第49話 魂の行く先

 人間が住まう民家の中で、テレビから流れる音と共に、老夫婦のぼそぼそとした会話が続く。そんな穏やかすぎる光景を視界の端に捉えながらも、心知らせを救うべく、華火の気持ちは焦るばかり。そこへ、裏葉の声が届く。


御魂みたまがく


 裏葉が術を発動すれば、音の出ない龍笛を奏でる。すると、心知らせを染める黒が止まった。そして月白も続く。


夢幻むげん


 途端、銀の炎が心知らせを包む。するとまた顔が動き出し、楽の表情が正面にきた。


「何してんの? こういうのはさ、終わらせてやんのがいいって教えたじゃん」

「一度でも障りを宿したもんは、ここで最期してやるのが優しさってもんだろ」


 木槿むくげが不思議そうな声を出せば、青鈍は抜刀した。彼らは生きたまま障りを宿した者は、助かったとしてもまた障りを宿しやすいと教えられている。

 あろう事か、これを白蛇にも伝えていた。

『それならば、わしに何かあれば、すぐ斬り捨てるがよろし。送り狐殿達には荷が重いだろうからな』と笑っていたが、本音のように思えた。青鈍と木槿はそれで納得したようで、この話題はもう出ていない。


「諦めが早いのねぇ」

「あ?」


 斬りかかろうとした青鈍を、紫檀の声が止める。


「最後までやれる事やんのよ。それがここの送り狐の在り方だ」

「最後の餞ぐらい、くれてやれ」


 紫檀の言葉に、意外にも月白が同意する。


「なんや、腐っても送り狐んとこおるんのは意味があんのやなぁ」


 栃が感心したように呟けば、月白が舌打ちした。

 それを合図にでもしたように、山吹が離さずにいた手を握ったまま、心知らせへ声を掛けた。


「僕の声、聞こえますか? 魂のかたちを変える事なく、僕達はあなたを送りたい。それが同じ妖としての、願いです」

「……今、良い夢、見とってん」


 山吹の声が届いたようで、心知らせが口を開く。けれども、彼の肌を染める障りは消えていない。それでも、心知らせは話し続けた。


「なぁ……。おらは、消える。心知らせが、消える。なら、その先は、どこに続くんだ? 消滅した妖の魂は、生まれ変わる事、なんて、できっのか?」


 哀の顔に変わりながらも、心知らせが必死に訴えてくる。


 消滅した存在の魂の、生まれ変わる先……。


 心知らせの恐怖が、ようやく華火にも触れられた気がした。しかしその答えを自分は持っておらず、立ち尽くす。

 きっと誰も知り得ない。

 けれど、山吹は微笑んだ。


「魂とは、循環するものです。あなたの魂も巡ります。だからどうか、天命を全うしたと思って下さい」

「巡る……、天命……。なら、いっちょ、やったる」


 喜の顔に変わった心知らせが、手を伸ばす。先程まで黒かったものが薄れ、光が生まれた。


心顔しんがん


 波の泡のような輝きが、人間の老夫婦を包む。すると、変化が起きた。


「……なぁ。縁日、行くか?」

「初めて二人だけで出掛けたのも、縁日でしたね。でも、こんなおばあさんがいたら、迷惑でしょうに」

「何言ってる。今でも可愛い俺の女神だ。それにその顔に、行きたいって書いてある」

「昔はそんな事言う人じゃなかったのにねぇ」


 老夫婦が顔を見合わせ、慈しむような笑みを浮かべ、立ち上がった。


「これは……。とても、素晴らしい力だな」

「へへっ。縁日に、間に合った。もう、無理かと思っとった。最期に、良い仕事、できたわ……」


 華火は奇跡のような光景を見て、自然と声がもれた。それに対し、心知らせを染める黒は消えたが、声は弱々しくなっていく。


「忘れんでくれ、おらを。おら達を」


 心知らせがまぶたを閉じかけながらも、言葉を残す。それに応えるように、山吹が剣鈴を手に取り、送り火を宿す。


「あぁ……、みんな、そっちに、おるんか……」


 月白の銀の霊力に合わさるように、山吹の暖かな色をした黄の炎が心知らせを包み込む。すると彼は嬉しそうに笑い、光へ溶けた。


 心安らかに、仲間の元へ逝けたのだろうか。


 心知らせの言葉が、華火の胸に安堵と痛みを同時に与える。

 しばし場が静まったが、急に柘榴が無言で外へ出て行ってしまった。


「いったい、どうしたんだ……?」

「柘榴はいつもこうだ。ほっといていい。あっ」


 心配した華火が追いかけようとすれば、玄が止めてくる。しかし彼は何かに気付いたようで、外へ向かった。


「泣き虫が一匹ならば、すぐに倒されるだろう。玄がいるのなら無事だろうが」


 柘榴……。


 白藍の言葉は棘があるものの、柘榴に配慮した優しさを感じさせる。


 送り狐のお役目にこのような事が含まれているとは知っていが、やはり目の当たりにすれば様々な考えが生まれる。

 そして改めて、皆はどこまでも、魂という存在と切っても切れない縁で繋がる者達なのだと理解する。それは統率者である華火も同じ。だからこそ、今日の出来事を胸に刻んだ。


 ***


 心知らせが消えてしまった事を上へ報告し、縁日に行く事なく、社へ帰る。

 予定より早く戻った華火達を出迎えてくれた白蛇も、いつかは自分を置いて旅立つ。それを考えて思わず抱き付けば、彼は事情を知り優しく笑い飛ばしてくれた。



「探索の術も使ったし、縁日が続く間は障りも大人しい。だから今日は程々に送り酒よ!」


 障りを宿す者は、祭や笑い声などが溢れる明るい場を嫌う。山吹がいつも通り探索の術を使用し、確認は済んでいる。それを紫檀が大広間に集う皆に改めて話すのは、もし襲ってくる奴がいればそれに集中できるだけの量の酒を飲む、という事を伝えているのだろう。

 そして送り酒とは、消滅してしまった妖の思い出を語りながら飲むものである。


 送り狐達は白衣白袴姿の楽な格好になり、縁側へ座る。

 青鈍と木槿は酒を断り、部屋に戻ってしまった。月白と裏葉は大広間からこちらを眺めていたが、裏葉が心落ち着くような龍笛を奏でているのを、月白が目を閉じ聴き入っている。彼らも今では着流から白衣白袴へ着用するもの変えている。ただし、浄衣だけは着ない。


「心知らせは子供の姿なのに、ザルだったよね」

「大蛇のとこの、妖殺しの酒も、平気だった」

「何なのかしらね、あれは。他の子もそうだって聞いたわよ」

「しかもよぉ、妖にはいたずらしかせんって、それがまたなぁ」

「柘榴はずっと笑わせられていたな。声だけ怒る。そんな器用な柘榴は薄気味悪さしかなく、寒気がした」


 献杯用の白いお猪口に酒を注ぎ終えれば、山吹が話し出す。それに追加の情報を玄が添えれば、紫檀が驚いた顔をしながらも、ちびりと酒を飲んだ。

 すると、柘榴がお猪口を僅かに揺らし、苦笑する。そこへ白藍がいつものように絡む。


 通常の世間話のように、送ってやるのだな。


 栃から話を聞いた時、皆は確かに顔を曇らせた。それでも、彼らは最後までこうして送る事に対して徹底している。どれだけの時間が経とうとも、悲しみを心に宿しながらも、送った相手を想う姿に華火は心打たれる。

 すると、いつもなら怒り出す柘榴が不敵な笑みを浮かべた。

 

「ふふん。今日はそんな挑発に乗らねぇぞ! 白藍だってめそめ――、ふぐっ!」

「柘榴、もう酒が回ったのか? これはいけないな。お前の分の酒は自分が飲む。大人しくくたばれ」

「……てんめぇ、ちょっと、待ってろよ……!」


 白藍の刀の柄頭で突かれた腹を抑える柘榴が放り投げたお猪口を、彼は澄まし顔で中身もろとも受け取る。そんな白藍を睨み付けながら、柘榴は転がっていた。


『皆はいつも通りすぎますな。先程華火殿は動揺しておられたが、わしもこの様に送ってもらえるのが願いですぞ』

「白蛇様……」


 華火を心配してか、ずっとそばにいてくれる白蛇から声を掛けられ、思わず想像してしまう。すると、目が潤んだ。


『悲しんでもらえる程、華火殿の中にわしの存在がある事は嬉しい。けれども本来、わしはもっと昔に生を全うしていた者。いつ、どのように旅立とうが、悔いはない。だからこそ、笑ってほしい』

「……うまく笑えるか、わかりませんが」

『ならば思い切り泣き、その後で笑って下され』


 妖の寿命は長いが、妖狐の寿命は更に長い。だからこそ、上にしか居た事のない華火は、命について考える。


 生を終えた誰かを見送る事が、こんなにも辛く苦しいとは、知らなかった。彷徨う魂を送る事は導きにもなるからと、私の中では意識が違っていた事にも気付いた。

 そして白蛇様の言葉……。

 私が寿命を迎えた時、果たして、白蛇様や心知らせのように、後悔なく逝けるのだろうか?

 天命……。私はいったい、何を天命として生まれたのだろう。

 上にいた時は、どうしてこのように生まれたのだろうとしか、考えられなかった。そんな私にしか出来ない何かが、あるのだろうか?


 白蛇へ頷きながらも、山吹が心知らせに伝えた『天命』という言葉が心に引っ掛かる。すると、白蛇が大広間へ顔を向けた。


『その音色。今日送った者に向けて奏でていられるのか?』

「そうですよ。私に出来る事はこれぐらいなものですから」

『出来る事を理解しているのは立派な事。そして何より気持ちがこもるものは、魂に届く』

「嬉しいお言葉をありがとうございます。私は、私の奏でる音で魂を揺さぶりたいと思い続けました。その結果、魂に影響を与える術になったのですが」


 白蛇の問い掛けに、裏葉が素直に応じる。今は霊力の宿らない龍笛を握る彼の想いを初めて知る。


「ちょっと言い方悪いんだけど、今日いち早く動いたのには驚いたのよね。月白もね。凄く助かったわ。ありがと」


 紫檀も会話に混ざれば、月白が苦笑する。


「妙な気を起こしただけだ。普段は青鈍と木槿と同じ考えだが、本当の終わりを迎えた者を無碍にはできんからな」


 そう話す月白の顔に、悲しみが浮かんだように思えた。だからこそ、華火は声を掛けた。


「何か、心に残るものがあるのか?」

「……そうだな。そうかもしれんな。こんな日だ。少し、昔話に付き合え」


 月白が銀の目を細めれば、裏葉はやれやれと呟き、龍笛を撫でた。

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