第16話 送り狐の統率者
玄の頬を雨が伝い、泣いているように見えた。だから思わず手を伸ばす。けれど華火の手は血濡れており、汚してしまうなと、諦め地へ下ろす。
「早く、結界」
「だめだよ」
結界を隔て、苛立たしげに玄が呟く。しかし、何やら話し終えた男狐がそう言えば、華火の背にかかる重さはそのままに、肩も押さえつけられた。
「そこで見てなよ。自分の統率者がどんな目に遭うのか」
「華火様、早く」
「もし結界を解けば、そいつの尾も切る」
そんな事、出来るはず……。
楽しげな声を出す男狐を無視し、玄が急かす。しかし、華火の尾を掴む男狐の言葉で、迷う。
そこへ、声が増える。
「「華火様!!」」
彼らは強い。
けれど、山吹様の結界をいとも容易く壊した相手に、皆無事でいられるのだろうか?
紫檀と山吹の怒鳴り声を聞きながら、華火は結界を解くのをやめた。
「聞き分けがいいな」
「華火様、早く!!」
「あ、無理やり入ってきたら、君達の大切な華火様の耳も無くなるからね」
この言葉で、玄が結界を叩く手を止めた。
「統率者も統率者なら、送り狐も送り狐だな。こんな無能共がお役目を務めるなんざ、世も末だな」
なん、だと?
「今の言葉、訂正しろ」
胸に宿るのは、確かな怒り。
「いきなりどうした?」
「送り狐達は皆、優秀な者だ。無能は、私のみ」
「何、言ってんの?」
笑うのを堪えているような声がすれば、玄の怒りを含む声も聞こえる。
「華火様は無能なんかじゃない。今出来る事をひたすらにやり続けられる力の持ち主だ」
「あんた、いつも限界まで頑張るじゃない。それを毎日続けられる奴のどこが無能なのよ」
「僕も、華火様の心の強さを知っています。柘榴も白藍もです。ですから、毎日欠かさず鍛錬を積むその姿に、僕達が励まされているのです。そんな華火様が、僕達送り狐の誇りです」
玄に続き、紫檀と山吹から聞こえた言葉が思うように自分の中に溶けず、呆然とする。けれど、まるで大怪我でもしているように顔を歪め、送り狐達は華火を見続ける。その目には、確かな想いが込められているように思えた。
だが、それを馬鹿にしたような、面をつける男狐達の耳障りな声がする。
「別れの挨拶みてーだな」
「さすが送り狐様だよねぇ」
強く、なりたい。
「だから僕達を信じて下さい。そいつらにやられる程、僕達は弱くない」
私を誇ってくれる、皆の為に。
山吹の言葉が聞こえたと同時に、伸ばし切った手の指先が何かに触れるような感覚が華火を支配する。
けれど、華火の覚悟を試すように女狐の声が頭に響く。
『役立たずの華火様は、いつまでここに留まられるのかしら?』
悔しいと、喚けばよかった。
うるさいと、怒鳴ればよかった。
「何だ……?」
「何これ?」
面をつけた男狐達の声がする。
それを聞きながら、今まで抑え込んできた怒りが霊力となって溢れ出てきたように、華火の身体が金に輝き始める。
すまし顔で、やり過ごした気でいた。
私が問題を起こせば家族に迷惑がかかると、そんな事ばかり気にして。
それが一番の迷惑だと、気付かなかった。
「……あぁ。そういう事ね」
「これが……」
「そうか……」
紫檀・山吹・玄の呟きの意味が、華火にはわかる気がした。
私は、役立たずなんかじゃない。
父様や母様、姉様や兄様達の背中を追い続けなくていい。
それを、家族も皆も、教えてくれていたんだ。
だから私は、私のすべき事をするだけ。
もう、役立たずは終いだ!!
これからの生き方を決めれば、今まで自分を閉じ込めていたのは自分だけだったとわからせるように、華火の結界が音を立てて壊れた。
すると、華火達の周辺の雨だけが、金へと変化した。
「何を、している……?」
「この感じは……」
背と肩から圧が消え、面をつけた男狐達が華火から距離を取るように離れたのが、水溜まりを踏む音でわかった。
それを聞きながら、ゆっくりと立ち上がる。
そして、温かな手を握り合うような確かな感覚を、華火の魂が理解する。それはすぐ近くで。また、遠くでも。
皆が、わかる。
契約を結んだ送り狐達がこの地のどこにいるのか、華火には感じる事ができた。
今ならできる。
華火はそう確信し、印を結ぶ。
「契約発動」
皆の、真の力の解放を。
「
華火が繋いだ手を辿るように霊力を送れば、目の前にいる送り狐達が胸を押さえた。
「ちょっとこれは、刺激が強いわね」
軽く笑う紫檀が、真っ直ぐに華火を見る。
「あんたがどれだけ悔しい思いをしていたか、わかった。だからね、あんたに無い強さはあたし達に任せな。あたし達が、華火の盾と矛になろうじゃないか」
名を呼び捨ててくれる紫檀が、華火の横を通り過ぎる。
「華火、馬鹿すぎ。次に我慢したら俺が怒る」
紫檀に続いて歩き出した玄は、華火の後方だけを睨みつけていた。
「華火、僕のそばを離れないでね」
珍しく怒りを滲ませた山吹が華火の横へ立ち、印を結ぶ。
「逃げられると思うな。界」
結界を張った事により、金の雨が遮断される。それにより、雨の色も元に戻った。
そして華火の感情も落ち着きを取り戻し、身体の光が消える。
「何だったんだ、今の」
「何かが、俺の中に……って、それどころじゃないね」
ずっと黙り込んでいた面をつける男狐達が動き出すのがわかり、華火は振り向く。
慌てたように、けれども余裕のある態度で男狐達が刀を構えた。
「印付き、覚悟できてんだろうな!!」
聞き慣れない言葉を、紫檀が吼えるように叫ぶ。そして、霊力の炎だけを宿す薙刀を、横へ薙ぐ。
「本気すぎんだろ」
「契約しちゃってるから威力増してそう」
放たれた巨大な藤色の炎を、飛んで避けられる。けれども、それに続くように走り出していた玄が、面をつけた男狐達の着地を待っていた。
「くたばれ」
玄が脇差を抜刀する瞬間、華火には面をつけた男狐達が笑ったように見えた。
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