黎明は自由に動きすぎた結果、罰を与えられる事を予想していた。だが、単から向けられる視線には、期待が含まれているように思える。
「あのー……、感謝されるような事、してませんけどー?」
「黎明。分をわきまえろとあれ程言っているだろうが」
「あっ! すみません……。その、志を同じくする方々が集っているので、気が緩んでしまって……」
いつも通りに返答すれば、やはり残夜から叱られる。ここでの粗相は彼の責任にもなる為、必死なのだろう。
だから黎明も言い訳を添えれば、単の目が細まる。
「よいよい。お前は面白い。わざと能面に狩衣姿で見回りをしていたと聞いた時には、笑い転げました。しかも三ノ宮の相談役はその機転を褒めて下さったそうで。それにも、腹がよじれました。私を楽しませてくれる者は好きです。例えそれが
あからさまに自分を試しすぎ。
『あぁ、これがあの馬鹿……。いえ、蘇芳殿に使われている者ですか』
前回挨拶をした時の単の言葉が浮かび、黎明は笑い声を上げた。
「単様、はっきり言い過ぎですよー。自分も馬鹿に使われ続けるのは嫌です。だからこそ、お聞きしたい事があるのですー!」
残夜と暁から殺気が漏れているが、単が許可したので口出しはしてこない。後で灸を据えられるだろうが、黎明は単へ笑顔を向け続けた。
すると、単の目も笑ったように思えた。
「何なりと」
「あのー、蘇芳様はいつ処分して――」
「口が過ぎる」
めったに喋らない暁が、肩にかかる長さの白髪を僅かに揺らして動く。それを、単が止めた。
「許可したのは私です。暁、ありがとう」
単が暁の拳を指先でなぞり、囁く。言葉を崩したその声に甘さが含まれたのを感じ、黎明は噂通り、二匹の間に別の絆がある事を確信する。
その瞬間、氷のように冷たい表情を和らげ、暁が目元をほんのり染めた。
血の繋がらない兄妹、か。
単が幼き頃、下を知る為に親と共に降りた時、暁を拾ったそうだ。それから単と暁は兄妹として育てられたと聞く。そこで芽生えたものがあったとしても、誰も咎めはしない。
しかし身分の違いを暁が気に掛け、互いに
ここまでは特段問題ない。
重要なのは、お役目の頂点に立つ者同士が手を取り合って動いている事実だ。ここに介入する者は命知らずと言ってもいい。
それが、蘇芳だ。
「それでは質問の答えですが……。私の予想では『次の総会前』に何かが起こる、とだけお伝えしましょうか」
「予想、ですかー?」
「そう。予想です。このように言葉にする。それだけで、全てが実現する。ふふ。私は昔からそういう運の良さがあるのです」
なるほど。
わかりやすい演技ではあるが、要は、単の発言で周りが勝手に動き、実現する。直接手を下していないからこそ、今の地位のままでいられるとの事だろう。
やはり蘇芳様の言ったように、しばらくは動けないのか。
総会は本来、冬至の夜から翌日にかけて行われる。何かの詳細は、また残夜から告げられる事になりそうだ。
しかもこのような相手の場合、捕まえられるのは言い逃れができない有事のみなのもまた、事実だ。
けれど、本当に単自ら動くのだろうか?
黎明は蘇芳から託された言葉をこの場で伝えなければならない。けれど、不安は残っていた。
「他にも何か?」
「……あ。単様の言霊は素晴らしいものだと思いましてー」
つい考え込んでしまい、口を動かすのを忘れていた。けれど慌てる事なく声を出し、質問もする。
「あのー、単様は蘇芳様の事、いつから馬鹿だと気付かれたのですかー?」
三ノ宮だけ、予言の騒動についての進みが悪い。その理由を聞き出す為、黎明は踏み込む。
蘇芳もいくつか考えを述べていたが、『突拍子もないものばかりで、現実味が無いな。もっと深い理由があるように思えるが』と言っていた。
けれど黎明には、突拍子もないものが当たりのように思えていた。
「いつからとは、困りましたね……。はっきりと思い出せるのは、下の蛇を生かした時、ですね。あれのお陰で大蛇との仲は良好になりましたが、独自の考えで動く馬鹿が増えた時期でもあります。それが今も尚、続いてる。それなのに『次期天狐候補』などと言われ、調子に乗る始末。後先を考えられない者は上に立つべきではありません。だからそのような者の末路は大概同じで、惨めなものになる」
単が本来の次期天狐候補だし、よっぽど蘇芳様が気に障るんだろうな。派閥すら存在するし。
そうすると、騒動を起こした者に仕立て上げようと、わかりやすく三ノ宮だけ活動が遅くなるように操作してる、辺りだな、きっと。それの仕上げを総会前にと、考えているはずだ。
蘇芳様、やっぱり単は器のちっさい狐ですよ。
歯軋りしそうになるのを堪え、顔の筋肉を緩めてやり過ごす。うんうんと大げさに頷けば、単の目がはっきりと微笑んだ。
「好奇心は猫をも殺す」
その言葉は黎明だけに向けられたものであり、気を引き締める。
「しかし黎明は優秀な狐です。ここまで私に喋らせたのであれば、それなりに満足する情報をこちらへ」
ですよねー。
その為に、招き入れたんだろうし。
お礼を言い、へらへらと笑う。
けれどすぐに表情を変え、黎明は大きく息を吸い込んだ。
「聞いて下さいよー! 蘇芳様がどうして色加美に保護したかようやくわかったんです! 何と、騒動が解決した場合、褒美として保護した野狐達全員を送り狐に昇格するそうなんです! 指南所で経験を積ます事なく、色加美で積ませ続ける、だそうですよー! 信じられませんよねっ!」
さて……。
表情を探るまでもなく、蘇芳から託された話に単の目が開かれる。側に控える暁も同様で、黎明は内心ほくそ笑む。
「……そのような事を考えるまでに至った蘇芳殿が哀れです」
単が視線を向ける事なく暁へ手を伸ばす。すると暁が存在消滅とは別の巻物を単へ渡した。
それは黎明が欲していた『調度品処分一覧』の文字が記されており、思わず全身に力が入りそうになる。
あれさえ、手に入れば……。
新年の宴が終わると、新旧の物を交換する為の宝物殿の整理が行われる。この時期、断罪役の下っ端は暇な為、抜擢される事が多々ある。だからこそ、それに紛れ自分に古い幻牢を持ち運ばせたのは残夜である。
担当した者として名前を巻物に書きはしたが、幻牢は初めての処分だったので、気に掛かった。
それを相談した相手が、蘇芳だった。
『私はその件については知らぬ。残夜を問いただしても、証拠を消し去られる可能性がある。そして黎明の察するように、名を書いてしまった者は使い捨てられる可能性がある。それだけは阻止せねば』
「ここだけの話。私は言葉を信じていません。なので、証明していただきます」
蘇芳の言葉に単の声が重なる。
その呆れた発言にも、気を取られる。
単という男狐は視野が狭すぎると感じれば、下へ転がすように巻物を広げられた。
だからこそ、黎明は単の考えに加担する証拠を目の前に、脅されるのだろうと踏んでいた。
「初めてお話ししますが、これには仕掛けが」
目が細まる単が手をかざせば、白い炎が広がる。燃やすつもりかと思ったが、どうやらただ霊力を送っただけのようだ。
そして、単の炎で余白に文字が浮かび上がった。
『これに名を記した者は、単に従う』
これは……。
脅されるよりも質の悪い文字が目に入り、自身の名が縛られている事を知る。
「お前に問う。今の話は本当か?」
穏やかな顔の単の口調が変わる。
そして巻物に掛けられた服従の術を発動している間、嘘を告げれば自身の命が消える事を悟る。それ程までに、心臓に何かが絡むのがわかった。
今回でよかった。
嘘と真実を重ね続けたが、このような感覚は初めてだった。だからこそ、笑えた。
「はいー。今、色加美で保護している野狐を送り狐にしようとしているのは、蘇芳様ですよー」
何事もなく言い切った黎明を見て、単が檜扇をぱしんと閉じた。その口は、彼の整った顔を飾るには歪な形をしたものへと、変わっていた。
***
数々の無礼を咎められるかと思いきや、残夜は何も言わずに一ノ宮の長すぎる廊下を歩き続けている。
無事に解放された事を素直に喜びながらも、黎明は蘇芳の身を案じる。
蘇芳様は馬鹿なお方だ。
初めて蘇芳に挨拶をした日。黎明はいつも通りに相手を試した。やはり残夜に叱られたが、蘇芳も眉間にしわを寄せ、『話があるから残れ』とだけ言い、黙ってしまった。
しかしその後で告げられた言葉は、黎明の予想していなかったものだった。
『そのような偽りを演じて相手を量るのには理由があるのだろうが、私の前ではせぬ事だ。ただただ疲れるだけであろう?』
そう言って笑い出した蘇芳に、黎明は呆気に取られた事を思い出す。
お役目に就く者だからと叱られた事はあった。
しかし面と向かってはっきりと言い当てられたのは新鮮だった。
だから蘇芳様なら求める答えをくれるかもしれないと、この時に蘇芳様の目指す先を聞けたんだ。
そして同時に、蘇芳様の手足になる決意をした。
自分は、他者を蹴落とす馬鹿が嫌いだ。それを判別するのは、阿呆を演じるのが一番。
何より昔から違和感があった。何故同族なのに生まれの違いで優劣をつけるのか。それを他に尋ねれば、おかしい者と認定された。
その時から、他者を試し続けていた。
目の前を歩く残夜もまた、力のない者には見向きもしない。断罪役として容赦しない態度は手本かもしれないが、難癖をつけて処分している場合も見受けられる。
要は、単が必要としない者は助ける気がないという事だ。
全ては、単が次の天狐だからという、馬鹿馬鹿しい理由で行われている惨劇だ。
天狐というものは、危機や予言を伝える、妖狐を見守るだけの存在なのに。
悪習が蔓延る狐に未来はない。そのせいで、同族が知らぬ間に犠牲になる今を変えたい。
敢えて単の懐に飛び込んだ自分は、いつ命を吹き消されてもおかしくはない。
それでも、黎明はこの道を選んだ。
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