第30話 皆の過去

 玄が事件と口にすれば、大広間が静寂に包まれる。皆、当時を思い出したように顔を歪めた。

 だから華火も、どんな話をされてもいいよう、気を引き締める。


「指南所のみんなが寝静まった夜、幻牢が消えた。その中には次の日、俺達が送る予定の鼠達の魂がいた。下で一番入手しやすい鼠の魂を送る事で、送り火の使い方を学ぶから。だから指南役が、実習場に前もって準備してた。『この中にいる魂は様々だ。天へ送る者はこれ。地獄へ送る者はこれ。魂が融合しているものはこれだ』って、説明もされたから、狙うのは簡単だったはず」


 淡々と話している玄の体が、僅かに震えている。


「盗みに入ったのは、青鈍と木槿むくげだった。散々暴れたみたいで、すぐには何が消えたか、わからなかったらしい。そんなの知らない俺達は寝ていた」


 玄の話が途切れた時、山吹が続きを引き継いだ。


「最初に僕が起こされた。でね、『幻牢が盗まれたんだって。でさ、天に送る魂が解き放たれすぎてるから山吹も手伝えって、指南役が呼んでるよ!』って、木槿から告げられたんだ。よく考えたらそんなの、おかしかったんだけどね。あの時の僕は起き抜けに事件の事を説明されて、自分のお役目だからと、玄から離れてしまった」


 山吹が悔しそうに眉を寄せれば、玄は目を伏せる。


「俺は寝ていて、そんなやり取りすら気付かなかった。でも急に寒気を感じて、飛び起きた」


 膝の上にある手に力を入れ、玄はきつく目を閉じた。


「目の前には、黒く大きな障り。その周りに、まだ助けられたかもしれなかった、障りを宿す小さな魂。夢かと思った。部屋にいるはずがないのに。そんな俺を現実に戻したのが、青鈍と木槿の声だった」


 話しているうちに当時へ戻ってしまったのではないかと思う程、玄の声は苦しげに掠れていく。


「『さぁ出番だ黒狐様。早くしねーと、全部取り込まれるぞ』、『玄ちゃん、みんなより先にお役目の時間だね!』って、言ってた」


 悪夢から逃れるように、玄は大きく目を見開く。

 それでも、彼は言葉を紡ぐ事をやめなかった。


「俺が弱音を吐いた時、青鈍は表情を変えなかった。でも目が、明らかに俺を蔑んでた。この時の声には、はっきりとそれが現れてた。だから次に言われた言葉の意味が、すぐにわかった」


 玄が大きく息を吸えば、当時の彼の心をそのまま吐き出すような声が響く。


「『現実は待っちゃくれねーんだよ。こんな状況なら使えんだろ。一度使っときゃ心構えも変わる。やれよ』、って、言われた。青鈍は俺を試したんだ。俺の弱い心が許せなかったんだ、きっと。でも、俺は、動けなかった」


 震える手を開き、玄はただ、それを見つめている。


「まだ現実だと思えなかった。それに、こんな弱い心のままちゃんと力を使えるのか? とも、考えた。そのせいで、大きな障りがどんどん小さな魂を喰らって、俺も取り込まれそうになって、足の感覚が、消えた。体の芯が凍り付くような恐怖だけ、覚えてる。気付いたら、勝手に送り火を出してた」


 玄が開いた手をぐっと握れば、まるで懺悔でもするように頭を垂れ、言葉を吐き出し続ける。


「自分の送り火が止められなくて、目の前で大きくなる障りを引きずり込んだ。でも、もしかしたら、まだ取り込まれたばかりの小さな障りは、助け出せたのかもしれない。だけど、俺の力はそれじゃない。みんなみたいな力があれば、助け出して、輪廻に戻せたんだ。障りを祓えば、天にだって逝けたかもしれない。でも俺はそれを、全て無にした!」


 荒々しい声を出した玄に対し、華火は思わず彼の顔を両手で包み、視線を無理やり合わせた。


「青鈍が言ったように、現実は待ってはくれない。だから、その時に出来る事は限られていた。何より不意打ち。考えなくともやり過ぎだ。だからもう、そこに居なくていい。今いる場所は、皆がいるここだ」


 まだ眠れぬ夜があるのも、起こされる恐怖があるのも、きっと、玄が敢えて昔のその場所に留まっているからだ。

 それ程までに、玄は自分の意思で送れなかった魂達を想っているのだろう。


 痛々しい姿は少し前までの自分のようで、玄の顔を包む手に力が入る。


「……わかってる。だけど、俺が初めて送った魂だから、忘れちゃいけない。俺が忘れたら、本当にその存在が消える」


 玄が黒い瞳を揺らしなが、小さな声をもらす。そんな彼へ、華火は安心させるように微笑む。


「今の話、ここにいる皆が聞いていた。だから私達も覚えておく。これからも、玄が救う魂を覚えておこう。だからもう、自分だけで抱え込まないでくれ。玄の力を、玄自身が罪にする必要はない。もしそれが罪と言うのならば、私も共に背負うぞ」


 目を見開き固まる玄の顔から手を離し、華火は周りを見回す。すると、皆が頷いてくれる。


「あの時、俺だってもっと早く気付けたらって、思った。そのせいで玄が未だに苦しんでんのは、俺の罪だろうよ」

「そうだな、自分達の罪だな。それにな、取り込まれてしまう魂とは、自ら取り込まれている。取り込まれないものは足掻き続けていると、そう教わっただろう? それでも取り込まれた魂を助けられない自分は、罪を重ね続けているのだろうな」


 柘榴と白藍が、玄を真っ直ぐに見つめている。

 それに対し、玄が何かを言う前に、紫檀が続いた。


「こんなに長い間一緒にいるのに、玄の本音を今知ったのも、罪よね。忘れちゃいけないって思ってたの、知らなかったわ。確かに、覚えておく事は悪い事じゃない。だけどその事実を、自分を過去に縛り付けるものにするな。玄が送った魂を、呪いにしちゃいけない」


 最後はきつい口調となった紫檀だが、藤色の瞳に宿る光は、とても優しいものに感じる。


「僕が離れなければと、今でも思う。それが僕の罪。でもきっと、離れていなくても結果は同じ。あれ以上の大きさになる前に玄が送ってくれたから、みんなが無事だったんだ」


 山吹が玄を覗き込み、柔らかく微笑む。


「それは、山吹がすぐ戻ってきてくれて、俺の送り火があるのに、そのまま近付いてきて、落ち着かせてくれたから。その後だって、柘榴と白藍と紫檀が飛び込んできて、他の障りを送ってくれたから、誰も傷付かなかっただけ」


 玄の震える声が、皆に向けられている。

 そこへ、山吹の小さな笑い声がした。


「玄はさ、あの状態でも何とか送り火が広がらないように、抑えていてくれたよね? それに、僕に結界張ったら、玄に触れられなかったし」

「消えるかもしれないのに、ほんと、山吹は馬鹿だ」

「底無し沼にでも足を踏み入れたみたいだった。でも、それが玄のいる場所なんだと思ったら、行くしかないでしょ?」

「……もういい」


 ぷいっと顔を背けた玄と、華火の目が合う。


「皆、たくさんの罪があるな」

「みんなのは罪じゃない。これが罪なんて、俺は認めない」

「じゃあ俺達もだ! 玄がした事は罪じゃない。これで解決だな!」


 華火の言葉に、玄が苛立たしげに答える。それに対し、柘榴がからっと笑う。


「はぁ!? 柘榴さぁ、そういうとこ、どうかと思うけど!?」

「何がだ?」

「玄、諦めろ。柘榴は何も考えていない」

「白藍、てめぇ!!」


 玄が怒鳴れば、柘榴がきょとんとした。そこへすかさず白藍が割り込めば、柘榴が激怒した。


「はいはい! 静かになさいな。玄は必要以上に考えんな。また余計な事考えたら、山吹のぬいぐるみ取り上げるからな。で、柘榴と白藍はこうして組まされた事を忘れんな」

「組まされた?」


 ぱんぱんと手を叩き、紫檀が説教し出す。

 玄が言葉に詰まれば、紫檀は続けて不思議な事を言い出し、華火は思わず尋ねた。


「こいつら、いろいろと正反対でしょ? 刀の扱いにもそれが出てるの。柘榴は力があるから一撃が重い。白藍は相手の力を利用する、巧みな剣捌き。それに指南役が目をつけて、『お前らは無いものを互いで補い合え!』って、言ったのよ。しかも、お役目を果たす為の組み分けの時にね。それならあたし達も入れてほしいって伝えたから、今こうして送り狐として共にいるってわけ」


 にやりとしながら紫檀が話し終えれば、どこか不服そうな顔の白藍が口を開いた。


「柘榴と補い合うのはお断りだが、皆で組むのは問題ない。しかし紫檀。こちらの事情に踏み込むのなら、自分の事も話せ。あの日、女狐に変わった理由は何だ?」


 白藍の棘のある言葉に、柘榴が怒りに震えながらも堪えている。それはきっと、紫檀の事情が気になるからだろう。

 そして皆の探るような視線を受けながら、紫檀が観念したように口を開いた。


「あんた達も知ってたでしょ? 指南所であたしが霊力を器用に扱うのをやっかまれてたの。ちょっとね、情けなくて言わなかったんだけど、良い機会だから言っとくわ」


 はぁとため息をつき、紫檀が目を細める。


「『珍しい事ができるからって調子に乗るなよ。ただ馬鹿みたいに力任せに薙刀を振るだけじゃなくて、女みたいな顔してんだから、お前の周りにいる女狐見習って繊細な動きも身に付けてみろよ』って、囲まれて言われたのよ」


 言い終えた紫檀がいつもの笑みを浮かべれば、皆が「あぁ……」と声をもらし、微妙な顔付きになった。


「それならいっそ、女狐になった方が繊細な動きも身に付くかもって、思ってね。だから助言通りにしてやったのよ。そんなあたしを見た時のあいつらの顔、たまんなかったわぁ!」


 もしかして、紫檀が送り火で狐を描くのはその時からか?


 満面の笑みを浮かべた紫檀だが、その出来事が今の彼の強さに繋がっていると、華火は気付く。

 そしてそっと、皆の顔を見回す。

 確かな絆があるのは、それぞれが並々ならぬ努力をしてきた者達だからこそなのだろうと、華火は改めて皆を誇りに思った。

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